てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

スゴすぎる哲カフェ愛!―なぜ、哲学カフェに集うのか【その9】―

2015年02月24日 20時55分28秒 | 参加者感想
シリーズ「なぜ、哲学カフェに集うのか」に、ついに冊子提出がありました
なんと、表紙つきです
                  
しかも、図解入りです
                  

こんなに、哲カフェ愛たっぷりのレポートをお書き下さったYさんには感謝感激です

さて、肝心のレポート内容はこんな感じです。
ダイジェスト版でどうぞ


なぜ、てつがくカフェに集うのか?
楽しいからです。
何が楽しいのか⇒自分の欲求が満たされるので楽しいです。

1 他者の考えや意見、体験を知ることで、他者と自分への理解が深まる。
すると、私の世界が広がる。より広い知とより深い理解によって人生の幅が広がる⇒楽しい
この世界が広がったことで別のステージ、別の次元に立つ自分を感じる⇒喜び

2 究明して明らかになると、まさしく明るくよく見えるようになって⇒楽しーい
 軽くなった自分を感じて別のステージ、別の次元に立つ。⇒あー楽しい

3 仕組みがわかると、なーんだそういうことか。となって生きやすくなる⇒あー楽しい
やはり軽くなって、別のステージ、別の次元に立つ自分を感じる⇒楽しっい!

4 わたしという個の知、体験、洞察を話すことで、自分を表現できる⇒楽しい
それが誰かの何かの役に立つことがあるかもしれない⇒楽しい、うれしい

〈自己愛〉たくさんの他者と出会い、他者の考えや体験を聴き、より広い知と深い理解が得られ、いくつもの意識、心の変化を経ながら私が拡大していく。そんな私が好きでそれが楽しい。そんな場が好きで、その楽しい場に出かけていく。1~4が満たされますから、満たされるまで行かなくても、私の知的好奇心や知的興味を遊ばせることができますから、それは楽しいことなのです。喜びです。つまりは、自己愛だと思います。

〈知ることと理解〉
私は自分が存在しているこの世界(見える世界と見えない世界の両方)の全体像を知りたい、把握したいという強い欲求を持っています。
また自分という個をこの世界に表現したい、個を表現することが私のできるこの世界への【宇宙への】貢献の一つだと思っているので、それらを満たす場、喜びを満たす一つの場がてつがくカフェ@ふくしまだと思います。

対話の場で自分や他者の意見や考えが通ることでもなく、また正しいとか、正しくないという議論でもなく、他者や自分が意見や考え、体験を表現することで、その場やそこにいる人々に揺らぎや気づきなどの化学反応が起きる。すると別の次元に立つ、それが楽しい。 

一人ひとりのオリジナルな意見、体験は必ず他者に貢献すると思っています。私は一般的な価値観とは違うものも持っているので、その点でも他者への貢献ができると考えています。私という個が不協和音を入れることで、新しい調和への一助となると思っています。

自分を与える喜び、自分を役立てる喜びがあるのです。

対話の場には、与えることと受け取ることの循環・交歓・交換があるのがいい。これは喜びです。

〈哲学とスピリチュアル〉
哲学をフィロソフィ愛知とみるとき、私が20年近く、宗教とは別なところで、マイペースで探求してきたスピリチュアルな世界と、その意味において同じです。

スピリチュアルな観点では、この世界・人間を愛(無条件な愛)と智(実体験として知ることや、知識、そこから得られた知恵、洞察)で見ます。

私には哲学の愛知とスピリチュアルな観点の愛と智が、おそらく本質的には同じことを意味しているのだろうと思えて、そこにも興味があります。

スピリチュアルな世界は、私たちにはまだ見えない、感じられないと思われている、見えない世界も含めた、幅広い次元を扱ったものです。

スピリチュアルな世界はとても数学的科学的な世界であると私は思っています。

スピリチュアルな見方では
・それぞれの個人はそれぞれの異なる才能(個性、個体差)エネルギー・波動周波数を持っている。
・人が集う時、それぞれがその才能(エネルギー・波動周波数)を持ち寄る。
・その才能(エネルギー・波動周波数)は、他者に貢献する(影響を与える。
・その貢献は多種多様の形をとる。

哲カフェに参加する前の自分より、参加後の自分の萌芽、意識が確実に拡大し豊かで穏やかになりますが、この体験は私にとって素敵な体験であり、楽しいものなのです。毎月その機会を得られることは、とっても“シアワセ”なのです。

スピリチュアルな見方では、1つの個体(人間)を一つの意識体とみるので、私という意識体の意識の周波数が変化して、新しい次元に立つチャンスを得ているのが“てつがくカフェ@ふくしま”という場です。

また、懇親会(2次会)では参加のm名さんの別の側面を見ることができますので、またまた、この世界の豊かさを知ることができて楽しいです。

〈快感を得る〉
・哲カフェで対話し、家に持ち帰り、色々と考えていると、ある時、洞察が生まれます。時々、洞察が私にやってきてくれるのです。
・この洞察まで行けたテーマの時は難しいパズルが解けたときのような快感があるのです。楽しくて愉快で満足な状態のワタシになります。

たとえば、「幸せって何?」の時は
誰かが〇〇〇の時に幸せって感じる。
誰かが△△△の時に幸せって思う。
と発言するのを聴いて、うんうん私もそう思うってうなずいて、相対的なの?って問いが出て。そうなのかなー。どうなんだろうって、普遍的であってほしいよっていう意見も出されて、私もそう思うよ。でもうまくせいりできなくて、グチャグチャしてて…

数日数週間、数か月あるいは数年過ぎたある日、パタパタパタってドアが次々に開くみたいに解けるんです。自分なりに応えに辿り着くんです。
なんだこういうことかー。最高!ってな具合に。

なので、「幸せ」の部分に関しては、ってもすっきりして、そこが明るく軽くなって「幸せ」ってことでは納得のぶれない自分を獲得しているんです。
ある日また揺らぐことがあるかもしれませんが、ひとまず私の輪郭の一部がはっきり見えてくるんです。

〈壊れる快感〉⇒私に合うやり方
・私は頑固な一面を持っています。また一方、柔軟性も持っています。
・私は拡大指向や変化し続けた欲望を満たすには、頑固なワタシを壊す必要があるでしょう。意図せず勝手に壊れますが。
・拡大指向、成長欲求が強くあるので、壊れることが快感になるのかもしれません。
・それぞれがそれぞれの視点を持ち寄り、全体となる。(全体を把握できる)
・それぞれの個体(個性)が集うことで全体が見えたり、新たなものが見えてきたりする(平面から立体的なものへも含め)。
★スピリチュアルな視点では…今回の人生では、私はここをtン等するよ。人生のテーマとしてここを選んだよ、ここが私の今回の人生の課題が達成されるポジションだよ、ということなので、誰一人同じ人はいなくて、70億の人すべてが、それぞれユニークな音罪で、その存在が無条件の愛の下に尊重されます。
・以前、オブジェでてつがくカフェはどう?なんて話が出ました。おもしろい!とその時思いました。私たちが在るこの世界を多面的・多重構造の複雑な世界のオブジェと見なすと、見えるものは体験は、その位置で多様に異なります。
・老若男女、違う環境にいる人々など自分とは異なる個体が集うことで、この世界の多面性が見えてくる。



・私一人では、この世界のすべてを体験することができないので他を(私のポジション以外の領域を)他者が体験してくれています。そうした他者がいて、その他者と交わることで席は全体像を露わにすると捉えます。
・70億の人がいるということは、私たちが70億に分化しているということです。70億の存在、70億の目、70億の心があって、全体となり、それぞれがその人ならではの独自な観点からこの世界に貢献しています。
・ですので、逆説になりますが、私たちは一つです。

★「ワンネス」という言葉がスピリチュアルの世界にあります。
綱の結び目の一つひとつが私たちで、すべての人はつながっているんだよ。全員で壮大なネット(織物)を作っているのだよ。というものです。
誰か一人が引き上げると(体験し意識が変化すると)周りも引きがっているのだよ。
一人の気づき、意識の変化は全体の影響を及ぼしているのだよ。
自分の体験気づき意識の変化は全体に影響を及ぼしているのだよ。
自分の体験、気付きを喜べ、そして他者の体験、気づきも喜べ、というものです。


★この世界の仕組みが知りたい、この宇宙のしくみが知りたい、人間の仕組みが知りたい、これで精神世界にはまってしまいましたが、この精神世界に私にしっくり合う答えがありました。そして、それはとても科学的な答えでした。
見える世界と見えない世界(まだ解明されていない世界)の両方の世界を扱う精神世界・スピリチュアルな領域(波動周波数の世界・多次元世界)に私を満足させる答えがありました。
                                                 
スピリチュアルな視点を取り入れたことにより、この世界の仕組みは、はるかに解明しやすくなり、より納得のいくものになりました。そしてなにより人生がより豊かなものに変化してきました。
この私の経験が私独自の観点から誰かのお役にたつことを望んで、哲学とスピリチュアルな世界両者の橋渡しができたらうれしいなと思っています。
また62年間の経験もここ哲カフェでお役にたてたらいいなと思っています。
そして、新しいスピリチュアルな道に要実のある友を募集しています。

〈趣意書〉
てつがくカフェ@ふくしまの趣意書はすばらしいなと思っています。
趣意書を呼んで、気持ちのよさを感じます。
趣意書を読んだとき、特にいいなと思ったところは、
●「自分との内なる対話」⇒私がよくやっていることなので楽しそう。
●「老若男女・社会的地位…対話空間の実現を目指しています」⇒私はこういう空間を求めていたのよねー。楽しそう。
●「種をまくことを目指します」⇒私を表現して、いろんなたねを撒いてこよう。楽しそう。
●「…拡散し、開花していく…」⇒対話の場で生まれた様々な種もまた、いつかどこかで誰かに花開くのは、これは楽しいよね。キャッホー!
●「一人一人御人生を豊かにするものだと考えます」⇒私の①~④が満たされると、心が(魂が)満ち足りますからとても楽しいことなのです。ヤッホー!(命が)喜ぶ。

ですので、
ここで楽しく自分を育てることができる 
ここで楽しく自分が育つことができる
と思ったのです。
ハイデッガーが「人間とは自己の存在を常に了解しつつ、その可能性を企てていくもの」と言っているようですから、私は私の可能性を(私の喜びを)企てて(意図して)いるのだろうと思います。まさしく自己愛ですよね。

今のこの自分が最終地点、慣性系とは思っていないので、毎瞬の「変化こそ私の人生」です。
頑固な部分もありますが、柔軟性もあるので変化を歓迎しています。
自分の変化が得られる「てつがくカフェ@ふくしま」は好きです。

★てつがくカフェ@ふくしまだから行くのであって、他の哲カフェであったら行くかどうかはわかりません。

てつがくカフェ@ふくしまの基本ルールと趣意書がつくるフィールドは、愛にあふれるフィールド(対等、同等の場)
配慮され育まれるフィールド
楽しくて素敵な場だなあと思ってます。

その趣意書とルールのフィールドを次に例えてみました。
世話人のおふたりが、父親と母親になって「私たちが見守っているよ」ってな感じで、大きな水槽を支えて、つつんでそばにいてくれる。
その水槽の中は愛と配慮で満たされている。
杉岡さんがおいしい水をジャボジャボ入れてくれる。
私たちはその中で、それぞれの在りようで泳いでいる。
そして育っている。
お二人は親として、子を育ててくれているのだなぁと思っています。


てつがくカフェ@ふくしまがあることに感謝します。
そこに集うすべての人々にも感謝します。
てつがくカフェ@ふくしまに愛をこめて Y  (完)

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