monologue
夜明けに向けて
 




六、  苦しみは 夜明けと共に、霜の様に頭上に
    降るであろう
    川を渡る時に 川のおもてを見てはならない
「光の黙示録」より


これらの詩句を解読して困るのは答えが提示されないことである。
先生が前にいて手をあげて答えるのであれば正解とか不正解とかすぐに教えてもらえるが
宇宙神霊はただじっとわたしたちが自立するのを見守っているだけ。手助けしてはいけないのだから。それでも正解にたどりつけば世界はそのように進む。それが無言の答えなのだろう。
 それではこの詩句に対するわたしなりの考えを記そう。
「苦しみ」は「来る四三」で四三は「黄泉」三四三のこの世とあの世の対称世界の四三。「夜明け」はその四が明けること。「霜」は「四方」。
わたしたちがこの季節に飾る鏡餅は太陽の姿の橙(だいだい)を頂上にいただき、 四手(しで)の裏と表は紅白で、 裏白(うらじろ)という植物や お供え物をのせる四方を「紅」でふちどられた四方紅(しほうべに)を「三方」に乗せる。それらがこの世とあの世の重層的世界の構造を描いている。
そのように考えるとこの「川」はこの世とあの世の境の三途の川。
彼岸と此岸の岩戸が開き互いに渡り、会う時「川のおもてを見てはならない」という。
おもてはなぜひらがななのか、表と書くのか面なのかそれは「主手」だからなのだ。
見てはならないというがもうここまで来れば主手の想像はつく。黄泉大神となったイザナミと月讀であるニギハヤヒだろう。
fumio








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