てつがくカフェ@ふくしま

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てつがくカフェ@ふくしま報告2022.12.17.「人に迷惑をかけてはいけないのか?」

2023年01月02日 02時09分34秒 | 定例てつがくカフェ記録
12月17日㈯に開催された「てつがくカフェ」について世話人から報告させていただきます。


会場とオンライン(Zoom)の同時開催となりましたが、

会場には6名、オンラインでは8名の計14名の方にご参加いただきました。






「人に迷惑をかけてはいけないのか?」というテーマで対話が行われましたが、

ここで参加された方の発言の一部を紹介したいと思います。

・「迷惑」と言った場合に家族以外の人に使っているのかなと。例えば、家族だったら「お父さんそれ止めてよ!」「お姉ちゃんそれやんないで!」とかその場でやその後で言いますが、家族以外の御近所とかそれ以外の他者に対して、何か自分が不快だと思うことが起こった時に、「あぁ迷惑だな」というふうに思うとすれば、直接その他者に「それ〇〇だから止めてくれない?」「止めてもらえませんか?」とか言えなくて、自分の中の心のモヤモヤというのが「迷惑だなぁ」という言葉で捉えられるような感情なのかな、どうなのかなというふうに思いました。

・私が最近迷惑だと思ったのは、環境活動家の方がゴッホの『ひまわり』や『モナリザ』だとかの絵画にスープをぶっかけたりして、自分たちの環境活動を主張して逮捕されたというニュースを見た時ですね。自分は名画とか美術品が好きなので、ガラスケースに守られていて額縁とかの被害で済みましたが、それらの美術品が今後見られなくなるということはなかったにしろ、もし万が一今後それらの絵画が二度と見ることが出来ない、鑑賞する機会を損失するということになったらと考えると、これは本当に迷惑だと思いました。正に人類にとっての迷惑行為になるんじゃないかなと最近のニュースで思った次第です。

・そうですね、取り敢えず何を「迷惑」と思うかというのを意見として出してみるのもいいですね。

・今の話の例だと、迷惑を通り越してやってはいけない行為の域ですよね。それで、今思ったのは迷惑というのは何か自分で「惑う」訳ですよね。字にも使われていますけれども。どうしたものかと。何かそのやっては駄目では済まされない部分をもっている行為だったり、物事だったりが「迷惑」だと思うのでしょうか?

・先ほどの方が言われた迷惑もあるし、それこそ自分に迷惑がかかっているのか、かかっていないのか分からないように見える迷惑もあるし。その迷惑が明日になったらプラスになっている迷惑もあるし、割とその人の感覚で迷惑という言葉が使われているんじゃないかと。それとやっぱり面白くなかったら面白くないというべきですよ。それが何か相手を傷つけるとか、お互いの忖度というか、ここの対話みたいなもので別に喧嘩している訳ではないけれど、ただ多くの日本人というのはそういう具合に、ある意味では(「迷惑だ」と)露骨に言われると腹が立つみたいな人がいるのは確かですよね。

・「迷惑」といって一番思いつくのは、誰かに意図的に嫌がらせを受けるとかいう側面の迷惑と、あとは本人ではなく偶発的に発生してしまった迷惑というふうに大きく分けられるのかなと思ってはいました。意図的に迷惑をかけるというのは、勿論犯罪にも繋がったり、他人に不快な思いをさせる側面があるんですけど、偶発的に人に迷惑をかけてしまうのは先ほど仰られた方の様に、人の成長に繋がる部分もあったりするなと感じました。

・(迷惑が)偶発的にたまたまそうなってしまう。これは一番最初に出た人によるという事と関係があると、つまり、主観的な受け止め方の問題ということなのか、それとはまた別の意味のことなのか。

・例えばですけど、人は生まれてから死ぬまで色々な成長を繰り返しますけれども、迷惑と捉えるかどうかというのは、ちょっと置いておいてもらって。

・今ここで人に迷惑をかけてはいけないということで、結論として自分はそうではないと、絶対にそうではないと言いたいと思っています、人に迷惑をかけるのも致し方ないと思っています。何故かというと、例えば誰が迷惑をかけるのかの「誰が」というところを考えた時に、成人した大人だけではなくて、生まれたばかりの赤ん坊とかですね、あとは年を取って痴呆症や認知機能の障害のある高齢者の方。そういった方を想定した時に、例えば赤ん坊が公共交通機関の電車とかバスで隣の席で大声で泣いてしまった時に、周りの人にとっては迷惑だということですけども。でもそれって本当にやってはいけないことなのか、迷惑をかけてはいけないことなのか、その赤ん坊に対して言えるのかというところで、必ずしもそうではないなと。まぁあとは認知症とか患っている方で、介護してくれているのがお子さんと仮定した時にその子供さんに対して、自分の子どもだという事が分からなくて、暴力を振るってしまったりとかってことがあった場合、それって絶対にやってはいけない、高齢者に「貴方おかしいよね」と言えるのかと、必ずしもそうではないと。というと絶対に人に迷惑をかけてはいけないのかというと程度による、状況による、もしくはもっと他の理由によるんじゃないのかなというので、結論としては繰り返しますけれども、人に迷惑をかけてはいけないとは必ずしも言えないと思っております。

・今日の問いに対する結論的なこととして、やってはいけない訳ではないというか。やっても良い、(迷惑を)かけても良いと。かけざるを得ないだろうということなのかなというふうに思います。先ほどやってはいけないことという言葉を使っていた方がおられましたが、やっぱり「迷惑をかける」と「危害を加える」というのは別物であって、危害は加えてはいけない。その場合の危害というのが生命、身体、財産ですね。これらに対して危害を加えてはいけないというのは当然やってはいけないことで。禁止されるべきことで法律的にも罰せられることですけど、迷惑はそういう意味では危害まで及ばない限りは法的な意味で罰せられたりしなくって。それはすべての人間がかけたりかけられたりということをやっているのかなというふうには思います。それで、迷惑かけずに生きていくことがそもそもできないのかなとは思いますけども。「危害」という言葉と「迷惑」という言葉を完全に混同している日本人はすごく多いかなと自分は思っているところです。

・以前ある世話人の研究室が地震でぐちゃぐちゃになった時に、片づけを手伝ったことがあるんですけれども。その地震の前にも研究室に行くと机とかの上に資料だとか講義のレジュメだとかが散乱していた時があって、「それ片づけましょうか?」と親切心で言った時に「分からなくなるからそれはいいよ」という事を言われたんですね。それで、地震があって片づけを手伝ってくれと言われた時も、前と同じく机の上はぐちゃぐちゃな状態だったので「片づけを断られた時と何が違うのかな」とモヤモヤしつつ手伝いましたけど。その世話人的には「どこに何があるか分からなくなるから片づけないで欲しい」と。それで、片づけようとする自分の行為が「迷惑」だったのかなと今になって思うんですけども、今日はその辺りを本人からご意見いただきたいなと。

・何を言い出すんだと思いながら聞いていたんですけれども。えっと迷惑ではない、逆に言うと自分の部屋が汚いというのは、今なんかこの間の地震以来ずっとだからもう半年以上ですけども。途中まで片付けようとして一旦、中の物を廊下に出して今そのまま廊下に出した物が並んでいて本当に迷惑かけているなと思ってはいる感じですけれども。それは置いておいて、常時私の研究室は汚いんですね。それは片づけることが出来る人がいて片づけてくれるのであれば、それは私にとって大変ありがたいことですが、それは結局私が付きっきりでないと分類とかなんとかそういった事が出来ない訳だから。つまり私がいないで片づけることは出来ないと思うんですね。なので、迷惑ではない。ただ「出来ないよ」と言っただけの話で。「無理だよ」と。自分の事を全く無視して、自分の分類だとか整理したいという自分の頭の中の理想を無視して誰かが勝手に片づけてしまったり、今頃学部類長とかが研究室に入って片づけられでもしたら、それは自分だったら「迷惑」と言わないで、「危害」だというふうに言うかなと思っていて。それは迷惑ではないというか筋が違うような気がしていて。迷惑論とはちょっと違うような気がします。

・今のお二人の対話を聞いて、一方は親切心とか気付きで「片付けた方がいいかな」と思われたのかなと。それを「片付けましょうか?」と素直に表現した時に世話人には世話人の事情があって、一方の行為ともう一方の状況が合致しなかっただけなので、それを迷惑だというふうに考えなくて良いんじゃないかなと思います。その需要と供給じゃないですけど、合致しなかっただけなので、それを迷惑というふうに捉えるのではなくて、さらっと流せるような感覚になるといいなとは思います。ただ日本人は割と小さい時から「迷惑をかけるな」と、迷惑という言葉が頭に入っていたり、身体に染み付いていたり。そういう「迷惑」という言葉が持っている雰囲気が自分の中に出てきて「あぁ迷惑なんだな」「迷惑かけちゃったかな」「余計な事言っちゃったかな」とか思うのかもしれないんですけれども、そんなことは全然なくって、全然OKだと思います。

・今の話を聞いていても「迷惑」って先ほどの方が言うにはそういう事では無いんじゃないかと言うんだけど、そうじゃないかなとも思いますよね。「それぐらいの事だったら、自分の生活にそんな気にもしないでいいわ」というそういう迷惑もあるんじゃないかと。だからさっき世話人が言っていたように、被害を受けたとかしたらそれなんかも迷惑だと言われるけど、自分は迷惑というのは目に見えないような迷惑もあるっていう気がしますよね。たださっき言ったみたいに、それでもいいと別に「特別迷惑受けたから死ぬわけでもないし」みたいなね。そういう流せる迷惑というのもあるんじゃないかと。

・個人の例で言うと、我が家の東側にアパートがあってそこの一人の男性が我が家の側に来て煙草を吸うんですね。外に出て家で吸わずに。もう一人は我が家の北にある家のおじさんが、やはり家の中ではなく庭に出て煙草を吸う訳ですね。どうしても風向きとか距離で我が家に入ってきてしまうんです、煙草の煙が。そういう訳でアパートの方に説明して、「ここで煙草を吸うと煙が我が家に入ってきて辛いんです」とお話したら、その方は分かってくれてそこで吸うのを止めてくれたんですね。それで北のおじさんにも言ったんですけれども、その方は半分はどこかに行って吸うようになったんだけれども、半分は前と同じように庭で吸うのでどうしても我が家に入ってくるんですね。その度に風向きで入ってきてしまう時は急いで窓閉めようとなって、対応しているんですけれども。煙草を吸っちゃいけないとは思わないんです。自分も若い頃煙草を吸っていたので、吸いたい気持ちも分かるんですが「今の対応でしばらくこれでやっていくしかないのかな?でも迷惑っちゃ迷惑だよな」というところで生活しています。

・今の聞いて思ったのは、時代によって「迷惑」と「危害」というのが変わる事もあるのかなと思って。多分喫煙というのは昔は迷惑ぐらいな感じだけど。逆に言うと吸う人の方が強い感じで、吸わないで文句言う人がいるとその人が迷惑がられるという感じが昔はあったと思うんですけれども、今は本当にもう全面禁煙になっていて副流煙ということによってそれは危害を加えているんだと、他人に対して健康危害を加えているんだというような形で危害というふうに時代によって変わるということもあるのかなと思って今の話を聞いていました。

・「人に迷惑をかけてはいけない」という言い方からして、自分はむしろ逆に「迷惑をかけてはいけないだろう」という論点から考えていきたいなと思っていたんだけれども。迷惑というのを多分文字通りに迷惑と使っている訳ではないように思っていて、結局「人に危害を加えてはいけない」というのは、危害という言葉があまりにも強い言葉であるので。例えば「殺す」とかそれぐらいのレベルの時には躊躇なく危害という言葉を使いやすいから危害と言っているのだけれども。そこまで強烈ではないけれども、でも例えば今の煙草の害みたいな危害と言えば危害だけれども、人に影響を与えると言えば影響を与えているけれども。物凄く影響を与えている訳では無い様な事、それを指す時に「迷惑」という婉曲表現を使っているに過ぎなくて、ここで言っている「人に迷惑をかけてはいけないのか?」というのは決して広い意味での迷惑ということを言っているのではなく、「危害」の婉曲表現として危害と言ってしまったら言い過ぎなものに対して「迷惑」と言っているに過ぎないのではないかと。そういう言葉の使い方をしているのではないかと。要するに日本語を色んなところで、婉曲表現を使うことでギスギスしたことを避けようというのがあって、だから例えば電車の中で迷惑行為を止めてくださいと言っている事はやってはいけないことなんですよ、多分。それは迷惑という言葉が文字通り、辞書的な意味で持っている迷惑とやってはいけないと言っている時の迷惑というのが実は本来違っていて。だから、そこのトリックに騙されているような気がしてならない。先ほどの赤ちゃんの例で言うと、結局のところそこの説明を今の議論で進めていこうとすると若干ややこしい、難しいところあるかなと思っているんですけど、あえて言うのであれば本来の意味での迷惑と婉曲表現としての迷惑を取り違えて、迷惑行為は止めろと世の中言われているから、だから全てのやってはいけない訳ではなくて、辞書的な意味での迷惑も自分が迷惑だから止めてくれというような言い方をしていると説明は出来るのかなと、無理矢理ですけどね。今の言い方全く説明できない訳ではないとも考えています。


上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。

最終的な板書はコチラ↓





次回のてつがくカフェは、

1月21日(土)15時から福島市市民活動サポートセンターとZoomの同時開催で行います。

テーマは「日本人とは何か?」です。


なお、会場参加にあたっては、新型コロナウイルス感染症対策のため、

マスク着用の上、ご来場いただきますようお願い致します。


また、オンライン(Zoom)による参加をご希望の際は、

ブログ上にZoomのURLを掲載しておりますので

該当記事の「Zoomミーティングに参加する」の下の

URLをクリックして頂ければZoomに参加することができます。

会場参加同様、オンライン参加につきましてもお申し込みは不要です。



そのほか、てつがくカフェのTwitterとFacebookもありますので、フォローしていただけると幸いです。


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それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。

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