monologue
夜明けに向けて
 



 1938年8月16日ミシシッピ州グリーンウッドで27才のブルースマンが命を落とした。その死因は安酒場の女といちゃついてその夫にウイスキーに猛毒ストリキニーネを盛られての毒殺、あるいは刺殺というものであった。しかし、伝説は悪魔に魂を奪われたのだという。

 1930年代、米国ミシシッピ州の田舎、ドッカリィ農園(Dockery Plantation)近くの十字路 で真夜中に若い黒人がギターを弾いていた。

 かれは、1911年5月8日にミシシッピ州ヘイズルハースト(Hazlehurst)で母親ジュリア・ドッズ(Julia Major Dodds)と父親ノア・ジョンソン( Noah Johnson)の間に生まれロバートと名付けられた。そのとき、母ジュリアは地主チャールズ・ドッズ(Charles Dodds)の妻で10人の子持ちだったので不倫事件となり町から親子で追いだされた。かれは移転をくり返し姓は親の都合で何度か変わったが成長して本来の父の姓を継ぎロバート・ジョンソン(Robert Johnson)と名乗った。幼い頃から音楽好きでハーモニカや口琴(jaw harp)を弾いた。音楽がかれの一番の友だったのだ。

 ロバートは若くして1929年2月、16歳のヴァージニア・トラヴィス(Virginia Travis)と結婚したが翌1930年、かの女はまだ成熟していなかったためか出産してすぐ子供とともに亡くなる。

 ロバートはわが身に重なる不幸を嘆き好きなブルースに打ち込んだ。ブルースの神髄を会得したいと日夜稽古を続け祈った。そんなある日、ドッカリィ農園の十字路に真夜中にギターを持ってくるようにと告げられたのである。

その十字路で真夜中に会ったでかい黒人がかれのギターをとり、まず調弦(チューニング)した。それからブルースギターの超絶技法を伝授した。それはなんと悪魔でかれの魂と引き替えだったという。ロバートは以来恐ろしいほどのギター弾きと噂されるようになる。

 噂を聞いたブランズウイックレコードは1936年11月23日、ジョンソンをテキサス州サンアントニオに喚びガンターホテル( Gunter Hotel)の部屋を仮スタジオにして3日間で16曲レコーディングし、翌1937年6月にダラスでの13曲と計29曲を録音した。それががかれのクロス・ロード伝説の遺産となったのである。

 かれロバート・ジョンソンは"Me And The Devil" で,こんな風に歌う。
 "Early this morning when you knocked upon my door/Early this morning, umb, when you knocked upon my door/And I said, 'Hello, Satan, I believe it's time to go,'" before leading into "You may bury my body down by the highway side/You may bury my body, uumh, down by the highway side/So my old evil spirit can catch a Greyhound bus and ride."(英詞はウイキペディアより転載)「今朝早くおまえはドアを叩いた。おまえがドアを叩いたとき、おいらは、やあ、サタン、行くときが来たな、と言った。おいらの身体をハイウエイ脇に埋めていいよ、と導く前に、おいらの身体をハイウエイ脇に埋めていいよ、そしたらおいらの古びた悪霊はグレイハウンド・バスをつかまえて乗り込めるさ」

かれは本当にサタンに魂を売ったのだろうか。あなたもまたなにかの世界で一番になれるなら売るだろうか?27才を過ぎていれば賞味期限切れで売れないのかも…。
fumio

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