monologue
夜明けに向けて
 



(7)肉体でSHIPに乗る場合は、その生命のある間は再び地球上に帰ってゆくのは不可能だ。地球上に再び、その人生内には帰れない事を知った上でSHIP上での適応手術を受けるのだ。この適応手術は、かなり難しい手術で個体によっては拒否反応を起こして生命を失ってしまうので、本人の固い決意と勇気がなくては実行不可能だ。その個体々々によってその人生での目的や、実行するべき使命を果たす機会を失うかも知れないのだから。

(8)何度転生を繰り返してゆこうとも、あなたがたの根底の魂の部分は全てを覚えている。魂の部分は総てを覚えているにしても、肉体を持って生命を維持してゆく上で、それがどんな惑星上であっても以前の記憶は持たない、或はハッキリとしない記憶しか持たない事になっているのだ。
何故ならば人生とは修業の場であり、色々の場面で自分がどう対応し何を選択するか、今までの人生で学んだ事が前生の記憶をハッキリ持たずとも、何度も失敗を繰り返すことによって、体得という形で如何に本能に組み入れられているかを、自分で試す場でもあるからだ。

(9)我々はしばしば、多数の人間の集まる(何千人、何万人という人の集まるコンサート会場や初詣客の集まる神社など)上空へ我々の機動母船を出動させる。
これら多くの人々の思念エネルギーを、有効なエネルギーに変換させるのが目的だ。これらの多数の人々の想念の作る波動の渦は、方向を定めてやらねばプラス・エントロピー方向の破壊へと溢れ出す可能性が高いので、我々は出来るだけ渦を高く引っ張って、我々の作る波動シャワーのフィルターを通してから再び地上へと還元する方法を取る。目的の異なる多数の人々の想念エネルギーは活用する前に、方向付けをしてやる必要性があるのだ。

(10)太陽系の惑星に生物が存在しにくいと判断している科学者達は、まず地球上の物質的な事象をモノサシとしてしか、判断出来ない事実を知るべきだ。
自分の家のやり方が、隣の家のやり方と違うのと同じで、この小さな太陽系の中でさえ、数々の惑星にその惑星毎に決まりがある。

 金星の都市は地球上のどんな天体望遠鏡でも、見る事は出来ない。何故ならば、可動性の都市なんて、地球の人々からは想像できないからだ。
殆どの惑星が持っている地下都市の話を、聞いた事が無いか?
地球上の人型生物だけが高等生物では無い。
その惑星毎に適応し進化を遂げた生物が人型生物で無いとしたら、高等生物が存在しないと言い切れるのだろうか?
地球上で鉱物・植物と分顆されているものが、他の惑星上では異なった分頬をされている事を考えられない科学者達は、あまりにも偏狭な判断力しか持っていないのでは無いのだろうか?

大体、金星の上空温度を計測して灼熱の星だと決定してしまうのだからね。
地球だって成層圏の辺りを計測したら灼熱の星だ。とにかく自分達のモノサシだけが万能・完壁だと思う事から止めなくてはならない。


(11)コンタクティとなるかとうかは、それぞれのカルマの清算率と我々からの波動指導伝導率などの比率計算が、複雑に絡み合っているので、簡単にカルマの結果という風には言い切れない。大脳新皮質で感知出来る部分だけが、あなた方の求めている事では無い。人は何度も生まれ変わって修業をして、最終的には仏教などで言う、菩薩行という自分よりも他人の為に働く方向を取る様になるのが、自然な方向だ。
                              
 コンタクティになるには、現象面でのあらゆる事を犠牲にしてゆくだけの覚悟と自覚と力が必要なので、菩薩行の中でも非常に波動の高い行為である。
この道を選ぶに至った地球人は、それだけカルマの清算率も高いと言える。
だから、あなた方はプロジェクト終了後に『光の中の光』に戻る権利を与えられているのだ。

(12)『あいまい』について語ろう。
 この問題は、我々にとっても非常に興味のある問題であるが故に、我々なりに以前から調査して来たが、あなたがたの言う『あいまい』と我々の調査した『あいまい』とは多少のズレがある様に見える。
日本の文化は『あいまい』さを含有する文化である事は確かだ。それは、あなたがたの指摘する様に、純日本建築の内部と外部に境界線を持たない点や寺社仏閣・墓地などの建築様式などにも見受けられる。
 日本料理の指南法にも、スポーツの世界にも見受けられる.それらは、モノサシとなるものを持たず、ただ先達の見様見真似でどこかに『あいまい』さを残している指南法であったり、内外の区別をつけないで広がりを持たせた建築法であったりする訳だが、では何故この様な文化が発展したか?ということになると、恐らく答えられないだろう。
我々の調査では日本人のテレパシー能力に理由があると見ている。
元々、日本人は特殊な人種で他のどの国の人種よりもテレパシックな会話のコツを心得ていたのだ。会話の中の『あいまい』な部分は、お互いに相手の気持ちを思いやって《音声》にしないで済ます方が良いと思われる部分であった。

 日本には『言霊学』と呼ばれるものがある程に、《音声》に気を使う人種であった。《思い》がひとたび《音声》になった時に、その波動が相手の心を傷付けるに足るはどの力を持つ事や、発声された《音声》がブーメランの様に最終的には自分の所へ帰ってくる事などを知っていた為に、言葉に気を使う人種として発展したのだ。つまり、あなたがたの言う様に「自分の意志をハッキリさせない方が人間関係の摩擦を起こさずに済むから」~『あいまい』な言動をする訳では無かったのだ。
お互いにハッキリと言わない方が良いと知っている事については《暗黙の了解》という形でテレパシックに理解しあっていた。何故ならば『言葉』は武器であったからだ。総てを受け入れ、立ち去るを拒まないのが日本建築の基本であったのだ。

しかし、現在は日本人のテレパシックな能力は地に落ちた感がある。
それは欧米風の生活様式と食形態を取り入れた頃から、ひどくなった。
誤解しないで貰いたいのは、我々はいわゆる『国粋主義者』の肩を持っている訳では無いという事だ。
『あいまい』が『ごまかし』と同義語になってから久しい。
『あいまい』は『ごまかし』では決して無い。『あいまい』には愛他精神があるが、『ごまかし』には無い。

 外国とあなたがたが呼ぶ欧米社会にはテレパシックな文化は無い。
それ故に常に言葉で武装し、言葉で闘争を続けているのだ。この方法を日本は取り入れようとしているのは、悲しい事だ。
 
 あなたがたは『あいまい』の美学を理解出来る筈だ。しかし『ごまかし』に美学は有り得ない。あなたがたは光の子らしく自己主張するべきだ、ごまかしたり、「お茶を濁し」てばかり居ては生命が萎えてしまう。
しかし欧米風の自己主張はスタンド・プレイに適していても、真実の人間関係に於いては必要無いだろう?営業用には欧米風の.スタンド・プレイ的な自己主張は面白いかも知れない。

 日本人は欧米の精神までも輸入すべきでは無い。
『総てを受け入れ、立ち去るを拒まず』の姿勢は主体性が無い様にも見られるが実は、最も順応性の高いサバイバルな思想である。
惜しむべくは日本人の特性とも言うべきテレパシックな人間関係が、失われてゆく一方だという事だ。欧米風の建築様式は内外の区別の少なかった日本人に内部意識と外部意識の切り離しを要求した。
テレパシックな人間関係を営んでいた日本人には考えられなかった事だ。

霊的に発達した日本人は、自然と人間を区別してはいなかった。
欧米では自然とは闘う相手であり、最終目的は自然を制覇する事だった。
自然あっての生物である事を知っていた日本人は、『ヤオヨロズ』の神を自然の中に見いだし尊敬する心を持っていたので、制覇などとんでもない考えだと知っていた。欧米が如何に慌てて自然回帰を唱えても、人工的な計画になってしまうのは、彼らの思想が、そもそも自然に準じていない為なのだ。
だからこそここで日本が、自然の寵児である日本人が立たなくてはならない理由が分かって貰えると思う。その為のプロジェクトである事も理解して貰えると思う。

(13)まず、SHIPは『そこに在る』という意識を常に持つ事だ。
見えなくても誰のせいでも無い、『ただ、見えなかった』だけの事だ。
あなたがたの能力いかんでも、我々の送信波動のせいでもなく、『ただ見えなかった』と思う事から始めなさい。見えなくても失望する理由など無い、何故ならばSHIPは『そこに在る』のだから。誰が見ようと見まいと、『在る』という事を意識しなさい。
『光』しか見えないと欲求不満になるのは、『もっともっと』と要求する気持ちがあるからで、見えた事に感謝する初心の気持ちがあれば、必ず、あなたがたの心の中で確信を持った状態でSHIPを目撃するだろう。
子供は、一度SHIPを見たら総ての光をSHIPだと思って感激し、見守られている事を実感して感謝する。その気持ちが、再遭遇を可能にすると言っても良い。


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