道楽ねずみ

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クーデターの成功と失敗

2009年04月24日 | 衒学道楽
少し趣向を変えまして,この間見ました映画「ワルキューレ」からクーデターについて考えてみました。

クーデターとは,フランス語のcoup d'ètat。つまり国家(体制)に対する一撃です。国家に一撃を加えて,体制を乗っ取ることで,体制ごと壊す革命とは違います。

ワルキューレ作戦は,①ヒトラー暗殺,②ヒトラー暗殺が側近達の犯行によるものと見せかけて,国内予備軍を招集し,SS本部や官庁街を制圧する,③新政権の樹立といった順序のプランだったと思います。シュタウフェンベルク大佐の暗殺計画実行の場面では暗殺が失敗したのは,偶然によるところが大きかったのですが,そもそもヒトラー暗殺は何度も試みられ,ことごとく失敗していることを考えると,最初から①が成功する確率は高いとはいえなかったと思います。となれば、計画全体が成功する可能性も低かったのだと思います。

ところで,成功したクーデターの例として,私が一番最初に思いつくのは,司馬仲達によるクーデターです。時代と場所を大きく異にしますが,司馬仲達ほど完璧なクーデターを遂行した人物をなかなか思いつきません。
司馬仲達は, 魏の曹操,その子文帝曹丕、その子明帝曹叡と三代の君主に仕えていましたが,曹叡の死後、その養子曹芳の時代には,一時期,名誉職の太傅(皇帝の師)に格上げされる形によって,曹爽一派に実権を奪われます。しかし仲達は,病気のふりをして引きこもったり,もうろくをしたふりをして曹爽一派を油断させるなどした上,曹爽が皇帝である曹芳の供をして洛陽を離れた隙をねらって、皇太后(明帝の皇后)の郭太后を担ぎ出し,その令と称して,武器庫を奪い,人事の刷新を行うクーデターを断行します。曹爽は兵権を奪われるだけで,罪は許されると言われたのをそのまま信じ,降伏しますが,最終的には命まで奪われてしまいます(桓範という人物は,洛陽から脱出して,曹爽に対し,皇帝を擁立して仲達を撃つべきだと進言したのに,曹爽がこの進言を取り上げないのを嘆き,曹爽の父の曹真は立派だったのに,その子供はブタばかりで,そのせいで自分もおしまいだと言ったと伝わっています。)。
司馬仲達のクーデターの成功の秘訣は,①皇太后という御旗を用意したこと,②クーデター前には敵を油断させ,しかも絶妙なタイミングを慎重に選んでいること,③いったんクーデターを起こした後は,速やかに武器庫を奪い,人事の刷新を断行していることが挙げられますが,最も重要な要素は,④仲達自身が魏の大都督にまで上り詰めた人物で,蜀の諸葛孔明と戦っても負けないほどの知略に優れた名将であったこと,⑤これに対し,曹爽は権力欲が強いだけで,実力を伴っていなかったことが挙げられると思います(何せ,曹爽は皇帝を擁立していたので,本来であれば曹爽の立場の方が有利であったといえますが,桓範の進言を取り上げる実力も持っていませんでした。)。
こうして分析してみると,仲達のクーデターの成功の秘訣は,最終的には仲達と曹爽の実力の差であったと思えてきます。

2つのクーデターを取り上げましたが,クーデターを起こす温床はが多くの場合,軍にあるということは,古今東西を問わないように思われます。
そして,そのことを誰よりもよく理解していた人物がいました。
スターリンです。
そのうちに,スターリンによる,赤軍の英雄トハチェフスキー元帥の粛清の話なども取り上げたいと思います。

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