80ばあちゃんの戯言

聞いてほしくて

戦後の思い出(1)

2013-05-10 18:59:23 | 思い出
 私は夜中のトイレタイムとか、朝早く目が覚めて

しまったときには電気をつける代わりに、テレビを

つける習慣がある。 なかなかいい番組が多くて、

トイレに行くのを我慢して見入ってしまうことも

しばしば。

とても参考になったり、楽しめたりするのだ。

今朝は、たまたまロシア語講座だった。

エカテリーナ二世のことだとか、エルミタージュ

のことが話題になっていたが、エルミタージュと

言う言葉が”隠れ家”を意味していたとは知ら

なかった。 エカテリーナ二世が、エルミタージュ

美術館になる収集を始めた人だとかいろいろ面白い

い話があったが、私が心を動かされたのは、彼女

の私的なお住まい(エルミタージュ)には十か条の

決め事があったそうで、その一つは、あなたの身分

や家柄は、この部屋の外においてきてくださいと

いう言葉があったとか。



前置きが長くなってしまったが、この露西亜語講座

で、私が思い出したのは、若かりし日の白系ロシア

人の方々である。

1950年の初め頃、私は、丸の内の三菱仲九号館

の三階にあったCaltex Oil Japa n

Ltd. に 勤めていたが、その会社の オペレーション

部の設計技師のホヘさんとみんなから、呼ばれていた

背の高い、優しげな白系ロシア人で1917年の

露西亜革命により、日本に亡命されてきた元露西亜の

貴族だったとか言う噂のあった方と、見るからに

いかついお顔のクズミンさんという白系ロシア人の方

がおられたが、或る日の昼休みに、たまたま、広い

お部屋に私と三人だけになったことがあって、私は、

お二人に近づいていって、お願いがあるんだけど、

昼休みに私に露西亜語を教えていただけないかと切り

出したら、お二人の顔色がさっと変わって、どうして

そんなことを考えるのか、やめた方がいいときつい

口調で言われたのである。

私はいろいろと外国の言葉に興味があるので、

お二人がご一緒だから、できれば昼休みに露西亜語を

教えていただきたいと思っただけなのですがと言うと、

お二人は声を潜めて、露西亜語なんて覚えたら大変な

ことになるからどうしても駄目だと言われ、私たちに

あんまり近寄りなさんなといわれたのである。



多分この前の戦争の終戦間際には露西亜も参戦された

ので
人気ブログランキングへ、その頃は特高警察に、こっぴどくしごかれた

こともおありだったのではないかと思う。


(つづく)



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