第三の原子爆弾投下準備
長崎市への原子爆弾投下後、テニアン島に原子爆弾はなかったが、
プルトニウム以外の原子爆弾の部品は用意されており、プルトニウム
をアメリカ本土から運んでくれば原子爆弾をすぐに組み立てて完成
させることができる状態であった。
8月14日にロスアラモス基地からプルトニウムが出荷され、8月20日
前後には第三の原子爆弾を投下することが可能であったが、8月14日に
日本から降伏通告が来たため、第三の原子爆弾が日本に投下されるこ
とはなかった。
第三の原子爆弾投下候補地は小倉市、京都市、東京など諸説あるが、
1945年8月14日に投下された7発のパンプキン爆弾の愛知県への投下は、
3発目の原子爆弾の投下訓練であったとされ、いずれも爆撃機が京都
上空を経由した後に愛知県に投下していることから、第三の原子爆弾
の標的は京都市であったと考えられる理由の一つとなっている。
以上wikipedia 調べより
(つづく)
長崎市への原子爆弾投下後、テニアン島に原子爆弾はなかったが、
プルトニウム以外の原子爆弾の部品は用意されており、プルトニウム
をアメリカ本土から運んでくれば原子爆弾をすぐに組み立てて完成
させることができる状態であった。
8月14日にロスアラモス基地からプルトニウムが出荷され、8月20日
前後には第三の原子爆弾を投下することが可能であったが、8月14日に
日本から降伏通告が来たため、第三の原子爆弾が日本に投下されるこ
とはなかった。
第三の原子爆弾投下候補地は小倉市、京都市、東京など諸説あるが、
1945年8月14日に投下された7発のパンプキン爆弾の愛知県への投下は、
3発目の原子爆弾の投下訓練であったとされ、いずれも爆撃機が京都
上空を経由した後に愛知県に投下していることから、第三の原子爆弾
の標的は京都市であったと考えられる理由の一つとなっている。
以上wikipedia 調べより
(つづく)
そして、アメリカはそれを無視して原爆投下。
人体実験という事です。
詳細は私のブログ「AIU企画」にリンクが貼ってあります。 検索して、是非ご覧ください。
コメント有難うございました。
あまた様のブログへ行きたいと思いましたが
どうしてもいかれませんでした。
実際7月の時点で降伏を伝えていたとは、どうい
うことだったのでしょうかしら?
昭和史(半藤一利さんのご本ですと7月26日には
日本に降伏を勧告したポツダム宣言が発せられ
ているそうですが、それに対して、陛下は、
”これで戦争をやめる見通しがついたわけだ
ね。原則として受諾するほかはないだろう。”
と仰ったそうですが、当時の鈴木貫太郎総理が
考えておられたことと新聞社の記事との行き違
いがあったようで、これが海外に伝えられた時
鈴木首相が(ノーコメント)の意味で言ったこ
「黙殺)と、外国の報道で「日本はポツダム宣
言を拒絶したと言う風に取られてしまったよう
ですが、歴史の事はどれが正しいのか、なかな
かわたしにはわかりませんのでお許しください。