ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

ギュンター・グラス「箱型カメラ」

2009年11月30日 | 本と雑誌
Gunter_grass
 
箱型カメラ
ギュンター・グラス 著
藤川芳朗 訳
集英社 発行
 
 昨年5月に発行された、“衝撃の自伝”第二弾である。
 出版されたと知って、すぐ読むかどうかはべつにしてさっそく買っておいた。

 思えば、前作「玉ねぎの皮をむきながら」は、途中まで読んで止まってしまっていた。
 しかし、別に面白くないわけではなく、他の本と並行して読んでいるうちに優先順位が変わってしまったのだ。
 二冊目が出たこの機会に、復活しようと思う。
 
 一冊目は自分がナチスの親衛隊だったことをカミングアウトして、世界の文壇を驚かせた。
 この二冊目、「箱型カメラ」はかなりドロドロした私生活を告白しているようだ。
 「初めて明かされる、二人の妻、二人の愛人、八人の子ども、私生活……。」と帯にある。
 帯の推薦文が、渡辺淳一というのも、いかにも意味ありげだ。
 ちなみに、前作の推薦文は大江健三郎。
 
 「箱型カメラ」すなわちボックスカメラとは、きわめて簡単な構造の固定焦点カメラだ。初期のものは乾板を使用し、シャッターの代わりにレンズキャップを使用していたと話に聞いたことがある。
 当時の乾板は感度が弱く、ASA、今でいうISO感度が、1度、2度という代物だった。カメラを被写体に向けてレンズキャップを外し、時間を計ってキャップをかぶせる。
 その後、フィルムが使えるようになったり、シャッターがついたりしたが、それでもシャッタースピードは2段階程度だった。だいたいレンズがf11程度なので、天気の良い日に外で撮るのが基本だった。
 僕が何でこんなことを知っているのかというと、敗戦直後、誰もいなくなった写真屋からボックスカメラを失敬してきた親戚がいて、何度かそれで撮ってもらった記憶があるし、触らせてももらっていた。
 
 ギュンター・グラスは本書の中で、このボックスカメラについてもつまびらかに解説しているようだ。
 
 グラス家の専属の写真家、マリーア・ラーマがなぜだかこんな旧式のカメラで、家族を撮り続けていたらしい。
 なんとなく、前作よりも面白くて、しかも読みやすそうな雰囲気があるのだが、さて何が書いてあるのか、楽しみでもあり不気味でもある。
 
【告知】
「ひまわり博士のウンチク」はこの記事でちょうど1000号になりました。
 
◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの本を待っている人がいます◆
・お手持ちの原稿を本にしませんか。
・自費出版から企画出版まで。
・きっとあなたのファンが出来る本作り。
■ご相談はメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
*上のメールアドレスをコピーするか、右下の「□メール送信」をクリックしてください。




第29回朝日生命体操クラブ体操祭

2009年11月29日 | スポーツ
 今日は毎年恒例の、朝日生命体操クラブの体操祭だ。
 無量とカミさんは、集合時間に間に合うように、朝早くから出ていった。
 無量の出番は11時ごろなので、僕は10時少し前に家を出る。早起きは苦手だ。
 
29taiso1
 
 オリンピックイヤーは体操教室の生徒が急増するということだったが、たしかに例年より人数が多い気がする。特に小学生以下の人数がすごい。
 手前の白いジャージは、オリンピックをはじめとした競技会で活躍する体操クラブメンバー。
 このところ人気沸騰の鶴見虹子選手を見たかったのだが、残念なことに鶴見、大島、美濃部のベストスリーはオーストラリア遠征だそうで不参加だった。
 
29taiso2
29taiso3
 
 昨年までは何種目か発表していたのだが、人数が増えたせいで時間短縮なのだろうか、得意種目のみの披露だった。
 無量は跳び箱。緊張したのか、いまいちの結果だった。
 
29taiso3b
 
 未就学児童の競技には、クラブメンバーのお姉さんから参加賞がもらえる。例年ならオリンピック選手からもらえたのに残念。
 
29taiso4
 
 平均台の模範演技を見せてくれた、なかじま みか選手。留守番メンバーでこの技だから、実に層が厚い。
 
29taiso5
 
 アテネオリンピック、ゴールドメダリストの中野大輔選手の模範演技。ちょっと動いただけで目立っていた。
 
29taiso6
 
 先頃行われた、全日本体操選手権大会の成績が張り出されていた。
 女子は朝日生命体操クラブの独壇場だ。
 
◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの本を待っている人がいます◆
・お手持ちの原稿を本にしませんか。
・自費出版から企画出版まで。
・きっとあなたのファンが出来る本作り。
■ご相談はメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
*上のメールアドレスをコピーするか、右下の「□メール送信」をクリックしてください。




チョロQ「ガンダム」「鉄人28号」

2009年11月28日 | アニメ・コミック・ゲーム
 ガンダム世代というのがあるそうだ。
 70年代の終わりにテレビ放映されたアニメ「機動戦士ガンダム」のファンが、大人になってもさまざまなガンダムグッズを収集したり、映像を集めたりしているそうだ。
 何となく見ていたテレビ番組で、ガンダム芸人なるものが登場して、ガンダムのフィギュアを囲んでトークを展開していた。
 ばかばかしいが、面白い。
 
 そういえば、わが家にもあったはずだ、と思い出した。
 「押し入れにあるはずだよ」というカミさんの言に従って、それらしきところを探すと、すぐに見つかった。
 軽い段ボール箱があって、何で空の段ボールが押し入れにあるんだ! と降ろすと、何か入っている。
 大きな段ボールの底に、白いポリ袋が一つ。
 
 これだ! 1.2.3.!
 有意義でかつ無駄なスペース。これこそわが家だ。
 
Gundam1
 
 何年か前に、UFOキャッチャーで釣り上げた、ガンダムチョロQ2セットのうちの一つだ。
 もう一セットは、友達家族にプレゼントした。
 
Gundam2
 
 バスター、ストライク、デュエルの3種類。
 これ、市販されていないのではないかと思う。
 UFOキャッチャー専用商品というのがあって、それはけっこうな貴重品なのだそうだ。
 エヴァンゲリオンのフィギュアもいくつかゲットしたことがあって、それはフリーマーケットで500円で売ってしまった。
 あとで聞いたら、まんだらけで数千円で出ていたという。
 
28go1
 
 この「鉄人28号」もチョロQだ。
 これは、荻窪のおもちゃ屋の店頭に出ていたもので、通りすがりに目について衝動買いした。
 オリジナルバージョンとモノクロバージョンの2種類出ていて、モノクロは地味すぎるとオリジナルを買ったが、いま思えば両方買っておけば良かった。
 そんな高いものではなかったのに……。
 
 鉄人28号が雑誌に連載されたのは、1956年。ガンダムよりはるかに古い。
 雑誌連載時の最初に登場したのは27号で、28号の登場までしばし間があった気がする。
 最初、てっきり28号だと思っていたのが実は試作品だと知りがっかりした覚えがある。なぜなら、27号のほうがカッコ良く見えたからだ。
 
28go2
 
 このフィギュアには、正太郎と署長のフィギュアがついているが、べつになくてもいいと思う。
 
28go3
 
 下半身を後ろにまわすと、飛んでいる格好になって走る。
 
Choroq
 
 こんなものもある。
 右のチョロQは、杉並区内の露地を走る「すぎまるバス」で、何年か前の「知る区ロード」の景品でもらった。
 残念なことに、毎年夏にやっていた「知る区ロード」は、20回を最後に行われていない。
 
 しかし何で、こんなものがあるのか。
 特に趣味があるわけではない。
 なんとなく、書棚の隙間や窓の縁に置いてあるのだ。
 
 「何の意味もねえ!」bay小島よしお。
 
◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの本を待っている人がいます◆
・お手持ちの原稿を本にしませんか。
・自費出版から企画出版まで。
・きっとあなたのファンが出来る本作り。
■ご相談はメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
*上のメールアドレスをコピーするか、右下の「□メール送信」をクリックしてください。




「夜と霧」の心霊写真?

2009年11月27日 | インポート
Frankl3
 
 「夜と霧」はナチスの強制収容所を体験した、オーストリアの精神科医で心理学者、ヴィクトール・フランクルのあまりにも有名な著作である。池田香代子の新訳では削除されているが、旧訳の本書には衝撃的な写真が多数掲載されている。
 昨日、イラストレーターのAKI君親子が事務所を訪れたとき、AKI君がナチスドイツに興味があるというので、本書を見せた。
 すると、「これ……」と一枚の写真を指差した。
 これまで何度もこの写真を見て来たが気づかなかった。
 
 「顔が写ってる……」
 
 本来顔など写るはずのないところに男性の顔がある。
 
 その写真が、これである。
 
Frankl1
 
 左の女性が下げているバッグに注目して欲しい。
 赤く囲んだ部分を拡大してみた。
 
Frankl2
 
 どう見ても、ひげを生やした男の顔だ。しかもかなりくっきりと。
 当時の女性が、人の顔が描かれたバッグを持つなどあり得ない。
 
 影かバッグのひずみだろうと必死に目を凝らしたが、どう見ても人の顔だ。
 心霊写真と言えばぼんやりしたものがほとんどだが、これはあまりに鮮明すぎる。
 合成だろうか。 
 それもあり得ない。この本は1961年の発行で、そのころからだれかがいたずらしたとも思えない。
 真相は何なのだろうか、ご存知の方がいたら教えて欲しい。
 
◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの本を待っている人がいます◆
・お手持ちの原稿を本にしませんか。
・自費出版から企画出版まで。
・きっとあなたのファンが出来る本作り。
■ご相談はメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
*上のメールアドレスをコピーするか、右下の「□メール送信」をクリックしてください。




沖縄戦首都圏の会 連続講座第11回

2009年11月25日 | おしらせ
          【お知らせ】

大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会
連続講座第11回


ドイツから見た日本の教科書制度

講師:メンディー・シューマンさん
Mandy Schumann:ドイツ・ハレ大学、東京大学大学院総合文化研究科に在籍。日独共同大学院アシスタント(修士)。日本会議など、日本の右翼や教科書問題などを調査・研究。

ドイツの教科書制度は日本とどう違うの?
「日本の戦争責任」について考えるときに、必ず比較の対象になるのがドイツです。
そのドイツでは、ヨーロッパにおける共通教科書の作成等、日本ではいまだなし得ない取り組みを近隣諸国と行っています。日本の教科書問題に関心を持つ研究者・シューマンさんに「ドイツの教科書制度」「共通教科書作成に当たって乗り越えてきたもの」「フォルクスワーゲンなど企業の戦争責任の取りかた」「日本会議など日本の右派の主張をどう見るか」「ネオナチとは何者か」などをお話しいただきます。
ドイツの経験を日本にも生かしていく方法を、皆さんと共に考えていきたいと思います。ぜひ、ご参加ください。

           ◇

◆子どもと教科書全国ネット21・教科書部会より報告

「民主党の教育政策を分析する」

           ◇

日 時:2009年11月30日(月)
開 始:18時30分 終了予定:21時
会 場:文京区民センター3A会議室
主 催:大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会
   (略称:沖縄戦首都圏の会)
連絡先:〒101-0051 千代田区神田神保町3-2 サンライトビル7F
    千代田区労協気付
    TEL 03-3264-2905 FAX03-3264-2906
    http://okinawasen.blogspot.com/
協 力:沖縄平和ネットワーク首都圏の会
※予約は不要です。会場に直接お越し下さい。

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの本を待っている人がいます◆
・お手持ちの原稿を本にしませんか。
・自費出版から企画出版まで。
・きっとあなたのファンが出来る本作り。
■ご相談はメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
*上のメールアドレスをコピーするか、右下の「□メール送信」をクリックしてください。



カッパ・えびせん・ノベルス

2009年11月23日 | 本と雑誌
松本清張「ゼロの焦点」
 
Zeroshoten
 
 映画をみる前にもう一度目を通しておこうと、カッパ・ノベルスの「ゼロの焦点」を書棚から探し出して読み直した。
 高校時代に一度読んでいるのだが、そのころは松本清張とあれば片端から読んでいたので、今となってはタイトルと内容が結びつかない。
 それどころか、どんな物語だったのかほとんど覚えていないものが多い。
 松本清張自身が代表作とするこの「ゼロの焦点」もその一つだ。
 読んでいくうちに、ああそうだった、たしかあれはこうなってああなった、と思い出すのだが、忘れていたことをだれかに言われてはじめて、そう言えばそんなこともあったなあと、はるか昔の出来事を話されている感がある。
 
 パパパッと飛ばし読みをするだけのつもりが、ズッポリはまってしまった。本当は今日、少しでも原稿を進めておきたかったのだが、「やめられない、とまらない」“かっぱえびせん”ならぬ“カッパ・えびせん・ノベルス”状態で、まったく手につかなくなってしまった。
 
 「小説は面白くなくてはならない」とは、生前の松本清張がかねがね口にしていた言葉だが、まったくその通り、しかも最高傑作と自薦する作品である。
 忙しい時に読み始めるほうが悪いのだ。
 
 ところでこの作品、日本が高度経済成長期にさしかかろうとする、昭和三十年代初頭が舞台になっている。昨今のレトロブームで様々に当時が紹介されているが、現代とは文化風習がだいぶ違う。今ではほとんどの世代に理解できないのではないかと思える個所が多分にある。
 
 見合い結婚では、お互いが十分知り合うことなく結婚することがあるなど、今の若者には理解しがたいだろう。
 まして、見合いは家族同士が歌舞伎座で顔合わせをするなど、現代ではあり得ない。
 しかし、この頃までは、事前の顔合わせどころか家族同士が勝手に決めてしまって、本人たちは結婚式当日までお互いをまったく知らないという、現代なら乱暴とも思えることが、何の疑問もなく行われることすらあった。
 
 昭和三十年代初頭は、企業や裕福な家でなければ電話はなかった。緊急の連絡には電報が使われた。携帯電話どころか、警察無線さえ十分ではなかったのだから、失踪者を探すのは並大抵のことではない。
 
 米兵を相手にする売春婦「パンパン」も、繁華街や基地周辺で見かけることが多かった。美輪明宏が唄う「星の流れに」や、田村泰次郎の小説「肉体の門」は、そのパンパンがテーマだ。
 彼女たちは戦後の混乱の中でまともな仕事がなく、必死に生きるために始めた仕事だ。しかし、普通の市民は彼女たちをまるでダニかゴキブリのように見ていた。
 
 宿の女中(これも今では死語だ。中居という)が「男の客を扱うように灰皿を用意した」ところなど、まともな女性はタバコを吸わないとされていた時代でもある。
 
 ネタバレになるので詳細は語れないが、物語の進行上、また主題を表現する上で、当時の時代背景を語ることは原作を読む限り必要なことだ。いや、この時代における社会像そのものがテーマなのだ。
 したがって、映画はまだ見ていないが、現代の感覚とのギャップをどう処理するか、それは避けて通れないだろう。
 清張作品でもっとも成功した映画「砂の器」は、近年テレビドラマにリメイクされたとき、視聴率を意識し過ぎたためか、無理矢理現代に引きつけたために、本来のテーマが失われ、ただの娯楽作品になってしまった。
 松本清張が知ったら怒るだろうと思えるほどの駄作になってしまっていたのだ。
 
 さて、映画「ゼロの焦点」、なかなか評判はよろしいようだが、はたして……。
 見るのが恐いような、楽しみなような。
 
◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの本を待っている人がいます◆
・お手持ちの原稿を本にしませんか。
・自費出版から企画出版まで。
・きっとあなたのファンが出来る本作り。
■ご相談はメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
*上のメールアドレスをコピーするか、右下の「□メール送信」をクリックしてください。




安全剃刀は安全か

2009年11月22日 | 日記・エッセイ・コラム
Gillet
 
 他人よりも剃る面積が多い関係で、剃刀にはこだわりがある。
 今愛用しているジレット・センサー・エクセルに落ち着くまで、数年かかった。
 安全剃刀だけでなく、電気剃刀も含めて数十種類は試しただろうか。
 電気剃刀は手軽でいいのだが、普通のひげ剃りの面積をはるかに超えているために、中にたまるヒゲの粉末の量も半端ではない。困ったことにそれがそこいら中に飛び散るのだ。さらに、その粉末は耳の後ろに黒くたまる。剃り残しも多い。
 何種類か試したがすべて似たりよったり、結局電気剃刀は断念した。
 
 安全剃刀は国産から輸入品までいろいろ使ってみた。三枚刃や四枚刃も宣伝に乗せられて試した。よく切れるのだが、耐久性は二枚刃と変わらない。
 交換頻度が高いので、コストパフォーマンスも考慮する必要がある。
 国産はフェザーも貝印も肌触りがいまいち。ジレットやシックのほうが滑らかである。
 新しいうちの切れ味はシックが優れている。しかし、使っているうちにある時期を境にして、シックは急速に切れ味が落ちる。
 あれやこれやで決まったのが、二枚刃の「ジレット・センサー・エクセル」である。
 ところが、これが最近主流でなくなったらしく、売っている店が限られてきた。
 生産が中止になった時にどうするか、それが問題ではある。
 
 
 ところで、安全剃刀は「安全」という名前がついているが、絶対安全ではない。まあ、理容師が使う剃刀のように、凶器になることはないが、横に引いたりすれば切れるし、出来物ができていたり肌が荒れていれば血が出る。

 「安全」がついているものは他にもある。安全ピンだ。
 友人から聞いた話だが、細君が枕カバーを洗い忘れたために、枕にタオルを巻いて安全ピンで留めた。
 「危ないじゃないか。寝返りをうったときに外れて刺さったらどうする」
 すると細君はこう言ったそうだ。
 「安全ピンだから安全よ」
 
 世の中には安全と表示されていながら安全でないものはけっこう多い。とくに、公官庁のいう“安全”ほど危ういものはない。
 建築や食品添加物は周知の通り、もっとも近いところでは、新型インフルエンザ・ワクチン。
 自分の感覚を信じて、少しでも怪しいと感じたら手を出さぬことだ。
 
◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの本を待っている人がいます◆
・お手持ちの原稿を本にしませんか。
・自費出版から企画出版まで。
・きっとあなたのファンが出来る本作り。
■ご相談はメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
*上のメールアドレスをコピーするか、右下の「□メール送信」をクリックしてください。

 


何十年ぶりかの、アナウンス・ブース

2009年11月20日 | 日記・エッセイ・コラム
St2
 
 どうしてもと頼まれて、本の付録につけるCDのナレーションをすることになった。
 DATを使ってちょこっとしゃべったことは、数年前に一度あったけれど、録音スタジオのブースでマイクに向かった最後はいつだったか、何の仕事だったか、全然覚えていない。それくらい昔のことだ。
 
 トレーニングをしていないので、発声も滑舌も悪くなっている。したがって、まったく自信がない。
 だから、やりたくなかった。最後には、「不明瞭でも噛んでもいいから、やってほしい」といささか強引に頼まれて、なるようになれと引き受けてしまった。
 
 まあ、そのナレーション原稿は自分で作ったものだし、だから自分がしゃべりやすいようにできるから、多少は気が楽である。
 
 で、リハーサルなしの本番にしてもらう。リハーサルなんかやったら疲れて口が動かなくなる。
 トレーニングしていないと、ナレーションはそうなる。
 しかし、噛んだらそこからやり直せばいい。昔のように録音テープなど使わないから、安心して噛める。
 
 やっぱり、口が開かない。まずは口を大きく開けて準備体操。
 
 ナレーション原稿は、実際に声を出しているところより先を目で追う。噛まないコツであるが、これは練習しないとできない。
 かつては4~5行先を追いかけられた。ところがずっとスタジオに入っていないと、理屈ではわかっていてもそれができない。しゃべりが目に追いついてしまうのだ。というか、目で読む速度が遅くなっているのだ。だから噛む。
 本を読むのは早いほうなのに、なぜだろうか不思議だ。
 
 しかし、半分を過ぎた頃になると、次第に調子が出て来た。
 なんとか、終了。
 「OK!」
 それを聞いて安心した。
 
 プレイバックを聞くと、それなりにサマになっている。
 自分で言うのもナンだが、もう一度基礎訓練をやり直せば、使えるようになりそうだ。
 しかし、現役復帰はしたいと思わない。
 いまさらまた始めて、若いナレーターの仕事を奪うことはない。
 
 しかし、たまに入るスタジオはいいもんだ。
 
◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの本を待っている人がいます◆
・お手持ちの原稿を本にしませんか。
・自費出版から企画出版まで。
・きっとあなたのファンが出来る本作り。
■ご相談はメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
*上のメールアドレスをコピーするか、右下の「□メール送信」をクリックしてください。




ボージョレ・ヌーボー2009は980円

2009年11月19日 | 食・レシピ
Nouveau
 
 今年ももう、こんな時期になってしまった。
 なんともはや……
 
 それはともかく、今年のボージョレ・ヌーボーは話題のイオングループ980円ワインを試してみることにした。
 アシのYが自宅近くのマックスバリューで買ってきてくれたのがこれ。
 外見はガラス瓶のようだが、実はこれ、ペットボトルだ。
 で、味のほうはといえば、これがなんと期待を裏切ってそこそこいける。
 あとでヴィラージュも試してみるつもりだが、ここ数年のヴィラージュはどうということはない。
 まあ、慣れてしまった、ということもあるのかもしれないが……。
 
 それにしてもなんで、ボージョレ・ヌーボーは毎年「近年最高のでき」なんだろうか。
 不思議なのは「10年に一度のでき」といった翌年に、「昨年を超える」ってのは何なんだか。
 ということは、10年以上前のボージョレ・ヌーボーはどれだけまずかったのか。

 まあ、縁起物(?)だ。しかし酉の市の熊手みたいに年々大きくする必要はないので、これで十分かも。
 980円ボージョレ・ヌーボー、お薦めというほどではないけれど、ま、いいんじゃないだろうか。
 
◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの本を待っている人がいます◆
・お手持ちの原稿を本にしませんか。
・自費出版から企画出版まで。
・きっとあなたのファンが出来る本作り。
■ご相談はメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
*上のメールアドレスをコピーするか、右下の「□メール送信」をクリックしてください。




アナログ

2009年11月18日 | 日記・エッセイ・コラム
Analog
 
 カードゲームが静かなブームを呼んでいるそうだ。猫も杓子も電子ゲームの時代だが、だからこそ、アナログゲームがおしゃれなのだそうである。
 バーのテーブルに電子ゲームは似合わない、ということだ。
 麻雀もポーカーも将棋も電子ゲームになっているが、実物の面白さには遠く及ばない。ジャラジャラと牌をかき回す、シャカシャカとカードをシャッフルする、ピシッと盤に駒を進める。あの音と感触を体験した人間にとっては、電子ゲームでは物足りないのだ。
 アナログゲームの面白さは、勝負だけではない。触覚や聴覚も(ときには臭覚も)楽しめるところに良さがある。冷たい電子ゲームの音や操作ボタンの感触にそれはない。
     ◇
 同じ理由で携帯小説も好きではない。いや、はっきりと嫌いである。本を読む楽しみとは、ただストーリーを追ったり、内容を知ればそれでよいというものではない。ページを繰り、紙の感触を楽しみ、装丁の美しさに惹かれることでもある。
 以前紹介したことがあるが、ある出版社の社長がわが家を訪れて、堀口大学の訳詩集「月下の一群」を手に取り、愛でるようにページを開き、しばしながめてポンッと閉じた。
 「いい音だなあ」
 造本を作品として味わう、これもアナログ本の楽しみの一つである。
     ◇
 余談だが、日本の伝統芸能である能楽は、ただストーリーだけを表現するなら、数分でかたがつく物語が多い。それを繊細な感情や情景の変化を謡曲や舞いで表現して、数十分からものによっては1時間を超える作品に仕上げる。
 その舞いや演奏は、修行を重ねた人間が演じてはじめて、迫力と臨場感が出るのである。楽しみは多岐に富んでいて、優れた鑑賞眼をもてば、無限の奥行きを感じることができる。
 アナログ的、人間的な芸術の極致だ。
     ◇
 先日、久しぶりに版下をいじった。版下といっても、デジタル化される以前の本を再版するということで、修正個所を直しただけである。ほんとうは修正部分を写植で印字しなければならないのだが、今では写植屋は気軽に出かけられるところにはない。やむをえず、コンピューターで「バラ打ち」をする。
 なじみのない人のために解説すると、「バラ打ち」とは修正個所や短い文章を一枚の印画紙にバラバラに印字し、切り離して版下に使う材料にすることである。
 そうではなく、特定の部分を版下指示に従ってレイアウト通りに打つことを「組み打ち」という。組み打ちといっても格闘技のことではない。
     ◇
 版下作業には、極めてアナログ的な、今ではほとんど使われることのない道具が活躍する。
 均等な太さの線を引くロットリング(写真のものはファーバーカステル製だがロットリングと呼んでいた。アメリカでティッシュのことをすべてクリネックスというのと同じだ)、鋭く尖ったピンセット(刺さると痛い)、白いへらは写植を圧着する時に使う(最近は新聞紙でゴミ入れを作る時に使っている)。
     ◇
 写植をはがし、ペーパーセメントをつけて、版下の修正個所に貼り、上から紙を当てて、へらでシコシコとこすりつける。一カ所直すのに、デジタルなら一瞬だが、版下だと数十秒かかる。
 クォークエクスプレスなら数分でできる修正が、小一時間かかった。
 それでもなんだか楽しい。根っからのアナログ人間であると自覚した。
     ◇
 デジタルは0と1の組み合わせだ。つまり二進法、二者択一で中間はない。あるかないか、イエスかノーか、それだけである。アナログは0と1の間に無限の中間がある。悪く言えば曖昧、良く言えばおおらかなのだ。
 コンピューター・エンジニアに言わせると、0と1の組み合わせでも、無限の中間値は作れるという。ファジーやスムージングがその例だというが、意味が違う。バーチャルはあくまでもバーチャルであって、絶対にリアルではない。
 すなわち、デジタルはロボットの世界でアナログは人間の世界なのだと思う。
     ◇ 
世の中のさまざまなできごとも、二者択一ではできないことがたくさんある。八ツ場ダムしかり、普天間基地移転問題しかりだ。事業を継続するか止めるか、県内移転か県外かというだけの問題ではないのだ。必要なのは、八ツ場ダムを「造る」と「止める」の中間に何があるか、普天間と移転先の中間(そもそも基地の存在に反対だが)にある無限の可能性と課題を直視することが大切なのだ。
 人間の生活も自然環境も、0と1だけでは解決できない。そのことを、日本の新政権には気づいて欲しいと思う。
 政治にこそ、アナログ的な感覚が必要なのではないだろうか。
     ◇
 話はアナログゲームに戻るが、「ゴキブリ・ポーカー」というのが面白いらしい。高円寺のすごろく屋に売っているというので、正月の遊び用に買って来ようと思う。
 しかし、正月早々ゴキブリというのはいかがなものか、と言われそうだが。
 
◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの本を待っている人がいます◆
・お手持ちの原稿を本にしませんか。
・自費出版から企画出版まで。
・きっとあなたのファンが出来る本作り。
■ご相談はメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
*上のメールアドレスをコピーするか、右下の「□メール送信」をクリックしてください。



藤木勇人「沖縄言葉(ウチナーグチ)ちょっといい話」

2009年11月17日 | 本と雑誌
Uchinaguchi
 
沖縄言葉(ウチナーグチ)ちょっといい話
藤木勇人 著
双葉社 刊

 11日付の朝日新聞朝刊に掲載された「天声人語」に一部が紹介されていて、面白そうだと思いすぐにアマゾンで購入、日曜日に渋谷に映画を観に出かけた往復で読んだ。
 200ページに満たない小さな本で、しかも口語で書かれているから、スタスタ読める。
 ただし、これは電車の中では読まないほうがいい。特に始めのほうはつい吹き出してしまうので、一人で本を読んで笑っている変な人になってしまう。
 
 著者は立川一門の「うちなー噺家」である。高座でどんな噺をするのか、聞いてみたい。
 
 沖縄には鍋料理がなかったそうだ。たしかに、ヤマトでも鍋は冬の定番。平均気温が20度以上ある沖縄には似合わない。
 この本の著者が、「中学時代に父親と姉と3人で、それも熊本で」鍋料理を食べたときの話。
 
 テーブルにコンロと鍋が用意され、野菜や肉や魚の具が別皿で運ばれてくる。父親が勇んで鍋奉行しようとしている横で、ネーネー(姉さん)と僕が魚の切り身に醤油をつけて食べ始めた。そしたら父親、怒ってねぇ。「何で生で食べるか!」って。沖縄生まれ・沖縄育ちの僕らにしたら、生で出された魚は刺身で食べるものだと思ってる。
 
 こんな話も。

 沖縄には「ダール」という言葉がありますこれは「…である。その通り」という意味。以前立川志の輔師匠と沖縄で僕の友人が運転する車に乗っていたときのこと。窓から見えた畑の作物についてぼくが友人に質問したんです。
 「あれ、ターウム(田芋)?」
 すると彼はこう答えました。
 「ダー。ダール、ダール! ターウム、ターウム」
 それを聞いた志の輔師匠がひと言。
 「おまえたち、どこの国の言葉でしゃべってるんだ」

 
 さもありなん。
 
 「おばちゃん、さっき買ったパン、腐ってたよ」
 「あんたが、早く買いに来んからじゃ」

 
 「天声人語」に触りだけ紹介されていた一文は、以下の一節だ。

「ヌチヌグスージ」【命の御祝事】
 1945年、島は沖縄戦による大きな痛手を負いました。本島中部の石川??住民わずか2000人足らずの小さな農村だったこの地には、家族を失い、家を焼け出された人々が集められ、人口3万人もの難民収容所の町となっていました。誰もが夢も希望もなく打ちひしがれるなか、
 「チャーピラサイ(ごめんください)」
 何家族もが押し込められた1軒のバラックの軒先に、忽然と現れた丸メガネにチョビヒゲの中年男は、開ロー番、こう言いました。
 「ヌチヌグスージ サビラ(命のお祝いをしましょう)!」
 ご存じの通り、沖縄戦で約19万人もの日本人が亡くなりました。そんな時期にこの男は、集落のバラックを訪ねながらこんなふうに語ってまわったのであります。
「生き残った人が元気でいなければ、死んだ人は浮かばれないよぉ。だから、命のお祝いをしましょう」
 そして、沈みきった人たちを前に、同行した若者に「トゥントゥン テントントン」と口でサンシンの伴奏をさせながら、あまりにも場違いで陽気な歌を歌い、キテレツな踊りを舞い始めます。誰もが泣いていた時代に、笑いを通して元気を届けた人??その人こそが沖縄初の漫談家、通称「プーテン先生」こと、小那覇舞天なのであります。

 
 本は後半になると、話が次第に現実味を帯びてくる。アメリカーに占領されたことで変わってしまった文化。それ以前に薩摩の侵略が沖縄の歴史に大きな影響を及ぼしたこと。
 
 沖縄特有の、ゆる~い雰囲気で、米軍基地に反対、いや、「基地がなくなるのに賛成」したり、泡盛のこと、りんけんバンドのことなどを、ひょうひょうと語りながら、ちくりちくりとスパイスを効かす。落語家らしい軽妙な語り口に引き込まれてしまった。
 それぞれ2~3ページの短い逸話は、どれも「ちょっといい話」ばかりだった。
 
◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの本を待っている人がいます◆
・お手持ちの原稿を本にしませんか。
・自費出版から企画出版まで。
・きっとあなたのファンが出来る本作り。
■ご相談はメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
*上のメールアドレスをコピーするか、右下の「□メール送信」をクリックしてください。




「南京 引き裂かれた記憶」を観る

2009年11月15日 | 映画
 渋谷アップリンクで上映されている「南京 引き裂かれた記憶」を観て来た。
 久しぶりに渋谷に出たが、どうも渋谷という街は好きになれない。人が多くて騒々しいだけでなく、歩いている連中に目的が見えない。ただ何となくぶらぶら歩いているのがやたらいるから、目的があって出かけてきた当方にとっては、邪魔なことこの上ない。
 したがって、NHKや渋谷公会堂(現CCレモンホール)に行くときは原宿経由で行くことにしている。似たようなものといわれればそれまでだが、渋谷経由よりはましだ。
 だが、今回はつい、渋谷で降りてしまったのだ。東急本店の先のアップリンクまでかなりストレスがたまる。
 
Nankinkioku
 
 この映画は、松岡環さんが10年以上かけて収集した、南京事件における元日本兵の加害体験と、中国の被害者の証言を映像化したものだ。
 松岡さんの成果は、これまで中国側のものがほとんどだった南京事件に関する証言に、加害者としての元日本兵の証言が加えられたことだ。
 松岡さんの仕事はすでに、「南京戦 元日本兵102人の証言」(2002年)と「南京戦 被害者120人の証言」(2003年)としてまとめられ、社会評論社から出版されている。出版当時はともに、賛否両論激しい論争をまき起こしたものだ。
 ひどいものは、証言した兵士が所属する33連隊も88連隊も、南京には侵攻していないなどという極論さえあった。
 
 南京事件、靖国問題、沖縄戦は、右翼がもっとも神経を尖らせる。ところが、「南京 引き裂かれた記憶」に関しては、右翼の妨害がまったくなかった。過去には右翼の街宣車が行列を作ったり、スクリーンが引き裂かれたり、上映館に脅迫電話が入るなど様々な妨害が行われて、かえってそれが宣伝になっていたのだが、この映画に関してはまったく右翼の反応がない。
 右翼も賢くなって、妨害行動は逆に宣伝になると気づいたか。
 
 映画に出演されている証言者の中には、すでに故人になっている方々も何人かいて、証言収拾のリミットが近くなっていることを感じた。
 証言者が高齢のために、映像との同時録音で聞くと、いかにも聞き取りにくい。字幕なしでは半分も理解できないのだ。
 日本全国のみならず、中国までも証言者を訪ね歩き、聞き取りにくい証言を本にまとめた松岡さんの努力に頭が下がる。
 
 映画は、南京事件にかかわる元日本兵と中国人被害者の証言が半々に振り分けられているが、とくに元日本兵の証言は大変貴重だ。心を許して話をしてくれているのは、松岡さんが女性であるせいかもしれない。
 自分の記憶だけにとどめ、墓に持っていくのがほとんどだろう。
 
 「いつ死ぬかわからないし、兵隊は皆若いから。そりゃ男だからねえ。50人くらいかなあ。上官は止めなかったね。憲兵? いなかった」
 強姦を経験した元日本兵の言葉だ。
 「病気を持っているかもしれないから、調べてからやれって軍医に言われた。やるまえに、カンカンって言うんだ。見せろってね。大丈夫そうなら、サイコ、サイコって言う。性交ってことだよ」
 「人間じゃない。獣になってたね」
 
 「揚子江を木っ端船で逃げてく人間をね、『あれを撃て~!』って、命令されます。タタタタタタって、小銃で撃つんです。生きてるものは皆殺せって」
 「捕虜? 殺しました。生かしとったら食わせにゃならんでしょう」
 
 「南京大虐殺なんてなかったっていう人がいますけどね、あれは間違いなくあったことです」
 
 悪いことだとはわかっている、しかし、あの状況では仕方なかった、という、証言者の苦しい気持が伝わってくる。もしそうした環境に逆らっていたなら、軍隊での彼らの立場は間違いなく悪くなっていただろう。
 
 「嫌なこともいっぱいあったけど、楽しいこともあった」
 ふと漏らしたこの言葉に、元日本兵の追い詰められた立場が映し出される。だれかを犠牲にすることでしか、楽しみはなかったのだ。表面的にはともかく、心の深いところで彼らは後悔している。しかしそれは、死んでも認めたくないのだ。
 
 生の声を聞いてもまだ、「あれは言わせられている」とか「ウソだ」とかいう人がいたなら、その人こそ感性が狂っている、と感じさせる映画だ。
 
 奇しくも、上映館内で松岡環さんにお会いすることができた。上映前に挨拶をなさっていて、終了まで待っていただいた。
 若い人たちにぜひ見てもらいたいとのことだったが、この上映も我々も含めて年配者ばかり。
 「ウザッタがられるかも知れませんが、若い人に勧めてください」といわれる。
 松岡さんは今年8月「戦場の街南京―松村伍長の手紙と程瑞芳日記」という新刊を社会評論社から出版している。これまでの証言は名前が伏せられていたということもあって、右翼から創作だの捏造だのと言われていきさつがある。しかしこの著書では実名で掲載することができたという。
 不覚なことに出版されていることに気づいていなかった。本多勝一さんや笠原十九司教授も言っていることだが、「あっち方は声が大きい、それにくらべてこっち方は声が小さい、もっと声を上げようじゃないか」ということは、出版社にも言えそうだ。
 
 「今回は右翼の妨害もなく、無事に上映できて良かったですね」
 「そうですね、期待してたんですが」
 やっぱり松岡さんは半端ではない。
 
 映画やパネルの貸し出しがあるという。松岡さんの講演付で、杉並でできないものだろうか。提案してみたい。
 
◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの本を待っている人がいます◆
・お手持ちの原稿を本にしませんか。
・自費出版から企画出版まで。
・きっとあなたのファンが出来る本作り。
■ご相談はメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
*上のメールアドレスをコピーするか、右下の「□メール送信」をクリックしてください。



岩村三千夫「三民主義と現代中国」

2009年11月13日 | 本と雑誌
Miwamura
 
三民主義と現代中国
岩村三千夫 著
岩波新書
 
 
 数週間前、出先で見かけた古本屋で手に取り、そのまま帰りの車内で読みはじめた。
 時代遅れな本だし、そんなに真剣に読むこともないと思い、バッグに突っ込んだまま、外出時の電車の中で読むだけだったが、読み終わってふと気づいたら、けっこう面白い本だった。
 
 この本は、1949年4月の発行である。中華人民共和国は、この年の10月に誕生した。
 したがって、タイトルの現代中国とは、今から60年前の“現代”である。であるから、執筆当時はまだ、毛沢東の共産党軍と蒋介石の国民党軍がせめぎあっていた。
 
 三民主義とは孫文による革命理論で、毛沢東の革命理論に通ずる。(「三民主義」上下巻 岩波文庫)
 孫文は、革命運動にその生涯を捧げ、しばしば日本に亡命した。
 1911年の辛亥革命で臨時大総統に選ばれたが、その立場をすぐに袁世凱に譲る。しかし袁世凱の軍政に反対してそれを打倒した。
 孫文は、清による「500万足らずの人口の満州族で4億の人口をおさえてゆくという異民族支配」から人民を解放するために国民党軍を組織し、国共合作をすすめたが、1925年、志半ばにして北京で没した。
 孫文の革命運動は、清からの解放と同時に、日本を含む列強の帝国主義から中国を防衛する行動でもあった。
 
 三民主義は三つの柱によって成り立っている。民族主義、民生主義(民主主義)、民権主義(社会主義)である。しかしそれは、三つの主義の寄せ集めではなく、一つの独立した思想体系である。
 このことは、胡漢民が実に上手く表現している。
 
 三民主義が、なぜ世界革命にもっとも適合しているかは、三民主義の連関関係の本質をみるときいっそう明瞭になる。(1)民族主義は民権主義的および民生主義的民族主義でなければならず、それによってはじめて帝国主義に変化しない。(2)民権主義は、民族主義的、民生主義的民権主義でなければならず、それによってはじめて虚偽のブルジョア民主政治に変化しない。(3)民生主義は、民族主義的、民権主義的民生主義でなければならず、それによってはじめて資本主義に変化しない。
 
 こうした明快な理論が現れた背景には、孫文の死後、三民主義が再解釈され、孫文が目指した、最終的な共産主義への移行を阻止する勢力が現れたことによる。
 
 毛沢東が中国革命を進める上で、孫文の三民主義をかなり深く研究したことは知られている。この本の著者岩村三千夫は、毛沢東の研究で名高い中国問題研究家である。したがって、毛沢東が孫文を検証するにあたって、毛沢東と孫文との共通点と相違点についても、上手くまとめられていた。
 
 共通点は、二つの主義(三民主義と共産主義)が中国民主革命の段階における基本政綱であることである。
 「孫中山が1924年にかさねて解釈した三民主義中の民族主義、民権主義、民生主義の三つの政治原則は、中国民主革命の段階における共産主義の政綱と基本的に同じである。」
 ここで毛沢東が、民主革命の段階における共産主義の政綱といっているのは、彼がその著書で全面的に究明している新民主主義の政綱のことである。
 孫文は、かれの独自の立場から、中国革命を三民主義革命として理解したが、毛沢東はマルクス主義の立場から、中国革命の現段階を新民主主義革命として性格づけている。

 
 孫文も毛沢東も自らの革命運動をヨーロッパの社会主義運動とはっきり区別しながら、孫文がマルクス主義を批判し、ブルジョアジーも含めた民主主義革命を目指したのに対し、毛沢東はマルクス主義の立場から、階級闘争を基本とした、弁証法的唯物論、史的唯物論の世界観を構築した。より具体性、より徹底をもとめたのである。
 
 わかりやすくいえば、最終的には共産主義国家の成立を目指していたはずの孫文の三民主義は、毛沢東の革命思想を生んだきっかけにはなったものの、中国国内の保守勢力によって都合よく再解釈されるという「スキ」があった。その結果が孫文死後の、封建思想を残したままの国民党政府誕生となったのである。
 毛沢東のいわば二元論(資本家対プロレタリアート)とも言える単純な世界観は、無学な農民を組織することに成功し、中華人民共和国の成立を成功させた。
 
 この本には当然、今の“現代中国”についての記述はない。この本を継ぐものとしては、同じ著者(野原四郎との共著)による「中国現代史」(岩波新書 1954年発行)があり、さらに天児慧による「中華人民共和国史」(岩波新書 1999年)がある。読み比べてみると面白いだろう。
 
◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの本を待っている人がいます◆
・お手持ちの原稿を本にしませんか。
・自費出版から企画出版まで。
・きっとあなたのファンが出来る本作り。
■ご相談はメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
*上のメールアドレスをコピーするか、右下の「□メール送信」をクリックしてください。




リレンザ

2009年11月10日 | 健康・病気
Relenza
 
 ついに、小学6年生のムリョーがインフルエンザにかかった。
 
 一昨日から咳が出始め、37度前後の微熱があった。今朝も咳がひどく、熱が37.6度あったので、学校を休ませて行きつけの成瀬医院に連れて行くことにした。
 普通この程度ならもう少し様子を見るところだが、幼児期に喘息の気があったので、こじらせると怖い。
 
 ネットで予約を取ったところ、なんと2時間半待ち。おそらくインフルラッシュなのだろう。
 
 昼過ぎにようやく家を出て、成瀬医院に向かう。
 受付で微熱があることと、咳がひどいことを伝えて待合室で待つことしばし。
 やはり待合室の中はマスクだらけである。
 
 「咳がひどくて。熱はたいしたことないんですけど」
 「いつから?」
 「一昨日からです」
 「検査しても、インフルエンザって出るかどうか微妙だわね。検査する?」
 「わからないんだったら、やっても仕方ないですね」
 「もう一度熱計ってみようか」
 
 熱を計りながら聴診器で診察。
 
 「雑音はないわ。丈夫になったわね」
 
 小さいころは気管支が弱くて、風邪を引くとすぐに呼吸困難になり、何度も救急車で運ばれた。
 体温計を見ると、39度!
 
 「あ、これは検査してもしなくてもインフルエンザ。一応検査しとくわね、ここに鼻かんでくれる」
 
 ティッシュにラップを重ねて鼻をかむ。なにやら検査用の器具に鼻水を塗り付けた。
 
 「かかりはじめだと出ないことがあるのよ。でもインフルエンザは間違いないから、奥の小部屋で待ってて」
 
 数分待つと看護婦さんが呼びにきた。

 「一発でA型って出たわ。タミフルかリレンザ、どうする?」
 「そうですね。こじらせると面倒なので、お願いします。リレンザで」
 「だいたいみんなリレンザっていうのよ。同じようなものなんだけどね」
 
 この先生は以前からタミフルびいきで、なにげにタミフルを薦めたがる。
 
 「じゃあ、クスリの使い方説明するから、さっきの部屋で待ってて」
 
 10分ほど待つと、看護婦さんがリレンザのセットが入った箱と、他に2種類のクスリを持ってきた。
 リレンザのセットには上の写真のようなものが入っている。
 手前の器具が吸入器で、青い蓋を外した状態。
 円筒形のケースに、その手前にあるUFOのような円盤が5枚入っている。
 円盤には4つのふくらみがあり、その中に白い粉が入っている。円盤ごと吸入器にセットして、中の粉末を吸い込むわけだ。
 白い粉を吸い込むなんて、なんかアブナそうな感じがするが、“チャーリー”ではないぞ。
 
 子どもの場合、一回分がふくらみ二つ。円盤1枚で2回分だ。
 リレンザもタミフルも、ウィルスの増殖を抑えるクスリなので、増殖が進んでしまってからでは効果がない。
 だから、インフルエンザの初期段階で使用する。
 
 できるならこうしたクスリは使いたくないのだが、ムリョーの場合は仕方がない。
 ほんとうなら今日は校外授業で裁判所に見学に行く予定だった。
 予定の東京地裁ではノリピー裁判の判決が行われていて、それが傍聴できるわけではないが、マスコミが押し寄せてくるシーンは体験できたかもしれない。
 また夜は、渋谷のマッスルミュージアムのマッスルスクールで、佐藤弘道お兄さんの特別トレーニングを受ける予定だった。
 ともに、欠席しなければならず、残念がっていた。
 
 リレンザ使用で、1日か2日で熱が下がり、それから2日後には登校できるそうだ。
 杉並区では医師の意見書は不要になった。学校で用意した欠席届(学校によっては登校届)に必要事項を記入し、登校時に担任に提出すればよい。
 
1_2
 
 以前、治癒証明書(意見書)なるものがまったく不合理だと書いたことがある。自己申告で医者に書いてもらって、それが500円なんていったい何なんだ、と思っていた。完治したことを診断するのは医者ではなく親なのだ。
 
 リンク→インフルエンザ「治癒証明書」

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの本を待っている人がいます◆
・お手持ちの原稿を本にしませんか。
・自費出版から企画出版まで。
・きっとあなたのファンが出来る本作り。
■ご相談はメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
*上のメールアドレスをコピーするか、右下の「□メール送信」をクリックしてください。



沖縄、21000人集会

2009年11月09日 | 国際・政治
 米軍普天間飛行場の移設問題で、県内移設に反対する集会が8日開かれた。
 会場の宜野湾海浜公園に参加した人々は2万1千人。
 
Kenminshukai
 
 先日、安次富浩さんも出演した「太田総理秘書田中」で沖縄から米軍を排除する提案が否決された。
 沖縄の人々と本土住民の間の温度差をあらためて感じた。
 沖縄にも基地存続を求める声があることはもちろん承知しているが、その理由は、基地からの収入で生活をしている人々が少なくないからだ。
 しかし、基地が返還された時には、これまでの収入の数倍が可能なことを裏付ける研究が進んでいることを知って欲しい。
 問題は、そこに移行する段階での国の補償なのだ。
 
 それ以前に、沖縄の現状を知らない人、というより、知ろうとしない人が本土には多すぎる。
 
 ぜひ、沖縄を訪ねて欲しい、そして「観光コースでない沖縄」を訪ねて欲しい。
 たとえば、辺野古の美しい海を一度でも見れば、そこを埋め立てて滑走路を造るなどということが、いかに気違いじみたことかがわかるだろう。
 船に乗って沖に出よう。そして、ずっと底のほうまで透き通って見える、熱帯魚が泳ぎ回り海藻の繁った海を見よう。
 
 高江はヤンバルクイナの住処だ。そんなところにヘリポートなど造ってはいけない。
 
 沖縄だけでなく、日本に米軍基地はいらない。
 もう、日米安全保障条約の時代ではないのだ。すでに、日本にとっては必要のない条約になっているのだから。
 
 沖縄では、子どもが安全に遊ぶことができないことを、本土に住む人々はほとんど気づいていない。
 
◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの本を待っている人がいます◆
・お手持ちの原稿を本にしませんか。
・自費出版から企画出版まで。
・きっとあなたのファンが出来る本作り。
■ご相談はメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
*上のメールアドレスをコピーするか、右下の「□メール送信」をクリックしてください。