ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

トランプ流「バカの壁」

2017年01月31日 | 雑感


 「東京新聞」2017年1月31日付朝刊。
 何から何を守ろうとしているのか。
 
 クリントンではなにも変わらない。トランプが何か違いを創り出すのではないかと言う思いが、半信半疑ながら少なからぬ人々に期待をもたらしたことには間違いない。しかし、今後、アメリカ国民や世界が望むような変化が生み出されるのかといえば、就任から3週間が経って現在、どうも様子がおかしい。
 「彼はただのクレイジーだった」のか?
 それにしても、安倍総理の態度は、イギリス、ドイツ、カナダなどの首脳と比べて情けなさ過ぎはしないか。
 「アメリカ政府の決めたことに、口出しする立場にない」とは。まさにアメリカ追従を露骨に表しているではないか。
 
 それよりなによりトランプ大統領、任期満了まで持たないのではなかろうか。たぶん。
 次は、サンダースか?

オリバー・ストーン『スノーデン』を観る

2017年01月30日 | 映画

 
 NSA(米国国家安全保障局)職員、エドワード・スノーデンが米国最大の機密を暴露したのは、彼が29歳の時だった。
 2013年6月、イギリスの『ガーディアン』紙が報じたスクープは、アメリカ政府が秘密裏に構築した国際的な監視プログラムの存在だった。
 「誰を監視しているのか」
 「世界中全ての人間だ」
 
 これはまさに、ジョージ・オウエルが描いた『1984年』に匹敵するが、誰もが監視されていることに気づかないだけ、いっそう悪質である。
 携帯電話の会話は、100パーセント傍受されている。室内での会話はどこからどんな方法によって盗聴されているかわからない。いたる所に設置された監視カメラ以外にも、衛星画像やドローンなどで、必要とあればいつでも盗撮が出来る。
 アメリカの情報収集プログラムは、テロリストだけでなく、民間企業や個人にも及び、日本を含む同盟国まで対象になっていた。
 それだけではない、世界中全てのインフラを、遠隔操作で自由にコントロールできる。
 「日米同盟が破綻したら、日本は消滅するだろう」
 電気、ガス、水道、それに警察や消防、果ては病院の機能まで全て停止させることができるという。
 これはスパイ映画の話ではない、実際にアメリカが行っていたことなのだ。

 この映画の前に上映された予告編で、電気が全て停止してしまう「サバイバル・ファミリー」という映画の宣伝があった。洒落にならない。
 
 全世界の危機を感じたスノーデンは、並外れた能力に対するNSAやCIAからの多額の報酬と、輝かしいキャリア、恋人との安定した幸せな生活など、全てを捨てて重大な告発を決意した。
 
 もともとスノーデンは、コテコテの保守であったが、長年にわたってパートナーとして寄り添う、思想も趣味も真逆のリンゼイ・ミルズの影響で、ぶつかり合いながらも次第に自らの使命に気付いていく。強い絆を保ちながら、リンゼイを巻き込まないようにとハワイの自宅に残し英国での告発を決意する。
 
 国家反逆罪に問われ、米国に帰れば拘束され死刑は免れない。モスクワに亡命したスノーデンは、恋人のリンゼイ・ミルズを呼び寄せ、平穏な暮らしを送っている。
 
 エドワード・スノーデンとはどのような人物で、彼が暴露した重大機密とはどんなものなのか。そしてその機密とは、我われにどのような影響を及ぼす内容のものであったのか。日本国内ではあまり報道されていない実態がわかる、衝撃的な映画である。
 
 参考:「アジア記者クラブ通信」285号・286号(http://apc.cup.com E-mail:apc@cup.com) 

『けーし風』93号読者の集い

2017年01月29日 | 本と雑誌

 
 28日土曜日、沖縄発信の雑誌「けーし風」の読者の集いがあった。年4回、発行月の最終土曜日に開かれる。
 本号の特集は、「琉球弧の軍事化に抗するために」で、政府与党が計画している宮古島の自衛隊基地建設についてである。発行後に宮古島市長選挙があり、接戦の末、基地推進派の現職下地敏彦氏が三選を果たした。基地反対派の候補が2名立候補するという、分裂選挙になったために、推進派の下地氏を利するかたちになったわけだが、この結果を見て、自衛隊基地推進の民意が得られたと判断するのはお門違いと言える。
 
 基地が完成して配備される自衛隊員は最大800名。家族を含めると1500〜1600人くらいの人口増となるわけで、小さな島としてはあなどれない経済効果を生み出す。
 反面、マイナス効果はその経済効果をはるかに上回る。基地の施設建設にあたって、地下3〜4回のシェルターとも思える空間を掘り下げる。宮古島の生活水源は地下水なので。水脈に少なからぬ影響が出る他、基地から排出される汚染水によって地下水が汚染される危険をはらんでいる。つまり、基地施設建設によって、宮古島に人が住めなくなる可能性があるのだ。
 ほかに、基地があることで、かえって外国からの攻撃にさらされる危険も考えられる。説明会で自衛隊側は「何のために来るのか」という住民の質問にたいし、「皆さんを守りにくるのです」と答えたという。その答えが欺瞞であることはあきらかだ。莫大な資金を注いで小さな島を守るために基地をつくるわけがない。それに、歴史的経験から、軍隊が住民を守ったことはない。宮古島の人たちはそれを知っているはずだ。
 目的はただ一つ、日米安全保障条約にもとづいて、対中国の共同作戦を展開することである。
 経済か命か、その選択であったはずの市長選挙は、基地反対派が分裂することで失敗した。一枚岩になることは難しいかもしれないが、意地を張っている場合ではない。

これが「不時着」かよ?!

2017年01月27日 | 本と雑誌
 これが「不時着」なら「墜落」ってなんだ?
 沖縄から「刺激的」な写真雑誌創刊。
 

 
 26日、「アジア記者クラブ」の定例会で、その準備をしている最中に山内健治教授(明治大学政経学部、島嶼研究会)が大きな紙袋を下げて現れ、「刺激的なものを持って来た」と取り出したのが写真の雑誌、「ぬじゅん」創刊号だった。昨年12月に墜落し、政府もマスコミも「不時着」と言い張ったオスプレイの、バラバラに全壊した様子を米軍が撤去する前に水中カメラで撮影した衝撃的な写真が多数掲載されている。
「え、もうこんなの、作っちゃったの?」
 報道ならともかく、レイアウトや編集を必要とする写真雑誌はそれなりの時間を必要とする。大手出版社は別にして、零細企業の版元発行にしては早い。
 「ぬじゅん」とは沖縄の言葉で「載る」という意味なので、衝撃的な記事や写真をどんどん「載せて」行くぞという意味か。
「これから、刺激的な写真をどんどん出すから」
「これ、1冊もらえる?」
「年間購読申し込んでくれたらあげる」
 というわけで、年会費3000円だし、「ま、いいか」と隔月発行の写真雑誌を購読することにした。
 肝心の池田恵理子さんの講演中は姿を見せていなかったので、拡販のために現れたらしい。終了後の懇親会会場には、先に来て待っていた。この教授、こんなところが憎めない。
 (「ぬじゅん」問合:090-8292-1398 比嘉豊光)
 

 
 「アジア記者クラブ」1月定例会は、「女たちの戦争と平和資料館‐wam」館長の池田恵理子さん。
 池田さんが館長を務める資料館が、「朝日赤報隊」を名乗る人物から爆破予告を受けて3か月。「朝日赤報隊」とは1987年に朝日新聞阪神支局を攻撃し、記者を殺害した右翼テロリストである。したがって、ただの脅しとはレベルが違う。
 右派が神経を尖らす「天皇の戦争責任」「南京事件」「従軍慰安婦」問題を取り上げると、マスコミに対しても脅しや圧力があり、資料館も常に危険にさらされている。
 そのような状況のもと、マスコミの対応や政府からの圧力が、実際どのようなものであったのか、実例を挙げながらお話をうかがった。
 今、安倍政権は、「盗聴法」「共謀罪法」などを成立させ、セットで戦前の治安維持法に近い法整備を行い、憲法9条を無視して集団的自衛権を行使できるように、都合良く憲法の解釈を変更し、一歩一歩戦争のための準備を行っている。
 そうした道を歩むためにはどうしても、アジア太平洋戦争を「正しい戦争であった」ことにしなければならない。すなわち、「南京事件」「従軍慰安婦」のような戦争犯罪はなかったことにしなければならないし、天皇の名のもとに戦争を行うために「天皇の戦争責任」などを問われてはならないのだ。
 2001年には、「ETV2001」で予定されていた、「女性国際戦犯法廷」のドキュメンタリー番組が、放送寸前になってズタズタに改変されて放送された事件があった。しかもその番組改変には、当時官房副長官であった安倍晋三の圧力があったことが後に判明している。
 従軍慰安婦問題で活動する池田さんをはじめとした人々のことを、中国・北朝鮮のスパイだと中傷することは日常茶飯事である。
 なんとしても、国民に歴史の真実を知られてはならない、そのためには、マスメディアを萎縮させて報道を自主規制するように導き、資料館など多くの人々に情報を知らせる重要な機関である記念館や資料館の展示を破壊し、その上で教育と報道を抑えれば、国民をコントロール出来ると考えているのだろう。
 
 この定例会の詳細な記録は、3月発行の「アジア記者クラブ通信」に掲載される予定。

宮平真弥『琉球独立への本標』東京琉球館

2017年01月22日 | 本と雑誌

 21日、宮平真弥氏の『琉球独立への本標』出版記念講演が東京琉球館であった。
 実は、東京琉球館に足を運ぶのは始めてで、これまで何か用事があるときはメールか電話で済ませていたものだから、店主の島袋陽子さんとは初対面ということになる。
 名前だけは覚えていてくれた。ありがたい。
 

 (写真左が島袋さん、右が宮平さん)
 
 宮平さんとはアジア記者クラブでよくお会いする。この本は発行当初Amazonでの取扱がなく、東京琉球館にお願いして購入した。
 「本標」(「ほんしるべ」と読む)とは造語である。ブックガイドでは軽い感じがするというので、出版社が考えたそうである。
 沖縄関連の書籍、111冊を紹介している。この本を造るにあたって、宮平さんは111冊どころではないその何倍もの本を読破していることだろう。そのなかから111冊を選び、内容の紹介とともに、現在の沖縄のあり方を見ていく、というものだ。
 「時間があるんだなあ、羨ましい」と言ったら、「確かに時間はありましたが、9時5時で仕事をしている人には無理だと思います」という。
 興味深い本が満載で、僕自身が何らかのかたちで触れたことのあるものは、このうちの三分の一程度に過ぎない。中には入手困難な本も含まれていて、後田多敦さんの『琉球の国家祭祀制度』などは、Amazonの中古で85,000円などというとんでもない値段がついている。
 
 選ばれた本は、沖縄に関連するものではあるが実に多様で、辺野古、米軍基地すべて、慰安婦(知らない人が多いが、戦時中沖縄にも慰安所があった)、歴史などさまざまな角度から琉球独立への道をさぐる。
 
 最近は米軍機の墜落事故(不時着と言っている)や女性への暴行殺害事件などが多発している。そのたびに再発防止だの綱紀粛正だのと言葉ばかりの「お詫び」があるが、何一つ解決どころか改善すらされていない。オスプレイの墜落事故後も原因が究明されないまま訓練が再開され、日本の安倍政権は、「アメリカが安全というのだから安全」などと、住民よりも日米関係を優先する。それは、ヤマトのウチナーに対する構造的差別が根底にあるからに他ならない。
 沖縄からすべての基地をなくし、戦前のように平和な沖縄を取り戻すためには、ヤマトの政府に期待してもらちがあかない。日米安全保障条約も、それにもとづく日米地位協定も、日本とアメリカの政府が自分たちの都合だけで沖縄を無視して取り決めたことだ。だから、沖縄が琉球国にもどり、日本から切り離されれば安保も地位協定も無効になり、すべての基地はなくなる。琉球独立論はそんな発想から自然発生的に生まれた活動である。
 
 宮平氏によると、沖縄県内でも独立派は10パーセント程度に過ぎないと言う。返還から半世紀近くが経った現在でも、基地経済と決別することに不安を感じる住民もいる。したがって、「米軍特権や思いやり予算も廃止し、米軍にとって居心地の悪い状態を作る必要がある」(本書65ページ)ということが、現在の政府のあり方を見ると困難だし、沖縄の商店や飲食店が、米軍関係者の出入りを拒否するのも、一見有効に感じられるが、売り上げの維持を考えると、それも不安になる。
 琉球新報の新垣毅氏が言っていたが、「本土の人間が、沖縄の経済状況を理解することなく、軽々しく琉球独立などと言って欲しくない」という意見も一理ある。
 ただ、いつのことになるか分からないが、琉球国は独立することが理想であると、僕は思っている。
 
 しかしこの本、タイトルも装画もいいのに、何とまあ安易なデザインか。まるで学校文集の表紙だ。「この装幀家、使えないなあ」といったら、版元の人が来ていて、えらく機嫌を損ねた。

『この世界の片隅に』が1位

2017年01月18日 | 映画

 
 『この世界の片隅に』がキネマ旬報の2016年ベストテンの1位になった。
 2位が『シン・ゴジラ』で『リップヴァンウィンクルの花嫁』も6位に入っている。
 僕が昨年、高く評価した映画が3本ランクインした。
 一般の映画ファンは不思議に思うかもしれないが『君の名は。』はランクインしなかった。
 選出者がへそ曲がりだからではない、内容で評価すれば、この順位はまったく妥当だ。
 まあ、『シン・ゴジラ』が1位でもおかしくなかったと思うけれど。
 
 「キネマ旬報」は、月2回(上旬下旬)発行の、日本で最も古い映画雑誌である。さらに、キネマ旬報ベスト・テンは世界最古クラスの映画賞でもある。
 発足当時(1924年)は外国映画が対象で、まだ発展途上にあった日本の映画は評価の対象にならなかった。
 日本映画の賞が設けられたのは、それから2年後のことである。
 そして、20016年のキネマ旬報ベストテンは、第90回になる。
 第1位にアニメが選ばれたのは、『となりのトトロ』以来で28年ぶり。日本のアニメで僕が最も高く評価したい宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』は2001年の第3位。
 今回ランクインした中で、7位の『湯を沸かすほどの熱い愛』、10位の『怒り』も観たかったのだけれど、多忙にかまけてスルーしてしまった。DVDかCSで観るしかない。
 
 ところで、かすりもしなかった『君の名は。』だが、ファンは納得していないらしい。
 「意図的に除外された」とか、「選考基準がおかしい」などの批判がネットに溢れているけれど、これは選考基準が人気や興行収入よりも、内容重視で選ばれるためだから、批判は見当はずれである。見てくればかりで中味がすっからかんの映画がランクインするはずなどない。
 選考委員は120人前後で、映画評論家や新聞記者、映画雑誌編集者など、毎年数百本の映画を観ている人たちである。
 それぞれが1位から10位までを選ぶ投票制なので、他の映画賞のように会議ではないから、他人の意見に左右されることがない。
 だから、「意図的に外す」などということはあり得ないのだ。
 すなわち、映画をよく知っている人たちが個人の基準で選ぶので、マスコミの勢いや興行収入はほとんど選考基準にならない。
 
 1位になった作品は、今後、世界中で上映される。片渕須直監督は、世界中を飛び回って忙しくなる。そのための費用もクラウドファンディングだそうだ。
 すでに結構な金額が集まっていると聞く。ミーハー好みの『君の名は。』ではそうはいかないかも。
 

『通販生活』ご乱心?

2017年01月15日 | 日記・エッセイ・コラム


 通販生活の春号が送られて来た。
 表紙を見てビックリ!
 
  私たちは今年、
  トランプさんを
  ブームにしてみせる。
  力を込めてトランプさんを
  売りまくってみせる。
  がんばれ、トランプ、
  通販生活がついているわよ♥
 
 そして、トランプヘアの猫の写真。
 なんじゃこりゃ! 
 と思ったら、
 

 
 カードマジックのことだった。あービックリした。
 
 これからアメリカがどうなって行くのか、ブラックな興味はあるけれど、応援する気にはなれない。
 かといって、これがクリントンだったらもっと応援できない。
 サンダースに、もう少し頑張って欲しかった、とつくずく……

難病もの

2017年01月13日 | 雑感
 「一リットルの涙」を観た後、ふと思った。
 いわゆる“難病もの”といわれる映画やドラマは実に多い。しかもそこそこ話題になり、ドラマでいえば視聴率、映画ならば一定以上の興行収入を得ている。中にはメガヒットと呼ばれるものもいくつかある。
 

 
 思い返せば、…あくまでも自分の記憶の範疇であるが…最初に観た“難病もの”の映画は、吉永小百合主演の『真白き富士の嶺』(1963年)だった。
 吉永小百合だから観に行ったのであって、内容はどうでもよかったのだが。きっと印象深かったのだろう、それから何十年も経っているのにいくつものシーンを記憶していた。
 朝、鏡の前の自分に向かって「早起きは三文の徳よ」と語りかけるシーン、枕元におかれた新潮文庫のケッセルの『昼顔』…などなど。
 それが去年、CS放送で偶然観ることができてなんとも懐かしかった。台詞も場面もかなり細かいところまで記憶していたのには驚いた。
 病名は当時不治の病と言えば定番の白血病。
 ちなみに、歌で有名な逗子開成中学校のボート転覆事件とは何の関係もない。
 この年、あの有名な『愛と死を見つめて』が出版され、400万部の大ベストセラーになる。
(ウィキペディアには160万部とあるが、河野実さんいわく400万部は出ていたそうだ。たぶん出版社が印税の操作をしたのではないか。公称と実売が異なるのはよくあることだ)
 これがそもそも、後の“難病もの”の先駆けであった。
 近年、著者の河野実さんにお会いしたときに、「ずいぶん印税が入ったでしょう」と聞いたら、当時学生であった彼の収入は不労所得扱いになり、大半が税務署に持っていかれて、手にした印税は雀の涙だったと言う。
 「経費として認められたのは、筆記用具と原稿用紙代の8000円だけ」だったそうだ。
 映画は吉永小百合、ドラマは大空真弓主演(ともに1964年)。だから吉永小百合は2年連続で“難病もの”の映画に主演したことになる。
 2006年には広末涼子と草彅剛で再ドラマ化された。草彅がジャニーズなので、これも再放送がない。
 それから、『世界の中心で、愛をさけぶ』『いま、会いにゆきます』『美丘』などなど、“難病もの”が続々と登場し、いずれもヒットした。
 日本人はウルウルしたい民族なのだ、とつくづく思う。
 
 それはそうと、“難病もの”で病気になるのはおおかたが女性。どうやら男が病気になっても感動は生まれないらしい。これはある意味性差別ではなかろうか。
 先日出版社での打ち合わせ後の雑談で、沖縄戦のひめゆり学徒は有名だけど、鉄血勤皇隊の健児の塔は知らない人が多いという話が出た。年齢は同じくらいで、犠牲者数は鉄血勤皇隊の方が多い。なのに人知れず、沖縄の慰霊碑はひめゆりの塔に比べると、ひっそりしている。まあ、行きにくい場所にあることも原因のひとつだと思うが、それ以上に、女性の方が悲劇的に見えるということだ。(元沖縄県知事の大田昌秀さんは鉄血勤皇隊の千早隊=情報宣伝隊=だった)
 すなわち、日本はまだまだ男社会であるということだ。

念願の…!『1リットルの涙』

2017年01月10日 | テレビ番組


 念願の『1リットルの涙』DVDボックスをついに入手た。
 それも、ヤフオクで落として、支払いはTポイント。賢い!?
 
 さまざまな賞を受賞し、人気も高かったこのドラマ、しかも沢尻エリカ主演なのにオンエアで観ていなかった。
 なんてこった! CSでの再放送を待とう、と思ったが、ジャニーズが出ているので、いくら待ってもCSではやらない。これはレンタルするか買うしかないのだ。が、マイペースで観ることの出来ないレンタルは嫌いだ。しかし買うとなると、中古でも8000円弱、いささか躊躇する。(定価は2万円以上する)
 ところがふとしたチャンスから、Tポイントをごっそりもらったので、それを使うことができたのだ。
 
 このころ、沢尻エリカは20歳前(たぶん)で、15歳から25歳を演じている。
 若い頃から芝居がうまかったし、清純そうで可愛い。後の「エリカ様」からは想像もつかない。
 しかしまあ、エリカ様はエリカ様でいいのだ。それも、沢尻エリカなのだから。

 あ、ドラマの話。
 実話だそうである。不治の病の話は昔からよくあるパターンではあるけれど、周囲の人間関係を、さまざまな角度からこれほど丁寧に描写したドラマはあまりない。確かに名作だ。雑なドラマばかり創って視聴率を落としている今のフジテレビの、なんという凋落。
 
 亜也(沢尻エリカ)は中学3年の時、頻繁に転んでしまったり、ものを取り落としたりするなど体の異変を訴え、受診した医師から、「脊髄小脳変性症」と診断される。手足や言葉の自由を徐々に奪われながら最後には体の運動機能をすべて喪失してしまい、やがて死に至る現代の医学には治療法がない難病である。
 亜也はその病気を自覚し、周囲の心ない視線に耐えながら、明るく、「今出来ること」を精一杯実践しながら、過酷な現実との間で生きていく。
 
 高校受験の日に偶然出会った麻生遥斗(錦戸亮)と、亜也が中学時代からの憧れる先輩河本祐二(松山ケンイチ)との態度の違いは、もし、自分の恋人が難病に犯されてしまったら、どうするか……と男性視聴者に問いかけているような気がする。
 
 陣内孝則が単純で子どもじみた父親を演じ(いささかウザッタイが)、薬師丸ひろ子が看護師の経験がある聡明な母親を演じる。妹役の成海璃子は、美人で頭のよい姉にずっと嫉妬していたが(毎回の最後に写真が出る実際の亜也もなかなか美人だ)、姉の病気が判明してからは、家族の絆を強める重要な役どころをうまく演じていた。まだ子役に毛が生えた程度の年齢だったろうが、難しい役を上手にこなしている。
 実話がもとになっているだけに、周囲の人間達の亜也に対する視線は、「さもありなん」と思わせることばかりだ。
 
 ドラマを一気見したのと、新しく書棚を入れ本の整理して1日終わってしまった。はみ出した本の山を片付けたかったのだが。結局ほとんど収まりきれなかった。ちょっぴり後悔。
 明日は出版社で打ち合わせ。また仕事が遅れる。まずい!

これぞ『パッチギ! LOVE&PEACE』

2017年01月07日 | 映画

 
 前作より百倍もよい!
 井筒監督が最初から撮りたかったのはこちらではなかったのか。
 ソフトタッチでヒットさせ、第2作で主張を明確にする、井筒監督の戦略か。
 
 前作から6年後にあたる、ヴェトナム戦争終盤の1974年。アンソン(井坂俊哉)一家は息子(チャンス 今井悠貴)の難病治療のために東京に移り住んでくる。
 ふとしたきっかけからキョンジャ(中村ゆり)が芸能界入りするが、自分の出自を隠さなければ仕事がない世界で、自らと葛藤しながら、それでもチャンスの治療費を稼ぐためにと、プロデューサーに取り入って大作映画のヒロインを勝ち取るのだが……。
 
 メインキャストは前作からほとんど変更され、ヒロイン、リ・キョンジャも沢尻エリカが出演を固辞したため、オーディションで中村ゆりに代わった。
 この撮影が行われた当時、沢尻エリカは年間5本もの映画を撮っており、続けて主演の『クローズド・ノート』が決まっていて、その作品発表会で素っ気ない態度をとったのは、忙しすぎてそうとう苛ついていたのだろう。断ったのは、映画の内容が理由ではなかったらしい。
 
 『パッチギ! LOVE&PEACE』では、前作では抑さえられていた民族差別や強制連行、従軍慰安婦問題などが扱われている。
 主軸の彼らの親の世代が描かれ、朝鮮の男達が日本軍に徴兵され、強制的に天皇への忠誠を誓わされたり、炭坑での強制労働に送り込まれるなど、当時の時代背景をしっかり描くことで、前作では不明確だったキョンジャ達のバックグラウンドが簡単ではあるが説明されている。
 南方に送られた朝鮮人達は、先住民が急造された神社の前で、日本の天皇に向けた拝礼をさせられているのを目撃し、唖然とする。
 
 キョンジャが体を張ってヒロインを射止めた戦争映画はひどいものだった。日本の戦争を正当化し、特攻を美化する、安倍晋三が大喜びしそうな映画である。キョンジャは納得できない台詞を変えるように監督に申し入れるが聞き入れてもらえない。プロデューサーも主演俳優も、キョンジャの味方にはならなかった。
 そしてその映画の舞台挨拶で、キョンジャはついに自分が在日朝鮮人であることをカミングアウトする。
 父が日本人から差別的な扱いを受け、日本軍による強制連行から逃れたことなど、自分が映画の内容に納得していないことを語った。
 会場は騒然となり、「朝鮮人は帰れ」と野次を飛ばした差別主義者のグループとアンソンたちのあいだで大乱闘になる。
 それにしても、キョンジャのカミングアウトシーンは感動的で、「よくぞ言った!」と喝采を送りたくなった。映画館ならそうしたかも知れない。
 
 余談だが「李」を「イ」と発音するのは韓国語で、朝鮮語では「リ」となる。李一家が日本に渡ってきた当時、朝鮮半島は日本の占領下にあり、南も北もなかった。したがって映画のクレジットでは、李慶子はリ・キョンジャになっている。

なぜか観ていなかった『パッチギ!』

2017年01月04日 | 映画

 (『パッチギ!』2005年 (C)2004「パッチギ!」製作委員会)
 
 当然観ていていいはずなのに、見落としている映画が少なくない。『パッチギ!』もその一つ。
 井筒和幸監督作品で2005年公開。翌2006年には韓国ソウルでも公開されたという。
 ブックオフにDVDが950円で出ていたので買って帰り、その勢いですぐに観た。仕事をはじめてしまうと観ずに積み上げてしまうからだ。
 正月だというのに原稿を読んでいる……やれやれ。
 
 京都の朝鮮高校と、対立する普通高校の生徒との葛藤と恋と友情を描く。日本版『ウエストサイド物語』である。
 この映画で言う「朝鮮」は必ずしも北朝鮮をさすわけではなく、朝鮮半島一般を指す。
 
 日本人の高校生松山康介(塩谷瞬)は在日朝鮮人の少女リ・キョンジャ(李慶子 - 沢尻エリカ)に一目惚れする。
 日本人と朝鮮人にまつわる民族問題が主軸でありながら、激しい差別的言動は押さえられている。
 最近、ヘイトスピーチ問題など極端な民族排斥主義が取りざたされているが、実際、現実的には表立って露骨な差別表現をする人間は少数である。もっとも、根の深いところで差別意識が隠れているものはすくなくない。だから、それらを総合して、この映画での表現はリアルだ。
 時代背景は70年安保闘争当時のことで、学校の先生が授業に毛沢東思想を持ち出すなど、世相を反映している。その先生が、朝鮮高校との友好関係を深めるためにサッカーの試合を提案するのだが、試合中に喧嘩が始まってしまい、目論見は破綻する。
 
 映画の製作に当たって、朝鮮総連の協力があったためか、公開当初から「朝鮮総連翼賛の宣伝娯楽映画」などという批判があったらしいが、一般的には高い評価を得てヒットした。
 同時に、音楽監督の加藤和彦によって作品内で使われた「イムジン河」や「あの素晴しい愛をもう一度」が実に効果的で、映画の質を高めた。
 この「イムジン河」という曲、レコード会社が「政治的配慮」から発売を中止し、同時にほとんどの放送局も、放送も自粛してしまった。映画内ではその事実とともに、地元ラジオ局が「放送して悪い歌などあるか!」とオンエアする。
 
 北と南だけでなく、日本と朝鮮の壁も取り払ってしまう若者パワーに感動。
 
 ただ、日本と朝鮮の間にある歴史問題についてはほとんどふれられていない。文化の違いについても、もう少し説明があってよい気がした。
 そう思っていたら、この続編とも言える『パッチギ! LOVE&PEACE」では彼らの父親世代のことについても触れていて、「朝鮮人強制連行」など、政治色が多少強くなっているようだ。こちらも是非観てみたい。
 ところが、マドンナのリ・キョンジャ役を沢尻エリカが断ったと言う。何が気に入らなかったのか。その代役として、在日コリアンの中村ゆりが演じている。
 沢尻エリカが、もし朝鮮・韓国に偏見を持っていて民族問題に引っかかっているとしたら、残念なことだ。

初詣、神田明神

2017年01月01日 | 日記・エッセイ・コラム

 
 もう、ほとんど慣例になってしまって、どうしても行かなければ一年が始まらない気がする。
 初詣に行こうと行くまいと、時間はおかまいなく過ぎていくものなのだが、行かずにいるとなんだか忘れ物をしたようで気持ちが悪いのだ。
 神田明神詣でを始めた数十年前は、今ほど長い行列ができてはいなかったと記憶しているが、最近は1時間ほど並ばなければ神殿にたどり着かない。
 アシのYなどは絶対に行かないと言う。
 ただひたすら立っているわけだから、時間がもったいないだけでなく、かなり腰にくる。
 しかしまあ、この行列に耐えられなくなったら、人生終わりだろうと思っている。
 
 そうした中で、ここ数年姿を見かけなかった薬研掘のおばさんが屋台を出しているのを見つけてほっとする。声をかけようと思ったが、家に七味はうんざりするほどあるし、大変な人込みなので、心の中でおめでとうを言って帰路につく。
 

 
 御茶ノ水駅の聖橋口を出て神田明神に行く途中、橋を渡ったところに湯島聖堂がある。
 ここにには、近代教育発祥の「昌平坂学問所」があった。
 御茶ノ水周辺に数々の大学な集中しているのは、この学問所を起点として起こされたからである。
 絵馬はすべて合格祈願だ。
 

 
 学問所は、聖橋から見えるこの坂沿いにあった。都心にありながら、人通りの少ない閑静なたたずまいだ。正月だからだ。普段はもう少し人通りがある。
 

 
 ドラマや映画でよく見かける、聖橋から御茶ノ水駅を望むアングル。
 右が中央・総武線の御茶ノ水駅。手前から斜めに掘り割りを渡るのは、地下鉄丸ノ内線の地上露出部分。丸ノ内線はトンネルが浅いので、ちょっとした起伏で地上から出たり入ったりする。
 奥の陸橋は総武線、その向こうは秋葉原。中央線、総武線、地下鉄がワンカットで写り込んだら最高のアングルだが、それを待って撮影するほど物好きではない。
 女子高生らしき集団が、このアングルを撮影してキャッキャと騒いでいた。こいつら、「聖地巡礼」に違いない。しかし、「君の名は。」にこのシーンはなかった気がする。何のアニメだろうか。
 それにしても何が面白い。