ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

殯(もがり)の森

2007年05月30日 | 映画
Mogari 想定外だったそうです。公式上映会は満員にならず、前評判も特にぱっとしたものではありませんでした。
 河瀬直美監督も事前のインタビューで、グランプリは無理でも何か賞を欲しいとやや謙遜ぎみでした。
 それが、カンヌ映画祭グランプリ。

 昨日、NHKのBSハイビジョンでの放送を見ました。本編は1時間半ぐらいでしょうか。
 ドキュメンタリー畑の河瀬監督らしく、シナリオの存在を感じさせない、リアルに撤した作品でした。
 いや、リアル過ぎて、台詞に不明瞭な個所が多く、聞き取れないところが多々ありました。
 かえって、通訳つきの上映の方が台詞がわかったのではないかと。

 ストーリーは奈良を舞台に、妻に先立たれた認知症の男性が、若い介護福祉士に付き添われて山の中に妻の墓を探しに行きます。出演は、老人ホームの場面以外、ほとんどこの二人だけ。最初は噛み合わない二人が、山の中に迷い混み、必死に墓を探す間に、徐々に心が解け合っていきます。
 奈良郊外の美しい風景が、この作品を際立たせています。

 命と心を徹頭徹尾描いたこの作品は、数十年前に流行した日本ヌーベルバーグを思わせる心理描写主体の映画で、いささか難解と言える部類に入るかもしれません。

 莫大な予算を使い、CGオンパレードの派手な映画がもてはやされる中、低予算で作られた作品がグランプリを受賞することは、娯楽性と興業成績にばかり重点がおかれる映画界に一石を投じたと言えるでしょう。

 しかし、日本の映画ファンの中の何人がこの作品を素晴らしいと感じるでしょうか。グランプリを受賞しなければ、おそらく僕も見ていないでしょう。
 小さな佳作を拾い上げてくれたカンヌに感謝。
 このような映画がまだ作られていたのか、と言う意味で、大人の映画ファンには一見の価値ありです。

 ちなみに、「殯(もがり)」とは、喪が明けること、喪あがりの意味があるとか。

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麻疹(はしか)大流行!

2007年05月29日 | 健康・病気
●ワクチンが底をついた!
 「大丈夫だよ、ワクチンとかって、ほとんどやらなかったけど、麻疹だけはちゃんとやってるはずだよ」
 そういって、母子手帳を2冊出して来て見せました。
 「ワクチンを打つとシール張ってくれるんだよ。ほら」
 そう言って上の子の母子手帳を見せました。
 「麻疹だけはやってるはずなんだ」
 しかし、下の子の母子手帳を開きましたが、シールは張ってありません。
 「あれ? やってるはずなんだけどなあ。シール張り忘れたのかなあ」
 「シールって、自分で張るの?」
 「お医者さん」
 「医者が張り忘れたのか?」
 「……やってないのかな」
 「おいおい」
 「やったと思ったんだけどなあ」

 結局、下の子は予防接種をしてなかった、という結論に達しました。

 テレビのニュースによると、ワクチンの在庫は保管されているはずの半分しかなかったことが判明しました。こんなニュースが流れると、たくさんの人が病院に押しかけるだろう。そうすると、ワクチンはたちまちなくなるでしょう。
 無料ですから。

●まず保健所へ
 まず保健所に電話します。そうすると、問診票を受け取りに来いと言われます。
 ぼやぼやしているとワクチンがなくなるので、かみさんが自転車を走らせて杉並保健所に問診票を取りに生きました。
 「東京衛生病院に電話して、予約を取るんだって」
 地域によって予防接種を受ける病院が指定されるようです。そこですぐに東京衛生病院に予約の電話を入れました。ところが、東京衛生病院にはもうワクチンがない、とのこと。
 「それで、どうすんの?」
 「荻窪病院にワクチンがあるからそっちで受けてくれって」
 荻窪病院に電話すると、午前中に必ずくるようにとのこと。
 我が家から一番近い総合病院は東京衛生病院で、徒歩5分ほどの所にありますが、荻窪病院は自転車で十数分。保健所は最も近い病院を指定してくれたのでしょうが、残念。
 月曜日、かみさんの都合が悪いので、僕が下の子を連れて病院に行くことになりました。
 前日、保健所でもらった問診票に記入して、母子手帳と念のために保険証も用意。
 「診察券があったら持ってきてって」(なぜだか、ある)

●待たされる
 病院に行き、窓口に問診票と母子手帳と診察券を差し出します。
 「小児科は突き当たりを右に行った奥です。そちらでお待ち下さい」
 レシートみたいな受信票を受け取って待ち合い室に行くと、すでにかなりの人が待っています。
 診察室のドアの上のパネルには、受診番号が表示されていて、「ただいま受信中の方“6”番」。
 手元の受診票の番号は21番。先生は一人だけ。こりゃ大変だ。
 案の定延々と待たされました。

 僕がちょっと離れている間に、待ち合い室に戻ると、
 「呼ばれたよ。声をかけてって」
 あれ、予防接種は簡単だから優先的に先にやってもらえるのかな、と期待しつつカーテンを覗き込んで、
 「あのう、サカイですが」
 「あ、お熱計ってもらえますか、書類もいったんお返ししますので、計り終ったら一緒に持ってきてください」
 なあんだ、期待して損した。
 体温は36.6度。平熱です。

 小児科の奥は産婦人科になっていて、若いカップルがうろうろしています。中にはどうにも結婚しているようには見えないカップルも。
 最近はついてくる男が多いんだなあ。役に立たないのに。待ち合い室が混んで邪魔なばかりだ。
 ケバい服装のカップルがいて、男は顔中ピアスだらけ。穴空きジーンズにダボダボのシャツ。女は超ミニにピンヒール。金髪に近い茶髪で、歯ブラシみたいなつけまつげ。
 ??なにしに来たのかしらないけど、子どもができたらそんなカッコできないぞ。
 
●無言でブチュッ!
 下の子がいいかげん限界になってきた頃、
 「サカイさーん中にどうぞ」
 やっと看護師さんに呼ばれて、診察室前の待ち合い室に移ります。これまで1時間半。
 僕たちより前に中学生ぐらいの女の子がやっぱりワクチンを受けに、こちらもお父さんにつれられてきていました。小さな待ち合い室には4、5組待っていたでしょうか。

 やっと順番です。
 診察室に入ると、中年の女医さんが座っていました。小児科の先生らしく、幼稚園の保母さんみたいな、なんと言うか、チョコレートに蜂蜜をかけたみたいな、甘ったるい話し方をします。
 かかりつけのN医院の“タナカマキコ”先生とくらべると、これが同じ女医か!と疑いたくなります。
 「お熱は平熱ね、ちょっと見せてね~。うんだいじょぶそうね。じゃあ、お注射は○○先生がしますからね」
 若い男の先生が現れました。
 「鉛筆を持つのはどっちの手かな~」
 「こっち」
 「じゃあ左手を肩までめくってね~」
 その間、男の先生は黙々と注射の準備をします。
 「ちょっとチクッとするから我慢してね~」
 男の先生はだまっていきなり、ブチュッ、チューッ、ピャッ。
 すばらしい手際のよさです。
 男の先生は終るとさっさと道具を持って引き上げました。
 腕に絆創膏を張ってもらっておしまい。

 「これを会計に出してください、2番です」
 看護師さんに言われて2番の窓口に書類を出すと、会計はありませんと言う。どうしてこんな無駄なことをするのだろうか、診察室で「おつかれさま」でいいと思うのですが。
 ちなみに、健康診断を受けに行く城西病院は、最後の診察が終れば会計は通らずに帰って大丈夫です。

●安静にしなきゃ
 「お風呂に入れて大丈夫かな。なんか言ってた?」と、かみさん。
 「特に言われなかったけど、ふつう今日はお風呂なしで安静でしょう」
 「そうかあ」
 しかしその夜、ねえちゃんと喧嘩して熱を出しました。
 あくる日も熱が引かず、学校は休み。

 予防接種の後は安静にしなくちゃね。
 
 
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「悪い奴ほどよく眠る」、松岡は消された!?

2007年05月28日 | 国際・政治
08matuoka 松岡農水相が自殺したということです。
 が、正直、僕は疑ってます。
 松岡利勝は消された! のではないか?
 疑問は二つあります。

 一つは、初当選の時から疑惑があったそうで、しかも10年間で1億3千円もの献金を受け取った事実が明るみに出ています。
 このカネはどこに消えたのか。初当選からずっと疑いをかけられながら、これだけの金額を私的な欲で掻き集める必要があったのか。
 国会議員といえば選挙のたびに莫大なカネがかかるのは事実ですが、政党に所属していれば選挙資金の援助は受けられるし、献金をごまかす必要はないはずです。まして、大金持ちの自民党が、選挙資金は自分で作れとは言わないでしょう。
 いくら強欲でも、命をかけてまでカネをごまかす必要はない。
 したがって、松岡本人以外に、松岡が集めるカネを必要としていた誰かがいると思えてなりません。

 もう一つは、自分がカネが欲しくてやったことなら、こうまでシラを切り通すでしょうか。自分の意思でシラを切ることができたとしたら、それほど図々しい悪党が自殺なんかするはずはありません。
 これは明らかに、誰かによって口止めをされていた!
 ここにも、「松岡に生きていられては困る」人間がいるのではないか、と勘ぐりたくなる要素があります。

 「ナントカ還元水」発言から以降、「適正に処理している」の一点張りで、何も語らず。
 この「ナントカ還元水」が野党の追求の的になったことから、誰かに「余計なことは言うな」と釘を刺されたことが見え見え。
 たしかに「ナントカ還元水」発言はごまかすにしてもあまりに不器用。1本5万円の水ってどんな水だ。仮にあったとして、どんな使い方をしたんだ。
 いまだに「ナントカ還元水」の正体はわかりません。小学生でもこんなへたくそなウソはつかないでしょう。

 つまり、松岡利勝は初当選の時から大臣になった今まで、ずっと誰かに操られてきた人形だった。びくびくおどおどした態度を見ても、自分だけの考えで大それたことのできるタマじゃない。
 傀儡になっても大臣になりたかったのか、むりやり傀儡大臣にされたのかそれはわかりません。
 しかし、松岡利勝の死で胸をなで下ろしている人間がきっとどこかにいる気がしてなりません。

 黒澤明監督の映画に『悪い奴ほどよく眠る』というのがありますが、本当に悪いやつは決して表舞台に出てこないものです。そして、自らの手を汚すこともしません。

 これはあくまでも僕の想像です。しかし、ありそうなことと思いませんか。


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坂井泉水さん事故死!

2007年05月28日 | 芸能ネタ
「負けないで」など名曲残し、ZARD坂井泉水さんが急死

★6月26日付けの頁に、「音楽葬」のお知らせをアップしました。 上のブログタイトルをクリックしてトップ頁からご覧下さい。

Zard ZARDのボーカルで作詞家の坂井泉水(本名蒲池幸子)さん(40)が27日午後、事故による脳挫傷のため、入院先の東京都内の病院で亡くなったと、所属事務所が28日発表した。

 坂井さんは昨年6月、子宮頸がんを患って以降、都内の病院への入退院を繰り返し、闘病生活を送っていた。事務所によると、26日早朝、日課の散歩のあと病室に戻る途中、階段の踊り場で足を滑らせて転落した。

 坂井さんは、モデルとして活動していた91年、「Good‐bye My Loneliness」でデビュー。「揺れる想(おも)い」「君がいない」など、次々と大ヒットをとばした。「負けないで」は94年春の選抜高校野球の入場行進曲にも選ばれた。昨年はデビュー15周年を迎え、今秋には新アルバムの発売を予定。3年ぶりのツアーも準備されていた。(以上asahi.com)
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 人気ポップスグループ「ZARD」のボーカリスト坂井泉水(本名・蒲池幸子)さん(40)が、入院先の東京都内の病院で死亡していたことが、28日明らかになった。

 警視庁四谷署によると、坂井さんは入院先の慶応大病院(新宿区)で、26日午前5時40分ごろ、病棟のらせん状の非常階段付近で倒れているのを通りがかった人が発見した。手当てを受けたが、27日午後に死亡が確認された。同署では争った形跡がなく遺書もないことから、事故死と自殺の両面で調べている。

 坂井さんの所属事務所は28日、「不慮の事故で死亡した。(坂井さんは)昨年6月から、子宮頸(けい)ガンで入退院を繰り返し、闘病生活を送っていた」とのコメントを出した。 (以上読売新聞)
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 不覚にも入院していることすら知りませんでした。
 しょっちゅう間違い電話がかかってきたり、彼女の誕生日にはこちらに花束が届いたこともありました。
 ですから、他人事とは思えません。
 深夜に電話をかけてくる不作法なファンにはずいぶん迷惑しましたが、歌はとても好きでした。

 ちなみに松田聖子(旧姓:蒲池法子)とは従姉妹同士。噂の絶えない従姉妹とは好対照で、テレビ出演はほとんどせず、生活感のないアーティストでした。
 そのために、2チャンネル的な根も葉もない噂が多々ありましたが、それが彼女の評価に影響することはありませんでした。
 あくまでも印象ですが、地にしっかり足をつけた、しっかりしたアーティストだと思っていました。

 まだまだこれから活躍できるし、やりたいこともたくさんあって、きっと無念だったことでしょう。
 御冥福をお祈りいたします。


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学校公開・道徳教育

2007年05月27日 | 受験・学校
 金曜と土曜、下の子の小学校の「学校公開」でした。昔で言う「父兄参観日」。
 クラスの雰囲気や先生の授業の進め方を目の当たりに出来る唯一の機会です。

●新任の先生
 下の子は、今年から担任が変わりました。前任の先生は、「私これでもけっこう年いってるんです」という童顔の美人先生で、子どもたちから親しまれていました。
 転任当初は戸惑いもありましたが、担任の2年間でかなり指導力がついて、さあこれからというときに転出になり、いささか残念。

 で、新任の先生は、2年間産休後の復帰だということです。
 子どもに「新しい先生はどう?」と聞くと「おんなじような先生」と答えます。
 今回の学校公開で、その「おんなじような先生」に初めてお目にかかりました。
 「どこが『おんなじ』だっ!」
 一瞬下の子の美意識を疑いました。ルックスは前任の先生とは似ても似つかぬ…。まあ「おんなじよう」なところといえば、ボーっとしていて頼りなげなところでしょうか。

 授業は「道徳」。一生懸命なのか、見るからに余裕がありません。まるで教育実習生。まいったなこりゃ、と思いつつ、ま、そのうち慣れるだろうと。

 授業が終わって教室内に展示してあるあれやこれやを見ていると、かみさんが先生を紹介してくれました。
 かみさんは上の子が在校中、ずっとPTAの役員をやっていて、その後もいろいろ世話を焼いているので、学校での態度がでかいです。
 公立ですから別に寄付などしている訳ではないので、テレビに出てくるPTAの会長みたいな口出しはしませんけど。

 「今日みたいなの、緊張しちゃって。未熟で申し訳ありません」と、いきなり頭を下げられました。昔から「父兄の授業参観」というのは試験を受けているようで、先生は緊張するそうです。
 「しばらくお休みなさっていたそうで、すぐにブランクは埋まるでしょう」とお世辞を言いましたが、“未熟”なのはどうもそのせいばかりではないようです。
 かみさんが、僕の『モンテッソーリ教育で、子どもの才能が見つかった』を進呈して、「こんなところに行ってましたから、ちょっと他のこと違うかもしれません」。
 実際、ときどき大暴れして迷惑をかけています。下の子は誉めてればご機嫌ですから簡単なのですが、先生にはなかなかそれが難しいようです。

●道徳教育
 授業の後、教育委員会の指導担当委員による公開授業が、5、6年生を対象に体育館で行われました。教材に『先生のとっておきの話』(ポプラ社)というシリーズの中から『きよみちゃん』という、小学生で難病のために亡くなった子どもの話。
 小学生版「セカチュー」。
 PTAには教材のコピーが配られなかったので内容はわかりませんが、その病気が原因でいじめられていたのが、他の子どもたちにもやがてその重大さがわかり、いじめていた子どもにも変化が起きた、というような話だったと思います。(正しくないかもしれません)

 2時間続けて道徳なので、あの「美しい国」的なひっかかりが、どっかにあるのではないかと、期待(?)していたのですが、なんともまあ当たり障りのない内容でがっかり(?)しました。
 「いじめたとき、いじめられた人間はどんな気持ちになるか」
 「子の作品を読んで、自分ならどうするか」

 「いじめたりは絶対してほしくないことです」
 「親切にしてあげたいです」

 教材の作品を読んだ感想と意見を、子どもたち一人一人に述べさせていました。
 しかし、子どもたちが先生やPTAが見ているこんな状況で、悪いことを言う訳がありません。子どもたちは、いじめがいけないことだと、理屈ではわかっているのです。
 いじめが起きるのは「理屈」ではなく「感情」ですから、いくら理屈で説明してもいじめはなくなりません。
 「わかっちゃいるけどやめられない」のがいじめ。

 「理屈」の世界とは別に、パラレルワールドのようにいじめの世界がある。ところが、理屈の世界でしか生きていない先生には、その「パラレルワールド」が理解できません。ものすごくまじめな子どもが、まったく別なもう一つの顔を持っていることなど考えられない訳です。
 「勉強もよくできて、リーダーシップをとれる優等生だったのに、信じられません」
 よくニュースにありますね、こんな先生の言葉。

 したがって、道徳教育というのは、表の顔ではなく裏の顔に対してもしなければいけないのです。
 僕はその効果的な方法を知っていますが、理屈優先の学校では採用されないどころか反発されるかも。

●安倍晋三に道徳教育を
 話は変わりますが、道徳の授業では「他人を思いやれ」「喧嘩になるようなことはするな」と教えています。自分がけんか腰になれば相手もそうなると。

 道を歩いていて人とぶつかった。
 「気をつけろこの間抜け!」
 「なんだよ、おまえがぼんやりしてるからだろう、ウスノロ」
 これでは喧嘩になります。

 「ごめん、ぼんやりしてたから」とまずあやまろう。すると、
 「僕も慌てていて、ぶつかってごめんね」と言ってくれる、と指導しています。

 しかし、世の中には「ごめんなさい」を言えばいいと思っている人が案外多いものです。
 若い女性、特にOLに多い。ドスンとぶつかっておいて、顔も見ず頭も下げず、「あ、ごめんなさい」と言ってさっさと去る。道徳教育を芝居の台詞だと思っています。
 「ちょっと待て、ちゃんと謝れ」
 「急いでいるんで、ごめんなさい」
 これで謝ったつもりなのか、と言いたくなります。
 従軍慰安婦問題をアメリカの議会で追求されて、かたちだけ「ごめんなさい」を言った安倍晋三もこれと同じです。おまえは欧米か、いやOLか。

 政府の要人は、自分たちが推進する文科省の指導で教えている道徳教育と、まったく逆のことをやっています。自分たちは絶対に正しい、「北朝鮮が悪い、韓国が悪い、中国が悪い」と敵を作るのが大好きなようです。
 仮に相手が強く出てきたとしても、「ちょっと待て、確かにこっちにも間違いはあった、その点を含めて話し合おう」ということがなぜ出来ないのでしょうか。
 「だって、向こうの態度が悪いからこっちだって強く出たくなるじゃないか」というのは、小学生以下です。相手がどうあろうと、きちんと礼を尽くすのが当然のことでしょう。
 「相手の言いなりになってたらやられ放題じゃないか」ともいいます。それを力ずくでなく、外交で解決するのが政治家の手腕です。

 子どもの頃ばあちゃんがこんなことを言っていました。
 「強盗に入られた家があってね、その家はその強盗をもてなして食事を与え、悩みを聞いてあげたんだって。そしたら、その強盗はお礼を言って何もとらずに帰っていったそうだ。それからしばらくすると、家のポストに封筒が投げ込まれていてね、『あのときはありがとうございました、おかげで犯罪者にならずに済みました。これはあのときの食事代です、少なくて済みません』と書かれた便せんと、なにがしかのお金が入っていたそうだよ。ホントにあった話だよ」
 ホントにあった話かどうかはわかりませんが、日本の庶民は敵を作らない知恵をたくさん持っていました。敵を作るのは武士の考え方なのです。

 今、道徳教育が必要なのは、安倍晋三以下、為政者たちではないでしょうか。

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あほんだらすけ 19th

2007年05月26日 | 芸能ネタ
Ahonndarasuke
 25日金曜日、ひさしぶりに東京ヴォードヴィルショーに行ってきました。
 いつも、招待券を送っていただいているのですが、ひとりで見に行くのもおもしろくないので、ちょっと強引にY子さんを誘いました。
 『あほんだらすけ』は19回目で、ぼくは最近の3回を見にいっています。感心するのはいつも満員。どこの劇団も客動員で苦労しているのにたいしたものです。19回すべて見に来ている人や、毎日来ている人も。これは制作の石井琴子さんの力でしょうか。

 毎度のことですが、ハチャメチャです。まったくばかばかしいネタをよくここまで集めたものと感心します。
 コントの連続ですが、なぜかオチのないものも。「だからどうした!」「オイ、これで終わりか?」みたいなのも混ざっていて、連続性はまったくありません。
 しかし、役者がみんな達者で、仕込んだネタ以上におもしろくするのが仕事と思っているのでしょう。山口良一の早口はちょっとまねできません。まるで機関銃。ときに頭の回転より先に口が動いてしまうのか、意味不明の「&%$#$%?¥」が劇場内を駆け巡ります。

 中には少し長めのドラマもあって、ストーリーはシリアス。内容は大したことはありません。しかし毎回必ずおかしなキャラクターが登場して、笑わせてくれます。

 クイズもあります。
 頭(頭蓋骨)にマイクを当てて、沢庵、キュウリ、芝漬け、なすなどを食べ、その音を当てるというものです。入場の時配られた紙に、順番に解答を記入していきます。しかし、まったくといっていいくらい、同じ音しか聞こえてきません。当たるわけがない。3問目で会場は全滅です。
 「正解ゼロというのは、今日が初めてですね。パーフェクトが3人いた日もあったのに」
 ウソに決まってます。全問正解なんて奇跡でしょう。

 感想をいえば、もう少し風刺の効いた内容があってもいいと思うのですが、客層を考えるとこんなもんかなとも思えます。
 ナンセンスにつぐナンセンス、毒にも薬にもなりませんが、ストレス解消にはなりますね。
 Y子さんも楽しんでくれたようで、まあ、よかったです。

出演
山口良一
たかはし等
大森ヒロシ
まいど豊
村田一晃
フジワラマドカ
金澤貴子

場所
下北沢・スズナリ


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アリ“地獄”

2007年05月24日 | うんちく・小ネタ
 薄馬鹿下郎、じゃなかったウスバカゲロウの幼虫のことではなくて、アリにとっては地獄かな、というお話。
 久々の“かみさんネタ”です。

 昨日の夜、1階のリビングにアリが入り込んできました。最初に見つけたのは、一緒に食事をしていたアシのY。
 1ミリくらいの小さいアリです。
 気づくとあっちにもこっちにもいる。
 「どこから入ってきたんだろう」
 と、思いつつ、見つけ次第縁側から外に逃がしていました。

 「ワ、こっちにいっぱいいる」
 台所に立ったかみさんが、かきあつめては縁側から逃がしして、とりあえずこの日は大した騒ぎにはならず終結。
 
 大事になったのは明くる朝です。子どもを送りだすために早起きしたかみさんが、朝食を作ろうとしたら、調理台の上が真っ黒になる程のアリの群れ。(僕は見ていません)

 「大変だったんだよ。砂糖つぼの中に入っていたよ。それを狙ってきたんだね」
 とにかくアリを追い払うので孤軍奮闘していたようなのです。

 流しの排水口の網を見せて言います。
 「寄せ集めて水で流しちゃった。へへへ、この真っ黒なのが全部アリだよ!」
 ところが、…いません。その真っ黒なアリの群れが。
 「どこに…」
 「流れちゃったのかな」

 僕はその時なんとなく不吉な予感がしました。

 「床を這ってたのは掃除機で吸い込んじゃった、ヘヘヘ」
 その掃除機は、2階の事務室で使っている、紙パック式のものです。それをそのまま2階に持って来て、もとあった場所に戻そうとしました。
 「吸い込んで、そのあとどうした?」
 「こんなか」
 「だめだよ、すぐ処分しないと全部這い出してくるぞ。吸い込むなら水を入れる大きい掃除機でやらなきゃ」
 「でも、きっと死んでるよ、ごみにつぶされて」
 「そんなんじゃ死なないよ、すぐ袋を出して捨てなきゃ」
 「そうかな」

 かみさんは、アリは絶対掃除機の中で死んでいると、信じきっているようなのです。
 隅っこの方で、ごそごそと掃除機のふたをあけて、紙パックの交換をはじめました。

 「ああああああああっ」
 「ど、どうした」
 「やっちゃった」
 見ると、アリの大軍が掃除機のパックからぞろぞろと這い出しています。
 ほとんどのアリが御存命のまま這い出してきたのです。
 これを、もとの木阿弥と言います。いやそれどころではありません。あやうく事務所が被害を被るところでした。
 ところがこのアリ達、2階は居心地が悪いらしく、一目散でベランダへ。

 2階をかたづけて1階の様子を見におりると、リビングはあいかわらずいたるところをアリがゾロゾロ。

 「これ、やっぱり流しに流したアリが這い出してるんだよ」
 「そうかな」
 かみさんは、こっちも死んだものと信じています。こりてません。

 いろいろ確認したところ、侵入口は台所のわきにある、勝手口のようです。密閉度の高そうなアルミのドアですが、そのほんのわずかなすき間から入り込んできているようです。それほど小さいアリなんです。

 で、外に出てみると、勝手口周辺にいるわいるわ。

Ariars 1日アリとともに過ごすことに我慢ならなかったのか、アシのYが薬局であり除けを買ってきてくれました。
 家の周りに撒いておくタイプと、食べさせて巣に持って帰らせ、巣ごと全滅させるタイプです。
 だまし討ちと毒薬作戦。
 なんだか旧日本軍の三光作戦みたいでイヤな気分ですが…。

 とりあえず、これでしばらく様子を見て、それから平和的な交渉をはじめようと思います。

Toosennbo



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追悼 鈴木光枝さん

2007年05月23日 | アート・文化
 「女優で、新劇界の重鎮として老け役などで活躍した鈴木光枝(すずき・みつえ、本名佐々木光枝=ささき・みつえ)さんが22日午前2時45分、心不全のため千葉県柏市の病院で死去した。88歳。
 生家の製菓業が不振となったのをきっかけに旧制高等女学校を中退して俳優の井上正夫さんに師事、1932年「乳姉妹」で初舞台を踏んだ。井上演劇道場で経験を重ねたが42年に脱退し、山形勲さん、山村聡さんらと劇団文化座を結成。リアリズムが基調の“地から湧いた演劇”を目指し、一座の代表も務めた。
 歴史の荒波の中で生き抜く女性を演じ、上演回数が500回に達した三好十郎作「おりき」のほか、「荷車の歌」「三人の花嫁」「サンダカン八番娼館」などが代表作。20代でおばあさん役に取り組んで以来、老け役に定評があり、テレビドラマなどでも親しまれた。
 紫綬褒章、勲四等宝冠章を受章。 (以上スポニチ)

Mitsue
 文化座の鈴木光枝さんが亡くなりました。僕が所属していた頃、すでに雲の上の存在でしたが、本人は至って気さくな人柄。若い劇団員にも気軽に演技指導をしてくれました。
 文化座といえば酒豪揃い。光枝さんは劇団の宴会で酒が入ると、正調の民謡を披露。朗々と歌い上げる美声は今でも耳に残ります。
 写真は、演出家の旦那、佐佐木隆さん(右の帽子)と。左の眼鏡の女性が鈴木光枝さん。
 メーデーのデモ行進のあと、全員でビアガーデンに行った時のものです。光枝さんはまだ40代、佐佐木さんはこの時すでに直腸ガンで人工肛門をつけていたはずです。ビールなんか飲んでいいのかしら。佐佐木さんのことを、劇団員はみんな“ダンナ”と呼んでいました。
 光枝さん、やっと大好きなダンナのところに行けますね。二人でゆっくりお休みください。

Mukaikaze2

 さてこの写真、『向い風』の千秋楽の記念撮影です。最前列に椅子に座った人が8人いますが、その向かって右から二人目が光枝さん。得意のおばあちゃん役です。五人目の大柄な男性が“ダンナ”佐佐木隆です。
 “ダンナ”の背後、向かって右が佐々木愛ちゃん、当時24,5歳だったかと。
 さて、この中に研究生時代の博士がいます。これを見つけたら賞品ものですね。あ、元同級生なら見つけるかも。(写真をクリックで拡大できます)*写真を大きくしました。
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★5月26日現在 正解者1名
 正解の方にはおすすめの新刊書をさしあげます。
 なお、正解者が3名になり次第閉め切らせていただきます。
 あと、2名です。


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オール電化は危険がいっぱい

2007年05月22日 | うんちく・小ネタ
Hamaoka
 いま、原子力発電に関する本を作っています。原稿を読めば読む程、背筋が寒くなる思いです。
 まだ発行前なので、詳細は申し上げられませんが、たとえば、静岡県の浜岡原発。ここは、「世界で最も危険な原発」といわれています。
 その理由は多数ありますが、最も重大なことは、原発は頑強な岩盤の上に建てられることが決められているにもかかわらず、この浜岡原発は、女性の手でも簡単にぼろぼろと崩れるような軟岩の上に建設されています。つまり、大きな地震が来たら間違いなく崩壊し、大爆発を起こします。
 これは、住民の調査で判明したことで、それまで政府や中部電力は岩盤の上に建っていると言い張ってきたといいます。じつは、証拠を突き付けられた今でも「安全だ」と言っています。

 しかも、このあたりは東海沖巨大地震が予測されている場所のほぼ中央にあります。軟弱な地盤の上に建てられた原子炉が、地震による地盤のずれで破損した場合、チェルノブイリのような大爆発を起こす可能性があります。
 ちなみに、原発の耐震設計はマグニチュード6.8。これを越えたとされる阪神淡路大震災や新潟地震や鳥取地震にも原発は耐えられません。
 「原発が建っている場所は、過去に大きな地震が起きていないから、これからも起きない」などというとぼけたことを原発推進派は言っていますが、日本は地震の巣で、いつどこに巨大地震が起きてもおかしくないそうです。事実、過去に大きな地震がなかったところに大地震は起きています。

 地質学の専門家によると、仮に大きな地震でなくても、コンクリートの固まりである原子炉は、少しずつ地盤がずれただけで、歪んだりヒビがはいるそうです。チェルノブイリはそれが原因で爆発したという説もあります。

 グーグルアースで見ると(写真は浜岡原発)浜岡原発はなんとも危なっかしい波打ち際に建てられています。原発は原子炉を冷やすために大量の冷却水が必要なので、海や湖の近くに建てられますが、このこと自体が危険を孕んでいます。
 まして、地盤の緩いところに建てられた浜岡原発が津波におそわれたら、ひとたまりもありません。

 さて、浜岡原発が爆発したらどうなるか。浜岡原発のプルトニウムの量は、広島型原爆の約10倍。上空の風は西から東に向かって吹いているので、首都圏を含めた1000万人以上の犠牲者が出ると予測されています。
 都内在住の人たちも、浜岡原発は遠いからと安心できません。十分危険区域に入っています。

 調査データは「原発を建設できるように」しばしば改ざんされます。都合の悪い情報は抹殺します。この国は金もうけのためなら、国民の命の危険などまったく顧みることはありません。

 原発が環境に優しいというのは、大ウソ。プルトニウムを作るのに大量の石油を使っています。したがって、石油の代替燃料になるどころか、石油なしで原発は動きません。
 発電コストが安いというのもウソ。発表されているコストの中には、放射性物質の廃棄費用や、使えなくなった原子炉の莫大な解体費用は含まれていません。

 東京電力が宣伝する「オール電化」は、原発をさらに建設させるためのキャンペーン。光熱費が安くなるどころか高くなります。
 IH調理器具は火を使わないので安全というのもウソ。『暮らしの手帖』の実験で、加熱したフライパンが火を吹きました。また、IH調理器具は安全基準の数百倍もの電磁波を放出します。
 ガンで早死にしたい人は、オール電化の家に住みましょう。

 これらはすべて、自民党政府とこれに群がる原発利権の“マフィア”が実権を握っているためで、住民の安全よりも金もうけを優先しているからです。
 原発を建設する自治体には莫大なカネが入ります。それを狙って“マフィア”達が舌舐めずりしているのです。

 僕は以前からずっと、平和利用の名のもとに推進される原子力利用には反対でした。ウランやプルトニウムは人間の手におえるしろものではないのです。
 「安全、安全、安全」という政府や電力会社の宣伝を信じて、カネが落ちるからと村に原発を誘致したらやがてとんでもないイタイ目にあいます。

 日本人はコトが起きてみなければわからない子どもだ、と欧米からいわれています。これは経験から未来を予測することができないからです。情報を整理して、自分の考えをまとめることができないのです。
 親(政府)が安全だといえば、何の疑いもなく安全だと信じてしまう。お菓子(カネ)が手に入ると知れば、もう意識はお菓子(カネ)にしかありません。
 「お菓子をあげるからついておいで」と知らないおじさんに誘われて、「お菓子をくれるいいおじさん」と信じてついていってしまう、そんな子どもに似ていませんか。

 ??そんなに安全なら、皇居の中に自家発電用の原発を造ったらどうですか。
 電力会社の説明員「そんな危険なことはできません」
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内田百閒(うちだ・ひゃっけん)のこと

2007年05月21日 | 本と雑誌
Hyakken

 内田百閒(うちだ・ひゃっけん)
 *コンピュータによっては「けん」の字が出ないかもしれません。門構に月です。
 変なオヤジです。写真で見た通りの気難しやで、とにかく頑固。
 1967年の12月、百閒先生は芸術院の会員に推薦されました。芸術院の会員になれば、60万円(当時)の年金が入る訳で、決して裕福とは言えない百閒先生にとってはありがたいはず。
 なのに断ってしまいます。しかもその理由というのがふるっています。
 「イヤダカラ、イヤダ」
 このように言ったと伝えられていますが、お使いの人にメモが渡され、その通りに伝えてくれと書いた内容は次の通りです。
 「……サレドモ、ご辞退申し上げたい。ナゼカ。芸術院という会に入るのがイヤなのです。ナゼイヤカ。気が進まないから。ナゼ気が進まないか。イヤダカラ……」
 まったくもう、という感じですね。

Chigoiner 『ツィゴイネルワイゼン』(鈴木清順監督)という映画がありました。縁があって、ほんのちょびっとだけお手伝いをさせてもらった映画でしたが、この映画に原作があって、原題が『サラサーテの盤』。その原作者が内田百閒だということは知っていましたが、そのときは内田百閒なる人がどんな人なのかはほとんど知らずじまい。

Ahohressha それからだいぶ経って、神田の古本屋の店先に出ていたワゴンの中に、100円だったか200円だったかで、裸本の『阿房列車』を見つけました(写真)。
 あいだに、内田百閒とともに旅をした、平山三郎の記事が挟まっていました。いつの新聞記事なのかわかりません。
 それはともかく、おもしろい! とにかくむちゃくちゃでおかしい。
 旅行に行きたいけれど金がない。一人で行くのはつまらない。
 そこで、国鉄職員の若い友達、平山三郎がつきあわされることになります。
 平山三郎は小説の中では「ヒマラヤ山系」という名前で登場します。ヒマラヤ山系、ヒラヤマ三郎。
 旅費もないので知り合いから借りることにするのですが、そのいきさつがまた傑作なので、ちょっと長くなりますが引用します。

 いい折りを見て、心当たりを当たってみた。
 「大阪へ行ってこようと思うのですが」
 「それはそれは」
 「それについてです」
 「急な御用ですか」
 「用事はありませんけれど、行ってこようと思うのですが」
 「ご逗留ですか」
 「いや、すぐ帰ります。ことによったら着いたその晩の夜行ですぐに帰ってきます」
 「ことによったらとおっしゃると」
 「旅費の都合です。お金が十分なら帰ってきます。足りなそうなら一晩ぐらい泊まってもいいです」
 「わかりませんな」
 「いや、それでよくわかっているのです。慎重な考慮の結果ですから」
 「ほう」
 「それで、お金を貸してくださいませんか」

 こうして相手をけむに巻いて、まんまと借りてしまいます。

Shodana はまりました。この一冊で飽き足らず次から次へと読みあさってしまいました。
 そうして、いつの間にか内田百閒作品が書棚にたまってきました。
 ところが、作品集を原作通りの旧字旧仮名で出していた六興出版社が倒産。その後、旺文社や福武書店が文庫で出しましたが、現代仮名遣いに直したものでした。
 岩波文庫でも何冊か出ていますが、これも同じです。
 いま、『阿房列車』は新潮文庫から出ています。

 内田百閒は夏目漱石の弟子で、『我が輩は猫である』の水瓶に落ちて死んだ猫を生き返らせ、再び大活躍させた作品に『贋作我が輩は猫である』があり、これも傑作。
 とりあえず、『阿房列車』から、手に取ってみましょう、きっとはまります。
 
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博士の愛した数式

2007年05月20日 | 映画
Hakase

 映画館で観そこなっていた『博士の愛した数式』をテレビで観ました。
 興行収入12億円のヒット作だといわれていますが、確かによくできています。
 
 交通事故で記憶障害になった数学博士(寺尾聰)と10歳の男の子(ルート=齋藤隆成)と二人暮らしの家政婦(深津絵里)が、お互いとまどいながらも絆を深めていく物語。

 原作の小説を読んだときには、「博士が愛した数式」がどんな“数式”なのか今ひとつよくわかりませんでしたが、映画ではとてもわかりやすく表現されています。
 また、大人になってからのルート、吉岡秀隆(北の国からの純くん)がとてもよい。あんな先生が本当にいたら、数学の授業はきっと楽しいにちがいない。

 博士役の寺尾聰も家政婦役の深津絵里も好演。それぞれが持ち味を発揮して完成度の高い作品に仕上がっています。

 かつて、哲学者の多くが数学を研究したそうです。僕はそのことをずいぶん若い頃に誰かから聞いていましたが、なぜ、哲学と数学が結びつくのかよくわかりませんでした。
 それが何となく納得(?)できるようになったのは、大学で哲学を専攻していた友人の汚いアパートに泊まりにいったとき、彼がメルロ・ポンティと並行して難解な数学の専門書を徹夜で読んでいたときのことです。

 「読めた!」

 朝までかかって、分厚い本を読み終えた彼は、徹夜をしたのにさわやかな顔をしていました。
 その彼が言うには、
 「無限の宇宙の神秘はそのままでは茫漠として理解不能だ、それを数式に置き換えると、人智の及ばない世界をかいま見ることができる。つまり、数式の中には答えが無限に連なるものがあって、そのすべてを知ることは無限の宇宙と同じで不可能だ。でも、数学の世界では身近に“無限”や“無”などを体験することができるんだよ」
 これは例えばの話だよ、と念を押して「π = 3.14159265……」という、気の遠くなるような数字の羅列を見せてくれました。

 「黄金律も、平方根も、円周率も、双曲線も、とても哲学的なんだな」

 何がどう哲学的なのか、わかったようなわからないような……。僕には数学と哲学の関係を結びつけることはできませんでしたが、彼がいわんとすることは何となくわかるような気がしました。
 人生の複雑な問題も、数式に当てはめることで解決の糸口が見つかるのではないかと。もちろん僕には、“人生の複雑な問題を数式に当てはめる”ことなど出来ません。

 「博士の愛した数式」は、哲学などという質めんどくさいことではなくて、もつれた人間関係を数学が優しく解きほぐしてくれる、そんな温かさを感じました。
 
 「君の誕生日、そして僕の時計に刻まれた数字、この二つの数は滅多にない“友愛数”だ」
 これはもう口説き文句ですね。数学の世界には“滅多にない”とされる組み合わせが、結構たくさんあるそうなのです。
 まあ、全体的に見れば滅多になくはない、ということになるかもしれません。いくつかある“滅多にない”のうちのどれかに、そのうちでくわすかも。

 「ぼくの記憶は、80分しかもたない……」
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監督 小泉堯史
原作 小川洋子
出演 寺尾聰
   深津絵里
   齋藤隆成
   吉岡秀隆
   浅丘ルリ子


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105円均一が消えました

2007年05月20日 | まち歩き
 突然、BOOK OFFの単行本コーナーから、105円均一が消えました。

Book_off 105円均一は、すべて200円均一に変えられていました。
 事前に何の予告もありません。
 BOOK OFFは架空売り上げ計上の問題を起こしていて、別の方法で売り上げを確保しなければならないからでしょうか。
 架空売り上げは、取引先に商品を売りつけて、売り上げ金額を計上し、その後買い戻していたというものです。
 しかし、100円均一を200円均一にしたからといって、それがそのまま売り上げアップに結びつくとは思えません。顧客心理として、100円と200円ではその金額の差以上の違いがあります。
 ちなみに、文庫と新書の105円均一は今まで通り通りです。

 ところで、今日(19日)所用で三軒茶屋にいきました。荻窪店のように巨大な店ではありませんがBOOK OFFがあったのでのぞいてみました。すると、この店ではこれまで通り単行本の105円均一の店がありました。

 どうやら、荻窪店でテストをしているようですね。でも、早晩元に戻りそうな気がします。

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不勉強すぎる石原慎太郎

2007年05月18日 | ニュース
 世界大都市気候変動サミットに参加している石原知事、講演後に報道陣からの質問に答えてこんなことを言いました。

 「(従軍慰安婦問題について)軍がそういう女性たちを調達した事実はまったくありません。ただ、便乗して軍にそういうものを提供することを商売にした人間はいましたな」(朝日新聞)

 まるで、頼みもしないのに、民間人が金儲けのために勝手にやったような言い方です。
 たしかに女性の調達や管理、慰安所の経営を請け負っていた民間業者はいました。そのような業者は最初、玉ノ井など、おもに日本の花柳界から女性を手配してきていました。それには、軍だけでなく警察も関与していたことが知られています。それだけでは人数が足りず、現地の斡旋業者を使うなどして、中国や朝鮮の女性を集めてきていました。
 これらは直接的間接的にすべて、軍の指示によるものでした。
 詳しくは吉見義明『従軍慰安婦』(岩波新書)に書かれています。

 兵隊の中にも、自分の出世のために上官を喜ばせようと若い女性を拉致してくる人間がいたようです。(元日本軍兵士○○さん証言)
 そのような女性は将校専用の慰安所に送られていました。 
 慰安所にも兵士用と将校用があったのです。兵士は1円50銭(兵隊にとっては大金でした)払ったそうですが、将校はいくらなのか調べていません。同じ1円50銭なら不公平ですね。

 民間業者が軍とともに行動して、必要な場所に慰安所を設営するには、軍の指示や命令なしにできません。また、慰安所には日本軍の軍医が週に一回定期的に性病検査を行っていましたから、慰安婦の管理は軍がやっていたといって間違いないでしょう。
 慰安所の設営場所は軍の指示で建設し、間に合わなければ民家を接収して営業しました。慰安婦の人数もすべて軍の指示によるものです。

 慰安所は兵士が民間の女性を強姦するのを防止するために、軍司令部からの命令で作られたもので、あきらかな軍主導の施設です。
 しかし、強姦防止の役には立たなかったようです。
 「だって、強姦ならただだから」とは帰還兵の金子安次さんの言葉。

 慰安所を管理する民間業者は、頼まれもしないのに「便乗して」商売をしていたのではなく、軍の要望によって従軍し運営していたのです。

 石原発言では、軍がまったく関与していなくて、民間人が勝手にやったことのように聞こえますが、それはとんでもない間違いです。

 軍と慰安所経営者の関係は、右翼系の出版社、光人社が出している従軍慰安婦についての本(タイトルはわすれました)にも書かれていました。ほとんどエロ本でしたが。

 日本軍は大陸でも南洋でも、食料や物資は現地調達が原則でした。

 「……各兵団においても、叙上の趣旨により食料対策に協力され、特に占領地域内の収穫物の獲得ばかりでなく、進んで敵地区からも獲得し、合わせて敵経済力衰耗に努力されたい」(朝雲新聞社『北支の治安戦』)

 当時、北支那方面軍の参謀長だった田辺盛武中将の訓示です。
 つまり、略奪は日本軍としての方針でした。従って、慰安婦も日本人女性だけでは足りませんから、これも現地調達。もちろん国際法違反です。

 都知事たるもの、ちょっとお恥ずかしい歴史の知識レベルです。ちゃんと勉強してほしいですね。また、知らないことを知ったかぶりしてしゃべらないことですね。

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 トラックで移送される従軍慰安婦。日本人や中国人もいたが、多くは朝鮮の女性だった。
(出典=村瀬守保『私の従軍中国戦線』)

Iannjo
 慰安所の前で列を作ってわくわくしながら順番を待つ兵士たち。
(出典=村瀬守保『私の従軍中国戦線』)


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誤植・誤変換・勘違い

2007年05月17日 | うんちく・小ネタ
 出版の仕事と誤字誤植はつきものです。全く誤植のない本はまずないと言っていい。(開き直ってどうする)
 しかし、お気に入りの小説を読んでいて、そこに誤植を見つけたりすれば、とたんにしらけることもしばしばです。(しばしばあってたまるか)
 かの有名な誤植、「おちんこでるらしいぜ」(正しくは「おちこんでるらしいぜ」)なんて、シリアスな顔していわれたら、どれだけの人がずっこけたことか。
 んでもって、時々見かける誤植を並べてみました。しかし、いくらでもあるはずなのですが、いざ探すとなるとなかなか思いつきません。
 
 というわけで、思いつくままに並べてみました。左が間違いで、右が正解です。それも間違いだったりして。

シュミレーション→シミュレーション(これは多いです。頻繁に見かけます)
トロッキー→トロツキー(信じて間違えてる人が)
カムチャッカ→カムチャツカ(これも同じ)
舌づつみ→舌つづみ(つい言っちゃいますね。包んでどうする)
ゲッペルス→ゲッベルス(僕もやっちゃいました)
自身満々→自信満々(まあ、似たようなものですけど)
晴天の霹靂→青天の霹靂(意味からすれば大差はありませんがね)
興味深々→興味津々(間違いの方が雰囲気出てます。困った)
意味慎重→意味深長(身長っていう間違いもあります)
品質保障→品質保証(保障と保証の使い分けは慎重に)
健康保健→健康保険(学校のお知らせなんかでよく)
交換神経→交感神経(取り替えちゃいけない)
危機一発→危機一髪(一発で済めばいいのですが)
放射線被爆→放射線被曝(被爆は爆撃を受けたとき)
一挙手一頭足→一挙手一投足(手と足なのでつい頭かと)
福沢論吉→福沢諭吉(慶応大学の学生は間違えないこと)
青田刈り→青田買い(バブル青田のヘアスタイルか。嫌いじゃないです、彼女)
ご他聞に漏れず→ご多分に漏れず(たぶん間違えます)
衆人監視→衆人環視(まあ、監視されてるようなもんですが)
的を得た→的を射た(正しく書かれている方がまれ)

おまけです。ちょっと前のワープロによくあった変換ミス。
倒壊銀行→東海銀行(予言通りなくなりました)
轢死か→歴史家(なんどやってもこう出る)
環境は怪→環境破壊(たしかにその通り)
刺殺団→視察団(おおこわ)
精子に関わる問題→生死に関わる問題

 「精子に関わる問題」は「生死に関わります」。
 話題が「おちんこでて」きたので(字余り)、そろそろ終わりにします。


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16年目の花嫁

2007年05月16日 | 昭和史
Suzukiwife
  今日は埼玉県行田市まで取材に行ってきました。埼玉県の北のはずれ、利根川を越えれば群馬県です。
 取材相手は日曜日の9条の会でお目にかかった金子安次さんと同じ、アジア太平洋戦争で中国の捕虜になり、軍事裁判で不起訴の後に帰国した人です。

 子どもの頃からの軍国少年で、早く兵隊に行きたくてしょうがなかったそうです。徴兵検査は第一乙種合格。もう少し身長があれば甲種合格だったそうですが、第一乙種はほとんど甲種と同等の扱いだったそうです。
 しかし、実際に兵隊になってみると、憧れていた軍隊生活とは大違い。厳しい訓練とビンタの嵐。
 それでも出世したくて、命令される以上に率先してなんでもやり、最終的には曹長まで上り詰めました。
 家が貧しくて上級の学校に行けなかったため、出世はそこまで。軍隊も学歴社会だったのです。

●16年目の花嫁
 出征前の鈴木さんには結婚を約束した女性がいました。しかし、自分はこれから戦争に行くのでどうなるかわからないからと、結婚はしませんでした。

 ほんとうはどうなるかわからない、でも、必ず生きて帰ってくる、そう信じて彼女は鈴木さんを送り出しました。

 兵隊になった鈴木さんは、数カ月で中国大陸へ。それから敗戦までの5年間、中国大陸を転戦します。
 敗戦は上官から伝えられました。したがって、内地の人々のように天皇の放送、いわゆる「玉音放送」は聞いていません。
 鈴木さんはほっとしました。これで日本に帰れる。
 鈴木さんは進軍してきたソ連軍の手引きで、日本に向かうはずの船に乗り込みます。
 しかし、どうもおかしい。船は東ではなく、北へ北へと向かっています。
 ついたところは、なんとウラジオストック。ソ連です。
 鈴木さんはシベリアの収容所で木材伐採の重労働を課せられました。ここで、6割の仲間が亡くなりました。

 5年間を過酷なシベリアで過ごした鈴木さんは、建国間もない中華人民共和国に送還されます。
 シベリアとはまったく違い。食事も衛生状態もすばらしいものでしたが、鈴木さんたち捕虜は素直にそれを受け入れられません。「おれたちはもうすぐ死刑になる。だからうまいものを食わせているんだ」
 しかし、何年経っても刑場に呼び出されることはありません。毎日毎日反省反省。自分が中国でどんなことをしたのか、すべてを手記に書くことをもとめられました。
 「天皇のためにこれほど働いて、こんな目にあっているのに、天皇は助けに来てくれない」
 鈴木さんたちは、だんだん天皇に対して不信感を抱くようにもなっていきました。

 6年経って、全員の手記が揃った頃、中国で始めて軍事裁判が開かれました。
 判決が出て有罪になったのは、千数百人の捕虜のうち、軍隊で大きな影響力を持っていた数十人だけ。しかも、死刑はひとりもいません。
 鈴木さんたちは不起訴になり、すぐに帰国が許されました。
 日本を経ってから16年が過ぎ、20際だった紅顔の美青年は、36歳になっていました。

 内地で待つ彼女のもとには、役場から鈴木さんが帰国するという連絡が入りました。
 「うれしくてうれしくて、でもほんとうに帰ってくるのかしら。これは夢ではないのかしら。何がなんだかわからなくて、ボーっとしてしまいました」

 彼女は鈴木さんのお兄さん夫婦とともに、舞鶴港に迎えに行きました。
 中国からの引き揚げ船「興安丸」が港につき、たくさんの人が降りてきましたが、なかなか鈴木さんの姿はわかりません。
 気づいたのは鈴木さんでした。鈴木さんは彼女を見つけて大きく手を振っていました。

 今の若者とは違って、駆け寄って抱き合ったりはしませんでしたが、心と心でしっかり抱き合っていました。

 「もし帰ってこなかったら、一生独身でいるつもりでしたから、手に職をつけようと、裁縫と編み物をならいました。ほんとうに他の人と結婚するつもりはなかったんですよ」

 16年間待ち続けた奥さんは、それから戦後の混乱期を鈴木さんを助けて乗り切っていきます。

 夫妻はともに80歳を越えました。鈴木さんは今、「中国帰還者連絡会」の一員として、中国で日本軍が行ったことの真実を、後世の人々に残すために活動し続けています。


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