ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

アースデイ

2014年04月21日 | ニュース
 アースデイは地球環境を考える日として、一般的には4月22日と設定されている。日本では、大気汚染や温暖化の問題がクローズアップされるようになった1980年代の後半にさまざまなイベントが開催されるようになった。当初は市民運動家の須田春海氏を中心にした事務局が、東京の麹町にあったが、現在は解散。須田氏はALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、療養中である。この病気は、先頃ドラマのテーマにもなった難病である。

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 日曜日、代々木公園で開催中の「アースデイ・フェスティバル」にカミさん連れで行ってきた。スリランカに井戸や幼稚園を建設するボランティア団体、ワンワールド・ワンピープル協会にカミさんともども関わっていた経緯があって、資金集めを目的に扱っている紅茶を買いに行ったのである。かなりの高級紅茶が、格安で入手できる。格安といっても、大量生産品のリプトンやトワイニングに比べたら数段に高価ではあるが。
 愛飲のヌワラエリアのほかに、ちょっとしぶ目のディンブラも買った。
 
 ベテランのボランティアが、最近のアースデイには違和感を覚えるという。ワンワールド・ワンピープル協会というのは、国境で区切られた世界を「ひとつの世界、ひとつの人類」という考え方のもと、貧困や医療による格差を少しでもなくしていこうという理念のもとに、20年以上前に立ち上げられた。少なくとも以前はそうであった。
 しかし現在は思想的にはノンポリ以外の何ものでもない。おおかたのボランティアが政治的には無知無関心である。その彼が言うほど現在のアースデイフェスティバルはあきらかにおかしい。
 ポリシーの一貫性が感じられないのだ。何のためにこんな盛大なイベントを開いたのか、企画意図がよくわからない。
 せっかくのメインステージも、ただの遊び場にすぎず、基調講演などは行っていない。だからステージ前の客はちらほら、まったくむだである。
 地球上のさまざまな問題を扱っている団体のブースもあるのだが、圧倒的に多いのは、いわゆる「物売り」。
 ブースを開くのに4万円もかかるという。かつては数千円でブースが開けた。費用が高額だから、赤字を出さないためには物を売らなければならない。だからどうしても物売りになってしまう。
 主催する側も、金儲け主義のにおいがプンプンする。赤字だといっているそうだが、それは大うそだろう。収益金はどこに行ってしまうのか。
 明確なポリシーのもとに、意図をもった企画を提案し、ブースもせめて書類審査ぐらいはしたほうがいい。靴売りや衣料品販売など、どうみてもアースデイのポリシーとはほど遠い業者が大量に紛れ込んでいるのだから。
 
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 そんななかであっても、オスプレイ問題を本土の人間に知ってもらおうと、高江や辺野古のブースがあった。並べられたグッズや、最近つくったらしいパンフレットを手に取って見ていたら、眼鏡をかけた真面目そうな若い女性が声をかけてきた。
 「辺野古をごぞんじですか?」
 「はい、何度も行っています。Aさんとは顔なじみです」
 「え、そうなんですか、わたしよりも詳しいかも」
 当然である。最近関わったボランティアと比較されてはたまらない。
 「辺野古はマスコミが報道していますけど、高江は本土ではまったく知られていませんからねえ」
 「そうなんです、だから知ってもらおうと思って」
 『けーし風』の集まりに誘っていたら、若い女性のふたり連れがやってきて、彼女はそっちのほうにかけよった。一生懸命である。
 「辺野古をごぞんじですか?」
 「知りません」
 話しているそばからこれだ。本土では高江も辺野古も知らない人間のほうが大勢を占める。
 この沖縄関連のブースをはじめ、自然エネルギーや原発関連のブースは、なぜか奥のほうに追いやられていた。入口近くのブースは物売りが大半である。
 オリンピック同様、アースデイまで商業化が進むとなるとこれは問題である。
 
 ワンワールド・ワンピープル協会のボランティアが、この状況をただすためにアースデイ事務局として戻ってきてくれと、カミさんを誘った。カミさんはもともとはノンポリだから、このボランティア団体には自分よりも合っている。それにかつては、先の須田春海さんのもとで活動もしていた。
 それにしても、ノンポリ団体に違和感を感じさせ危機感をもたらすようでは、アースデイも地に落ちたものである。


【訃報】G・ガルシア・マルケス氏

2014年04月19日 | ニュース
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 ガブリエル・ガルシア・マルケス氏が亡くなった。87歳だそうである。不足ない年令ではあるけれど、いつまでも生きていてほしいと思う人のひとりであった。
 代表作は『百年の孤独』(焼酎の名前ではない)『族長の秋』など。
 南米コロンビアに生まれ、『百年の孤独』が世界的ベストセラーになり、注目を浴びる。1982年にノーベル文学賞を受賞。
 
 おどろいた。なんと、ご存じない人がかなり多い、と感じた。カミさんに「ガルシア・マルケスが死んだね」と言ったら、「だれ? 作家?」。某社の若い編集者から電話があったので、ついでに話をしたら「はあ、そうですか」ときた。
 そんなに知られてなかったのか? 聞いた相手がたまたま知らなかったのか? いや、著書は読んでいなくても名前くらい知ってるでしょう、ふつう。いや、知っているほうがふつうでないのか、変なのか。
 報道ステーションで古館伊知郎が「『百年の孤独』を読んだことが、じつは自慢なんです」なんてことを言っていたから(つい吹き出した)、やっぱり世間一般ではマニアックな作家なんだろうか、と思ってしまった。

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 たしかに、この写真の旧版は訳が古いし、7.5ポイントという小さな活字の2段組でびっしり組まれていて、すこぶる読みにくい。300ページほどだけど最近の小説なら上下2冊になりそうなボリュームだ。組み直した新版が出てはいるが、それも無理に1冊におさめているので、そんなに読みやすくなったとは言えない。
 それにしても、マニアック(?)な作家にしては本がたくさん出ている。自分の蔵書だけでもこの他に数冊ある。
 
 『百年の孤独』も『族長の秋』も〝このおっさんなにを考えているんだ〟といいたくなるような、むちゃくちゃな話がこれでもかとばかり出てくる。
 娘が洗濯物と一緒に飛ばされて〝永遠に姿を消し〟てしまったり、大雨のせいで魚が部屋の中に入り込んで部屋中を泳ぎ回ったり。(『百年の孤独』)
 しかしまあ、たしかに、かなり根性を据えて読まないと挫折しかねない。古館伊知郎が自慢だという気持ちはわからなくもない。
 面白いけれど、すべて読み終えるには、半端ない根性がいるかも。


駅のホーム、小鳥のさえずり

2014年04月15日 | まち歩き
 まったく知らなかった。
 何十年も東京に住み、同じ駅を何度も使っているのに気にも止めていなかったことを知らされた。
 視覚障害のあるライターのS君を出版社に紹介するため、水道橋駅で待ち合わせた。
 歩きながらふと、こんな質問をしてみた。
 「S君は、ひとりでどこでもふつうに出かけているけれど、電車の乗り換えは不自由しないの?」
 「乗り換えはだいじょうぶ。ただ一度方向感覚を失うと修正するのがたいへんだけど」
 彼は、生まれながらの視覚障害者ではない。まったく見えなくなったのは10年ほど前だ。だから彼には、見えていたときの記憶があって、知っている場所ならば風景が浮かぶという。ただ、都心部はこの10年でだいぶ変わってしまっていて、かつて目印とされていた建物や店などがなくなっている例も少なくない。
 「はじめての駅だと、階段の位置がわからないんじゃない?」
 「鳥がさえずってるんだ。だれもそれを教えてくれなかったから、気づいたのは最近なんだけど、階段の上のほうから鳥の声が聞こえる」
 言われてみると、階段の上にスピーカーが設置されていて、断続的に鳥の声が聞こえる。
 「なるほど、それは知らなかった」
 「でもね、どの駅にでも鳥がさえずってるわけじゃないんだ。大きな駅、たとえば、新宿駅にはない」
 「ええ? 逆かと思った」
 「騒がしい駅で鳥がさえずっていても気づかないからね」
 「たしかにまぎれてしまうね。でも、何らかの工夫はほしいね」
 健常者なら、ただのBGMとしか思えないだろう。しかし、駅にそんな工夫があったとは今の今まで知らなかった。
 視覚障害というのは、障害の中でもことさら生活に大きな影響を及ぼす。それでも彼は、さまざまなツールを駆使して、文章も読むし原稿も書く。
 彼からこんなことを聞いた。
 「よく、目の見えない人の気持ちを知ろうなんてイベントがあって、目隠しをして街を歩いたりするよね。〝こわい、こわい〟なんて言ってるけど、実際に視覚に障害を持つと、ぜんぜん違うんだ。恐さとか不便さとか、目隠しして歩くのとはずいぶん違うもんだよ」
 周囲が思うほど、生活がたいへんではないのだそうだ。
 「わからなかったら、まわりの人に聞くから」
 
 最近は、周囲の光景を脳に直接伝える電子機具の研究がされているらしい。障害者のためのさまざまなハイテク機器は、彼らに健常者以上の能力をあたえる場合さえある。ハンディを抱えた人々が、ハンディを感じさせない時代がくることはそう遠くないかもしれない。
 


小林カツ代さんお別れ会

2014年04月01日 | ニュース
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 お知らせいただいて小林カツ代さんのお別れ会に行ってきた。
 帝国ホテルの富士の間に、たぶん千人近い人が参加していて、芸能人や著名人の顔もちらほら。
 発起人は小倉智昭さんや竹下景子さん等16人。取材のカメラが何台も入って、まるでテレビ局のスタジオに紛れ込んでしまったようだった。
 祭壇には太陽のような満面の笑顔のカツヨさんの写真が飾られ、まず一人ひとりが献花をする。
 小倉さんをはじめ岸朝子さんや竹下景子さん、大和田獏さん水前寺清子さんらが次々にカツ代さんの思い出を述べた。小倉さんは献杯の挨拶で、野良猫に餌をやるのを注意したことから、カツ代さんの機嫌を損ね、仲違いしてしまったままだったという逸話を打ち明けた「なんでおまえなんだと言われるかもしれませんが、私はカツ代さんが大好きでした」とのべ、場内を沸かせた。
 「お葬式っぽくしたくないので、楽しんでいってください」という主催者の意向通り、和気あいあいとした、湿っぽくないお別れの会だった。
 会場の隅には、カツ代さんのレシピでつくった「肉じゃが」と「ママポテトサラダ」が出されていた。とくに肉じゃがは、料理の鉄人のジャガイモ対決で、鉄人陳健一氏に勝利した一品である。いただきたかったが、並ぶのが苦手で人だかりが少なくなる頃をみはからって行くつもりであったが、飲み食いしているうちにすぐお腹がたまり、残念ながら諦めた。
 手みやげの中に、そのレシピが入っていた。料理というものはレシピが同じだからといって同じ味が出せるわけではない。カツ代さんの肉じゃがはカツ代さんにしかつくれない。レシピに従ってつくっても、似て非なるもの、それが料理の宿命だ。それでも、自分の手でつくってカツ代さんを偲びたいと思う。

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カツ代レシピの肉じゃが。画像クリックで拡大。

 ところで、今朝お別れ会の様子を報道した情報番組に、ちらりちらりと自分が写ってしまっていた。できるだけカメラを避けたつもりだったけれど、望遠で撮られていたようだ。