monologue
夜明けに向けて
 



日本将棋連盟ロスアンジェルス支部のブログによって1996年、羽生対谷川の海外竜王戦が当地で開催されたのを機にロスアンジェルス支部が結成されたということを知った。それまでのロスアンジェルスの将棋の歩みが知られていないので記しておく。ロスアンジェルスの将棋クラブは小東京(リトルトーキョー)の「マジックラジオ」レコード店主最相浩(さいしょうひろし)氏によって種が蒔かれ運営されていた。最相浩氏は日本将棋連盟の支部にはならないで孤軍奮闘して将棋を支えていた。将棋大会はユニオン教会の地下を借りて細々と行われてその結果などを羅府新報や加州毎日に掲載していた。そのころ日本から普及に来たプロは田丸昇氏石田和雄氏中田章道(なかだ しょうどう)氏など。その後小東京は開発され日米文化会館が建造されてその中に羅府棋院という囲碁将棋の道場ができた。そして1985年に米長対勝浦の棋聖戦の海外対局開催に合わせて木村義徳、武者野勝巳、西川慶二の各氏が普及、ホテルニューオータニでの対局場準備に乗り込み、大山康晴15世名人をはじめとする数多くの棋士が来羅し賑わった。ロスアンジェルスの将棋界にとってこのイベント開催は大きかった。
fumio


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