奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その1730)

2021-05-19 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「ダンプ山を行く~ある山男の自画像(高橋和之著・中公文庫2003刊/1998版の文庫化)」を読んだ。高橋和之(たかはしかずゆき1943生れ)氏は、登山家として有名。1971グランドジョラス北壁登頂を果たすと同時に、医師/登山家の今井通子女史と結婚した。------

この本の目次は次の通り。“ダンプの青春(引っ越し続きの子供時代/高田馬場店スタート/今井通子とのデート)”、“山登りに夢中(初めてのヒマラヤ遠征/博才のある兄と運のいい弟)”、“頂を目指す(夫婦でダブルアタック/もう嫌だ冬のエベレスト/特別顧問でパミールへ)”、“空を飛ぶ(パジェロ原野を疾走/チョーオユーから飛べるのか)”、“永遠の別れ(ある先輩の遭難/突然の両親の死/計り知れない命の重さ)”、“人との出会い(山と出会い人と出会う/吉永小百合さんのこと/穂高に暮らして/珍しいお客さん)”、“やっぱり山が好き(消費者保護の時代に/素晴らしきかな大自然)”-------

裏表紙の抜き刷り文は次の通り。山愛好家のための店/カモシカスポーツ誕生秘話。今井通子との初デート。高度4208mの結婚式など、若き青春の日々の思い出。数多くの登山行/親しい山仲間との邂逅/死別、最近の活動まで、山と自然を愛してやまない男が、自らの半生をありのままに綴った山賛歌。-------

高橋和之氏は、戦後の山岳ブームの中、設立されたばかりの“勤労者山岳会(1960)”に入会し、以後、岩登り/冬山へ出掛ける機会を与えられ、着実に山男に育てられることとなった。戦後日本の経済成長と軌を一(いつ)にし、高橋和之氏はその上昇気流に乗って、日本を代表する登山家となった。平成/令和時代では考えられないような、世界最高峰への登山隊の遠征にスポンサーが付き、数億のプロジェクト予算が組めた時代だったのだ。------

高峰制覇の後は、パラグライダーで山頂から滑空する試みを続けるなど、体力に見合った行動をし、今では、北穂高に会社を移して、悠々自適に暮らしておられる。-------

高橋和之氏が上高地/北アルプス/涸沢(かれさわ)を塒(ねぐら)とするくらいに惚れ込んでおられるのは、日本のアルプスも捨てたものではないと云うことだろう。昨今の登山再ブームの兆(きざ)しもまた、上高地から始まっているのであるに違いない。

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