Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

SNSの功罪を暴く「英雄の証明」

2022年04月14日 | 映画

イランの名匠アスガー・ファルハディーが監督、去年のカンヌ国際映画祭グランプリを受賞したヒューマンドラマ。
イランの古都シラーズ。ラヒムは借金を返せなかった罪で投獄されているが、ある時、婚約者が金貨を17枚拾う。
借金を返済すればすぐにでも出所できるラヒムは大喜びするが、借主との示談が上手く進まず、罪悪感にも苛まれて、それを落とし主に返すことにする。
その善行がSNSに取り上げられ、「正直者の囚人」として英雄視されるが、SNSに広まった別の噂で状況は一変。
金貨を返したというのは自作自演の大嘘だったのではないかと、卑怯者呼ばわりされることに。
追い詰められたラヒムは、別の嘘を重ねることになり、嘘が嘘を呼んで収拾がつかなくなる。



嫌なストーリーです。
人間の感情の襞にメスをグリグリ突っ込んで、奥に隠れている感情を暴き立てるような。
大体ラヒムという男は、いつも曖昧な薄ら笑いを浮かべていて、いいヤツなのか悪いヤツなのか、それもよく分からない。
主人公にどう寄り添っていいのか分からないままに観て行くと、多分悪い人間ではないのだろうけれど調子に乗り過ぎるし、物事に上手く対処する実力もないくせに、プライドだけが高いヤツだということが分かって来る。
そんな人間が、SNSに絡めとられて右往左往する様子は、見ていて本当に辛い。
その彼が、吃音の息子の為に最後にした行為には、胸が突かれましたが。



異国の映画を観ていつも思うことですが、あまりにも違う社会風習に驚かされます。
借金で投獄されるというのも凄いが、それに休暇(仮出所)があるというのにもビックリ。
そしてこの国は、死刑ですらもお金で何とかなるようなのです。
子連れのシングルファーザーであるラヒムは、狭い姉の家に居候しているし、彼の婚約者も兄の家に居候している。
住宅事情が悪いのか、社会的弱者は一人暮らしできない社会であるのか。
そんな異文化であっても、親が子供を思う気持ちは変わらないという、切ないラストでした。



しかしこの監督、この映画を作った後に盗作疑惑で訴えられたのだそうです。
彼の映画製作講座の女性受講者の作品と酷似しているとして、先頃ファルハディー監督に有罪判決が出たのですと。
これでこの映画の上映・配信で得た収益はすべて女性側に渡すことになるそうですが、もし女性受講者が虚偽告発と名誉棄損で有罪になれば、最長2年の実刑や74回の鞭打ち刑もあり得たのだとか。
あの男尊女卑のイランで、こんな判決が出てよかった、よかった。

「英雄の証明」 

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メトロポリタン美術館展

2022年04月12日 | お出かけ

サブタイトルは「西洋絵画の500年」、日本初公開の46点を含む65点が国立新美術館に集結。
ネットで日時指定予約をして行って来ました。


ジョヴァンニ・ディ・パオロ・ディ・グラツィア「楽園」(上の絵)
初期ルネサンスの頃、シエナの大聖堂に描かれた祭壇画の一部だそうです。
修道士、普通の人、天使、様々な14組の人たちが向き合って挨拶をしている。
なんだかよく分からないが、服装は彩りに溢れ、花も咲き、明るくて楽しそうな絵です。
こんな風に争いなく生きて行けたらいいのにねえ?
それができないから「楽園」なのか…



ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「女占い師」
ポスターにも使われた、何とも色鮮やかな変わった絵。
右端の女占い師が金持ちの若い男を占ってコインを受け取り、左端の女は若者のポケットから財布を抜き取ろうとし、その隣にいる女は、その財布を受け取ろうと手を差し出している。
この女たちは全員ジプシーでグルなのだそうです。
ジプシー(今はロマ)が泥棒なんて決めつけたら、今だったらポリコレで問題になっちゃうでしょうね?
実際私も、パリの地下鉄でロマの少女たちに囲まれて怖い思いをしたことがありますが…



マリー・ドニーズ・ヴィレール「マリー・ジョセフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュ」
これは長らく、ヴィレールの師ルイ・ダヴィッドの作とされていたのが、1996年にようやく彼女の作と認められたのだそうです。
映画「燃ゆる女の肖像」でも、女性名では売れないから男性名で発表した方がいいなんていうシーンがありました。
女性画家の地位はまだまだ低かったのでしょうね。
そのせいもあるのかどうか、この絵の中の女性はなんとも反抗的な目をしているように見えます。
逆光で金髪がキラキラと反射し、シンプルな白いドレスもウエストに結ばれたピンクのリボンも透き通るように美しいのですが、その三白眼の目は、何かを訴えているかのようです。



3点だけご紹介しましたが、上のポスターには65点の絵画が全部出ているようです。
フラ・アンジェリコ、ティツィアーノ、ルノワール、ルーベンス、ゴッホ、ゴーギャン、ゴヤ、モネ、書き切れない。
NYのメトロポリタン美術館には何度も行きましたが、何しろ大きすぎて名画だらけで、足が棒のようになります。
65点位に集約してくれた方が私には丁度良く、コンパクトに楽しむことができました。
(撮影禁止だったので、写真はネットから頂きました)

メトロポリタン美術館展 

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「オートクチュール」

2022年04月10日 | 映画

ディオールのアトリエを舞台に、引退を目前に控えたお針子の女性エステルと、定職も持たずいい加減に生きてきた移民二世の少女ジャドという、世代も境遇も異なる2人の女性の人生が交差する様子を描いた作品。
という粗筋を聞くと、ほのぼのとした人情物語を想像しがちですが、そうはいかないのがフランス映画。
そもそも二人の出会いは、エステルのバッグをジャドの仲間がひったくった所から始まるのです。



”エステルは地下鉄で若い女性にハンドバッグをひったくられ、その犯人ジャドの滑らかに動く指にドレスを縫い上げる才能を直感したエステルは、彼女を警察へ突き出す代わりに見習いとしてアトリエに迎え入れる”と、公式HPや映画comその他に紹介してありますが、何故こんないい加減なことを?と不思議です。
ジャドは盗品のギターで弾き語りをし、それに見入ったエステルのバッグを、ジャドの仲間が盗んだというのが正しい所です。
とにもかくにも盗んだバッグから宗教的なネックレスを見つけたジャドが、良心の呵責に耐え切れず(本物のワルという訳ではないらしい)、身分証明書から辿って、エステルにバッグを返しに行くのです。


なので、エステルがどうやってジャドの手先の器用さを見抜いたのか理解しづらいし、しかもその出会いから、悪態と差別用語が飛び交うのです。
エステルはジャドに「貧乏移民」と毒づくし、ジャドはエステルに「シワシワ高慢ババア」と言い返す。
とにかくこの映画、汚い言葉と悪意のオンパレードなのです。



ジャドが住む郊外の低所得者用団地は、移民で溢れかえっている。
彼女の母親は23年来の自称鬱病で、狭い家の中でゴロゴロし、ジャドはヤングケアラーでもある。
これでは学校にもろくに行けず、定職も持てないのも仕方ないなあと同情する一方、そのあまりの下品さ、身勝手さにウンザリします。
ディオールのアトリエの警備員(アラブ系)に初め、追い出されかけたジャドは、「金持ちの犬が、偉そうにするんじゃねえよ」と罵声を浴びせる。
差別される者が差別をする、その典型。



老舗メゾン、石造りの建物のディオールの美しいアトリエ。
「クソ安い賃金で」黙々と縫う、お針子たちによって生み出される美しい数々のドレス。
そこにも差別やいじめが渦巻いているのですが、努力は何とか報われ、ラストは二人が友情で結ばれてホッとします。
移民、人種、宗教、ジェンダー、貧困、格差といった社会問題がギュウギュウに盛り込んであるのはこういう時代に忖度したからとかと思いきや、シルヴィー・オハヨン監督は、ユダヤ系チュニジア人でフランス移民の団地育ちとのことです。
パリの現実の一つには違いないのでしょうね。

公式HP 




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春の銀座、4億5千万円

2022年04月08日 | お出かけ

久しぶりに銀座で映画を観たついでに、街を散歩しました。
三越のライオンはポロの服とマスクを装着。



ポーラビルでは、若手アーティストによるグループ展「ポーラミュージアム・アネックス展2022」を。
私には理解できない前衛的な作品が多かったのですが、こんな楽しいのも。
地面に置かれた肉まん位の大きさのこの子たち、時々コソコソ動くのです。
電動ハムスター?デジタル・モフモフ?ITネズミ?



昼間はちょっとマヌケに見えましたが、暗い所では上の写真のように綺麗なのですって(これはHPからお借りしました)。



銀座TANAKAの店先に、こんな柴犬が。
貴金属店に何故柴犬が?と入ってみたら、木彫り作家はしもとみお氏が作ったオブジェなのだそうです。
はしもと氏デザインの純金犬もあり、大きさは5㎝ほどと可愛いのに、お値段は135万円!



ガラスケースの中にキンキラ豪華絢爛な千両箱が。
なんとこれ、硬貨だけでなく、千両箱自体も純金で作られているのですって。
36㎏の純金を使い、お値段4億5千万円!



ランチはルミネの中のカフェ&ブック・ビブリオテークで。
あすかルビー苺とピスタチオクリームのパンケーキ、レモンバターソースのサーモンソテー&海老のスプリングサラダ。
コロナ以来初めての久しぶりの友人と、お互いここまで何とか無事に来れたよねえと。
マスクしてお喋り、外して食事、またマスクと、忙しく頂きました。
多少面倒でも、会えないよりはずっとマシです。

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「ベルファスト」

2022年04月06日 | 映画

俳優・監督・舞台演出家のケネス・ブラナーが、自身の幼少期の体験を投影して描いた自伝的作品。
舞台は1969年の北アイルランド、ベルファスト。
9歳のバディは労働者階級の住む町で、両親、祖父母、兄と平和に暮らしていた。
誰もが顔見知りの町で、友達と路地で遊び、クラスメイトの可愛い女の子に熱を上げる。
しかし1969年8月、プロテスタントの武装集団がカトリック住民への攻撃を始め、そうした日々は一変する。


紛争が始まった町での、もっと悲惨な話かと思っていましたがさにあらず、バディの目線で捉えた温かいホームドラマです。
バディの父親はロンドンに出稼ぎに行って不在が多いし、町の様子は日に日に悪化しますが、そこは9歳の少年、めげずに生活を楽しんでいる。
そこに祖父の軽口など、ユーモアがさりげなく挟まれるのです。
イギリスに引越したら言葉が通じないというバディに、「ばあさんとは50年一緒にいるが、何を言ってるのか未だにわからん」。
そのばあさんを演じるのはジュディ・デンチ、87歳の大女優がいい味を出しています。
ラストシーンの潔さはできすぎという気もしますが、そういう肝っ玉おばあさんだったのでしょう。



バディがませた女友達にそそのかされ、嫌々万引きをするシーン。
どうしてターキッシュデライトなの?ミルキーウェイを盗ればいいのに、と後で怒られる。
ターキッシュデライトは「ナルニア国物語」に、イギリスの子供たちの憧れのお菓子のように出て来るのに…
そんなものなのか。


厳しい社会問題を背景としていますが、幼少時の、ちょっと泣きたくなるようなノスタルジーを呼び起こしてくれる作品です。
ただあたたかすぎて起伏が少なく、少々中だるみする嫌いが。
モノクロ映画に、冒頭と最後、そして劇中映画にだけ、カラーが効果的に使われていました。
アカデミー脚本賞受賞。


「ベルファスト」

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上には上

2022年04月05日 | 社会

ロシア軍が撤退したキーウ及びその周辺の都市で、露軍がいかに酷いことをしたかが明るみになって、騒がれているようです。
日本のテレビやネットのニュースは、路上に転がった遺体の部分をぼかしたり、それ自体の画像を出さないようにしていますが、海外のニュースはそんなものではない。
「Kyiv Bucha Corpse」などでネット検索すると、凄惨極まりない画像がこれでもかと出て来ます。
只でさえ眠れなくなる軟弱な性格なのに、そんなことをする自分にも腹が立ちますが。

国際的な人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは、ロシア軍がウクライナ市民をレイプし、拷問し、略奪を行ったと非難している。
それに対してロシアは、戦争犯罪の疑いを否定し、死体が転がる恐ろしい映像はフェイクであり、ウクライナによる挑発や演出だと主張している。
開いた口が塞がらないとはこのことです。

戦争というものは、人が人を殺すこと。
そんなこと子供だって知っている。
それだけの「悪」を堂々と行うのに、それに付随してレイプや拷問や略奪が起きても当然だろうと思います。
なんとなれば私には、「人倫にもとることなく人道的に」人を殺すシーンなんて想像できないのです。

毎日コロナのニュースばかりでうんざりしていましたが、ここに来て戦争のニュースという、比較にならない程の悲惨なニュースが加わるようになりました。
上には上と言うべきか、下には下と言うべきか…
あまりに悲しい話なので、今朝のタロウの画像を。


地下室に手りゅう弾投げるロシア兵、逃げ出した子供を銃殺…相次ぐ「戦争犯罪」証言

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老いにまつわる3冊

2022年04月03日 | 


「ショローの女」伊藤比呂美著
息子たちが幼い頃、何度も読み返した育児エッセイ「良いおっぱい悪いおっぱい」。
明るい育児のための合言葉はがさつ、ぐうたら、ずぼらであるなどの言葉に、新米母の私はどれだけ慰められたことか。
その著者の最新本「ショローの女」は、著者が60代半ばとなり、カリフォルニアから熊本に戻ってからの一人暮らしの様子が書かれています。
米国人の夫を看取り、3人の娘たちは自立し、愛犬クレイマーと暮らし、週一回上京して早稲田大学で教える日々に、コロナが襲来する。
著者の、学生たちを見る目が何とも優しい。
”この一年生たちは、まだ大学という場所に一度も行ってない。普通の時なら、大学生になると、サークルに入ったり、友達や恋人を作ったり、セックスをし始めたりする。町に繰り出す。飲んで吐く。失恋して泣く。目に浮かぶ、キャンパスの人混み。早稲田の駅前の人の流れ。今年の一年生はそういうのを知らない。
数十人から数百人の子どもたちが口を開けて、コロナの不安に押しつぶされそうになって、せんせえせんせえと(鳥のヒナみたいに、でも声を出さずに)泣いていた。”
このお母さん目線の温かさに、私は惹かれたのだとつくづく思いました。

「疼くひと」松井久子著

イサムノグチの母親の人生を映画化した「レオニー」を私はあまり好きではなかったのですが、その脚本家が書いた、70代の女性の性愛を描いた作品です。
脚本家の主人公は古希を迎え、日に日に老いを感じる日々、SNSで年下の男と出会い、身も心も溺れて行く。
その描写があまりに詳細で生々しくて、私はちょっと食傷気味でした。
赤裸々によく書いてくれた、勇気を貰ったなどの声も多いようですが、そんなことは自分の日記に書いて、自分だけ読み返せばいいのにと思ってしまいました。



「夫の後始末」曽野綾子著

夫の三浦朱門氏がある日、突然倒れ、そこから始まった80代なかばにしての介護生活がさらりと書かれています。
あまりにも淡々とした描写で、そこには辛いとも苦しいとも一言もないのですが、介護とは「奉仕」であり、「奉仕」とは排泄物の世話をすることと言い切っていることから、その大変さを想像するという感じです。
そして日野原重明先生に聞いた、人間の臨終を楽にする方法として、胃瘻・気管切開・多量の点滴による延命はやってはいけないと。
御夫君も同意されたということで、それを実践なさったようです。
63年間一緒に過ごした夫が亡くなってからも、寂しいだの悲しいだのという言葉は一切なく、ただ一匹の子猫を迎え入れ、直助と名付けて一緒に暮らし始めたと。
”家族の誰かが旅立って行く時、残される者はしっかり立って見送らなければならないのだろう。その任務をこんな小さな直助でも助けていたのである”と。

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