monologue
夜明けに向けて
 



 1より10生きる者には、大いなる啓示と大いなる助力が与えられ、
 1であることの意味や、1である以前の数字にこだわる者には、
 果てのない薄闇が与えられるだろう。
 門は、もうじき開けられるのだから・・・・・・
(92/08/30ARION これから生きる者達へ)



この最終連の「1より10生きる者には、大いなる啓示と大いなる助力が与えられ、」まではなるほどと思わせるが 「1であることの意味や、1である以前の数字にこだわる者には、 果てのない薄闇が与えられるだろう。」にはあれっと思う。

「1であることの意味」を知ろうとするのは超えてはならない一線を超えることになるのか。「1である以前の数字」とは普通は0のことだろうが零か無ということだろうか。
それは空といったり虚と記したりする概念のことだろうか。ここですでにどうどう巡りを始めてしまう。それは哲学や宗教の分野に入り、人がこだわっても突き止めることのできない「果てのない薄闇」なのかもしれない。
「1であることの意味」とは神の存在、宇宙の根本を問うこと。
ルネ・デカルトは自己の存在証明をするために「方法序説」の中で「我思うゆえに我ありcogito, ergo sum(コーギトー・エルゴー・スム)」と述べたがわかったようでわからない。普通はそんなことを証明しようとは思わないが自分の存在を証明するのは難しい。
無であるかもしれないし1であるといえるのか薄闇のまま…。
考え出すと果てがない。今はもうじき開けられる門に意識を向けるしかないのだろう。
fumio


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