新国立劇場で上演中のイエヌーファを見ました。
今回の演出は、クリストフ・ロイによるもので、2012年3月4日にベルリンのDeutsche Operで新演出上演されたものと同様ということです。今回の主要キャストも、シュテヴァを演じるジョゼフ・カイザー以外は、Deutsche Operで上演された時の歌手が来日しているということです。
初めてみるオペラで歌も音楽も知らないものばかりでした。
その意味でなじみはないのですが、とても演劇性の高いオペラで、舞台の展開から目が離せません。
演出はとてもシンプルながら興味深いです。
第1幕目、前奏曲もないまま静かに幕が上がり、最初に登場するのは、イエヌーファの継母のコステルニチカです。男性に付き添われて、舞台となっている白い空間の中に入ってきます。スポーツバックのような黒っぽい大きなカバンを持っていて、ホテルの部屋に泊まりに来たような雰囲気ですが、コステルニチカはカバンを置いた後も茫然自失と立ち尽くしています。
そして、そこにコステルニチカの義母で、イエヌーファの祖母であるブリア夫人(イエヌーファと交際しているシュテヴァの祖母。つまりイエヌーファとシュテヴァはいとこ同士。)が現れたり、粗野な振る舞いのラツァ(シュテヴァの母の連れ子)が現れたりと、コステルニチカを置いてきぼりにしたままストーリーは展開します。後でわかるのですが、この演出ですと、物語はすべての事件が起こってしまった後の収監中のコステルニチカの回想ということなのでしょうか。
ラツァはとても粗野で、身勝手で嫉妬深く、シュテヴァに恋するイエヌーファに執心のあまり、誤ってナイフで顔を傷つけてしまいます。
第1幕の舞台は一貫して白い部屋のような空間ですが、その奥の扉が開いたときには、麦畑?と思われる秋の収穫の景色が広がっています。
第2幕目では、既にイエヌーファがシュテヴァの子を出産した後のストーリーです。コステルニカは、イエヌーファのためといい、最初にシュテヴァに接触します。シュテヴァは産まれた子のために金銭は払うといいながら、イエヌーファとの結婚は拒否し、第1幕とは一転して、顔に傷のあるイエヌーファに魅力はない、コステルニカは魔女みたいと言います。次にコステルニチカは、ラツァに子持ちのイエヌーファを押し付けようと接触します。ラツァはイエヌーファとの結婚には乗る気ですが、義理の弟シュテヴァとイエヌーファとの間の子を押し付けられることに躊躇します。そこで、コステルニチカは、とっさに子はとっさに死んだと説明してしまい、結局、そのとおりの事実を作り出すために、あの舞台にあった黒っぽいカバンに眠っているイエヌーファの子を押し込み、外に持ち出し、そのまま殺害します。
きっと、ラツァが冷静になるのを待って説得すれば、当初のプランのように子持ちのイエヌーファをそのまま押し付けられたでしょうに、コステルニチカのとっさの嘘が生んだ悲劇です。
シュテヴァの身勝手さは当然なのですが、ラツァも身なりは整えて、反省の言葉とイエヌーファへの愛をうたいますが、それでも立ち居振る舞いはまだ粗野のままで言動も感情的なところがあり、成長はし切れていません。
舞台には、第1幕に引き続き黒っぽいカバンが置かれているので、観客としてもコステルニチカの犯してしまった所業に目を向けざるを得なくなります。
舞台奥に見える外の美しい雪景色(ドクトル・ジバゴの場面のようです)が、何ともさびしいものに見えてきます。
第3幕でも舞台装置は変わりませんが、場面はイエヌーファとラツァの結婚式となります。ここでは、既にカバンは置かれていません。
春の雪解けとともに遺体が発見され、コステルニチカの犯罪を含め、すべての出来事が露見します。
結婚式の最中であったのに、客も皆去り、シュテヴァが村長の娘と結婚する話も破談となり、結婚式の場面からはラツァとイエヌーファを除きすべての人々が去ります。
そして、最後にラツァとイエヌーファは愛を確かめ合って、舞台の奥へと消えていきます。
義理の娘のことを思うといいながら、最終的には自分の体裁ばかり考えているコステルニチカの思いがすべての災いにつながっていくストーリーの展開が切ないです。オペラの中の場面にはありませんが、コステルニチカの亡夫も、その兄弟でシュテヴァの亡父もいずれもアル中であったということです。
事前に今回の演出では、登場人物が人間的に成長していくという要素を意図的に排除している、幕が閉じるまで暗澹とした話であると聞いていたのですが、実際に見てみますと、なるほどシュテヴァは最初から最後まで身勝手な男ですが、最後には一応の苦悩も見られましたし、ラツァはイエヌーファに結婚を申し込む第2幕になってもまだ粗野な振る舞いがありましたが、第3幕にはそのような要素もなくなり人間的な深まりが見えるような気がしました。これであれば、ラツァとイエヌーファの将来にも、薄明りだけはみえるのではないかと思いました。
イエヌーファの舞台は、チェコのモラヴィア地方です。イエヌーファが最初に上演されたのも、モラヴィア地方の都市ブルノです。ブルノは、チェコ第2の都市で、憲法裁判所、最高裁判所、最高行政裁判所など司法の中枢が集中している都市です。社会主義のチェコスロバキア時代には、ブルノはプラハ、ブラチスラヴァに次ぐ第3の都市でありまして、憲法裁判所の所在地として、プラハでもブラチスラヴァでもないブルノが選ばれ(ただし、ブルノは、第一次世界大戦後にオーストリアから独立して成立した第一共和制時代にすでに最高裁判所の所在地でもありました)、チェコとスロヴァキアが分離した後も、憲法裁判所はそのまま残っているのです。また、ブルノに最高行政裁判所があることと無縁ではないのかもしれませんが、ドイツのライプチヒ(連邦行政裁判所の所在地)と姉妹都市です。
閑話休題。イエヌーファは、暗い内容のオペラで、日本ではあまり知られていないオペラではありましたが、ほぼ満員に近い盛況でした。
日本でもオペラという文化がかなり根付いているのだと感じた次第です。
あらすじ
第1幕
製粉所を経営するブリヤ家の孫娘イェヌーファは、従兄で製粉所の若き当主シュテヴァと結婚予定。実は密かに彼の子を身籠っている。徴兵検査から戻ったシュテヴァは酔って大騒ぎ。そこにコステルニチカ(教会の女性)と呼ばれるイェヌーファの継母が現れ、「ブリヤ家の男は酒飲みで苦労するから、結婚はシュテヴァが1年間酒を絶ってから」と命じる。
不安になるイェヌーファにシュテヴァは「君のバラ色のりんごのような頬はこの世で一番美しい」と褒める。その様子をラツァが見ていた。シュテヴァと異父兄弟のラツァも彼女を愛している。「シュテヴァが彼女の頬しか見ていないなら、それが消えると......」そう思ったラツァはナイフで彼女の頬を切ってしまう。
第2幕
イェヌーファの妊娠を知ったコステルニチカは、彼女を家に隠し続ける。そして1週間前に男児が誕生。体調の悪いイェヌーファが眠る間に、コステルニチカはシュテヴァを呼び出す。彼は、「バラ色のりんごの頬も消え、性格も変わった彼女とは結婚できない、村長の娘カロルカと婚約した」と言い、金を置いて去る。その後ラツァが来てイェヌーファとの結婚を懇願。ならば、とコステルニチカは赤ん坊のことを打ち明けるが、葛藤するラツァを見て、「でも死んだ」と嘘をつく。嘘を誠にするためコステルニチカは赤ん坊を抱いて外に出る。目覚めたイェヌーファは、「熱で2日寝込んだ間に息子は死んだ、シュテヴァは別の女と結婚する」と言われ呆然。ラツァは彼女に結婚を申し込む。
第3幕
イェヌーファとラツァの婚礼の日に、用水路の氷の下から凍った赤ん坊が発見される。それはイェヌーファの息子だった。人々はイェヌーファを責めるが、コステルニチカが自分の仕業だと告白する。大きな不幸を背負ったイェヌーファはラツァに別れを告げるが、それでも共に人生を歩みたいとラツァは言う。
2人は苦難を乗り越え、共に生きていくことを誓うのだった。
指揮:トマーシュ・ハヌスTomáš Hanus
演出:クリストフ・ロイ: Christof Loy
美術:ディルク・ベッカー Dirk Becker
衣裳:ユディット・ヴァイラオホJudith Weihrauch
照明:ベルント・プルクラベク Bernd Purkrabek
振付:トーマス・ヴィルヘルムThomas Wilhelm
演出補:エヴァ=マリア・アベラインEva-Maria Abelein
ブリヤ家の女主人:ハンナ・シュヴァルツHanna Schwarz
ラツァ・クレメニュ:ヴィル・ハルトマンWill Hartmann
シュテヴァ・ブリヤ:ジャンルカ・ザンピエーリGianluca Zampieri
コステルニチカ:ジェニファー・ラーモアJennifer Larmore
粉屋の親方:萩原 潤
村長:志村文彦
村長夫人:与田朝子
カロルカ:針生美智子
羊飼いの女:鵜木絵里
バレナ:小泉詠子
ヤノ:吉原圭子