monologue
夜明けに向けて
 




<21>

蟹星の夜に降りる星
朱き星の力の裏に、こっそりと降りる星
これが、私達の * の星
これが 私達の暁の星
真空の空に風が起こり
胎児は 再び私達の手の中に
死か生か
三番目の鐘は もうすぐに鳴り終わる
受け入れるか 拒むか
新たなる蕾か 古い蕾か
巨石の輪 元の力を得るか 否か
石像の中の真の姿を見る者よ
静かに 静かに 時を待つ事
何もせずとも 全て行われる
用意の時を静かに待つ事
その日が近い
「光の黙示録」より


いつものことだが預言詩の場合はことばの表面からみえない真の意図がその裏に隠されていることに気が付かなければいけない。なにかひっかかるところがあればそこを確かめるとやっと真(神)意がみえてくる。この詩句の場合は
「静かに 静かに 時を待つ事 何もせずとも 全て行われる 用意の時を静かに待つ事」の部分に多くの人が不自然さを感じられるだろう。なぜこの中に「静かに 」が三度も使用されているのか。どうせ待つのなら寝て待とうが騒いで待とうが勝手なはずなのにわざわざ待ち方を「静かに」と指定するとは…。それはもちろん「静」を解字 させようという作戦なのだ。
すると見えてくるのは「月の主」と「争う」すなわち月讀(ニギハヤヒ)の三度の戦いである。暁の星として降りるかれは三番目の鐘をもうすぐ鳴り終わらせるのである。
fumio





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