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Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「滅びの前のシャングリラ」「東大教授、若年性アルツハイマーになる」

2022年03月07日 | 


一ヶ月後に小惑星が衝突し、滅びることになった地球。
高校で毎日、執拗ないじめを受ける友樹、社会の下の下まで落ち、人を殺したヤクザの信士、妊娠して暴力的な恋人から逃げ出した静香、個性的な歌手で成功するも恋人を殺してしまったLoko。
人生をうまく生きられなかった四人が、最期の時までをどう過ごすのか。
静香の独白。
”子供の頃、あたしには夢があった。大人になったらゴミタメのような家を出て、惚れた男と結婚して、休日には家族で動物園や水族館に出かける。自分には縁がなさそうだと、一度も使わず玩具箱にしまった夢。もうすぐ遥か上から巨大な石が降って来て、あたしたちはみんな死ぬ。けれど最期の時、あたしの隣には惚れた男と子どもたちがいる。神さまが創った世界では叶わなかった夢が、神さまが壊そうとしている世界で叶ってしまった。ねえ神さま、あんたは本当に矛盾の塊だな”
4人の不思議な結びつきに胸が打たれる、人類滅亡が宣告された世界での一風変わった終末物語でした。

「滅びの前のシャングリラ」 



「東大教授、若年性アルツハイマーになる」

脳外科医としてスタートした若井晋(すすむ)氏は、独協医大教授を経て東大教授となり、国際地域保険の専門家としても世界を飛び回り、英語、ドイツ語、中国語に堪能だったといいます。
その彼が、自分の異変に気がついたのは54歳の頃。
簡単な漢字が出てこない、馴染みの場所に辿り着けない、ATMでお金を下せない、券売機で切符が買えない。
次第に日常生活に支障が出るも、プライドや、そんなことがある訳がないという気持ちが先に立って中々受診できない。
ようやく受診して若年性アルツハイマーと診断されたのは、59歳の時だったそうです。
その年に東大を早期退職して、そこから75歳で亡くなられるまでの軌跡を、妻の手で詳細に書かれています。
退職をして3年後、インタビューで「アルツハイマーになったことの意味が、ご自身の中にあると考えていらっしゃいますか。」と聞かれて
「私がアルツハイマーになったということが、自分にとって最初は『何でだ』と思っていました。けれども私は私であることがやっとわかった。そこまでに至るまでに相当格闘したわけですけど。」と。
”晋は若年性アルツハイマー病になって、知識を、地位を、職を失った。
それは、世間からは「地獄」に見えるのかもしれない。
だが私には、むしろ、すべて失ったことで「あるがまま」を得て、信仰の、人生の本質に触れたように感じられるのだ。”
ご夫婦ともに、熱心なクリスチャンでいらしたのですね。
2021年2月10日、直接の死因は誤嚥性肺炎で、氏は亡くなられています。

「東大教授、若年性アルツハイマーになる」

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「ものがたりの家」

2022年02月20日 | 
てっきり名作文学の中に出てくる家の絵を集めた本かと思いましたが、さにあらず。
著者の自由な想像で創られたオリジナルの家の数々です。
どれをとってもそこに独特な世界があり、つい引き込まれてしまいます。



例えば「寡黙な整備士の別荘」。
”長期休暇の際に湖畔の別荘を訪れる自動車整備士は、そこで蒸気式のボートを整備して一人で乗りこなすことを無上の楽しみにしている。妻子はなく、家族は大型犬一頭のみだが、本人はそれで満足している。”
この別荘、ボートのドックがあり、直接家からボートに乗り降りできるのですね。
でもねジョゼフ(私が勝手に名付けた)、犬のビリー(これも)はいつかは死んでしまうのよ…
まあそれは、人間でも同じことだけどね。


「厭世的な天文学者の住処」。
”星への興味が深いあまり、人里離れた奇岩の上で隠者のように暮らし、空を眺める日々を送っている。人々からは占星術師と理解されているが、その研究内容はむしろ天文学と呼ぶにふさわしい。”
小さな庭でヤギを飼い、ミルクやチーズを食用にする他、最低限の野菜を作ってほぼ自給自足しているのだそうです。
ギリシヤのメテオラで、本当にこんな風な奇岩の上にできた修道院を訪れました。
中世に何人もの人の命を落としながら建てられたという奇岩の上の建物は、今も修道院として機能しながら観光名所となっていました。
小さな修道院の奥には、歴代の修道士たちの髑髏が山積みに。
宗教の為に、ここまで自分を罰しながら生きるのかと驚きました。
メテオラ紀行はこちらです。



「森の中の診療所」。
”小さな村の、小さな森の中にある診療所。訪れる患者は少なく、若い医者がたった一人で受け持っているが、一日患者が来ないこともある。そんなある日、気まぐれで怪我をしたタヌキを助けてあげたところ、意外な患者が…。”
そして怪我をしたクマやウサギや小鳥が、果実や木の実を持って訪れるようになったのね。
当惑したような龍之介先生(勝手に命名)の表情が微笑ましい。


他にも「水没した都市の少女の家」「偏執的な植物学者の研究室」など、想像の世界の家が全部で33軒。
コロナ禍、しかもどんより曇り空の天気の今日、五輪の中継を眺めながら読むのにピッタリの本です。

「ものがたりの家」 

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「スモールワールズ」

2022年02月09日 | 


2022年の本屋大賞ノミネート作品ということで、この著者の作品を初めて読みました。
6篇の短編集です。
不妊治療に励み、夫の不倫を見て見ぬふりをする主婦と、親から虐待されている少年。
夫から離縁されて出戻って来た、総合格闘技にスカウトされたこともある188㎝の姉(綽名は魔王)と、気の弱いその弟。
祖母が世話をするうちに突然死してしまった初孫と、嘆き悲しむ娘夫婦。
たった一人の身内である兄を殺された女性と、刑務所にいるその犯人。
性転換を願う娘と、ちゃんと向かい合うことができない駄目教師のその父親。
アルコール依存症で暴力をふるい続けた父親を亡くした「後輩」と、その葬儀に呼ばれた「先輩」。

様々な形の家族と、その中に隠された苦悩と秘密。
家族というものは、普通は深い愛情で繋がっているが、時に鬱陶しく、時に残酷な繋がりでもある。
完全でない家族でも、上手くいかない人生でも、どんな不幸に躓いても、それでもいいのだと優しく肩を叩いてくれるような短編集です。
それぞれの作品に驚きが用意されていますが、一番驚いたのは、最終話が第一話への伏線であったこと。
そして第三話のラストで語り手の正体が分かったときで、これにはもう、言葉を失くしました。

私が一番好きな、第二話「魔王の帰還」から。
”小学校二年の時、スーパーで転んで腕を骨折した。姉は痛みに泣き喚く鉄二を買い物用のカートに放り込んで押し、病院まで爆走した。店員の制止も聞かず、ガラガラと派手に地面を削りながら。
ー野球できなくなったらどうしよう。
ー大丈夫じゃけぇ、鉄二、泣くな。姉ちゃんがついとるけぇ。
大丈夫だよ姉ちゃん、と今度は鉄二が思う。奇跡は起こらない。起こらないから傍にいてやれ。最後には負けが決まっているシナリオでも、立ちはだかるから魔王なんだろ。
勇者の元へ、音を立てて帰れ、魔王。”

「スモールワールズ」

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「十二の肖像画による十二の物語」

2022年02月07日 | 

レンブラント、デューラー、ダ・ヴィンチなどが描いた美しい十二の肖像画に寄せて、辻邦生が想像力を膨らませて編んだ十二の物語。
十二編の中から、少しだけご紹介します。



第一の物語「鬱ぎ」(ふさぎ)『ある男の肖像』 ロヒール・ファン・デル・ウェイデン
”そのくせ妻はヨハネスを棄てきれなかった。 彼の財産にも魅力があったが、それより何より、ヨハネスが都会の女たちのあいだで噂されるような、どこか官能的な容貌の持ち主だったからである”
官能的な容貌の持ち主ヨハネスは、自邸の中庭で、弱々しい奇妙な生き物を見つける。
妻から逃げられてまでも彼が匿いたかった生き物とは何だったのか?
それと引き換えに彼が差し出したものは…?



第二の物語「妬み」(ねたみ)『老婆の肖像』ジョルジョーネ
”エリザベッタはそのとき、炎の揺れ動くなかに、炎とそっくりの恰好をした、金色の、奇妙な生き物をみたのであった。生き物?たぶん生き物であったのであろう、それは炎と同じように楽しげに薪の上で跳ね踊りながら、身をくねらせていたのだから”
幼いエリザべッタが暖炉の中にそれを初めて見たのは、彼女の妹が生まれた時。
妹は醜く不愛想なエリザべッタと違って、天使のように可愛らしく生まれついたのであった。



第六の物語「偽り」『黄金の兜の男』レンブラント
”クリスティナはいつも伏眼がちの、慎ましい女であった。髪を後でひっつめにしたために広く見える額の下に、青い利口そうな眼が微笑みを浮かべていた。ゴトフリートは一目でこのクリスティナに恋情を覚えたのであった。もちろんトマスの手前、彼はそれは誰にも打ち明けたことはなかったが…”
将軍ゴトフリートは、軍人仲間トマスの妻への恋情を自分の胸の奥深くにしまい込んでいた。
隊長トマスの砦がスペイン軍に包囲され、苦戦を強いられていると聞いた時、ゴトフリートの取った決断は…


第七の物語「謀み」(たくらみ)『婦人の肖像』ポライウォーロ(表紙の写真)
” 田舎の厩舎では、案じ顔のエンリコが待っていた。
「どうなさいました?まさかご病気では?」
「病気のほうがどれほどましか分かりません。あなたに言うわけには参りませんが、私は大変な苦しみを受けているのです」
エンリコは、ポリーナにそう言われると、気圧されたように黙ったが、しかし晴れやかな眼が艶を失い、明るい微笑が消えているのをみると、思わず、今の身分を忘れて叫んだ”
この美しい横顔の女性は、フェラーラ宮廷に勤める、馬を愛するポリーナ。
求愛されて結婚したものの、良人カルロの冷たさに悩んだポリーナは、馬丁エンリコに相談するのだが…


世界のあちこちの美術館を覗いてきましたが、肖像画というものは、時の金持ちが財力に任せて高名な画家に頼んだものが多いような気がします。
その意味では、第二の物語の「老婆の肖像」のような作品は珍しいのでは?
辻邦生の想像の翼に導かれて、中世ヨーロッパの人々の人生を、ほんの少し味わうことができます。


「十二の肖像画による十二の物語」


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「やさしい猫」「ペンチメント」

2022年02月01日 | 


「やさしい猫」中島京子著
名古屋入管収容中に亡くなったスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんの事件を聞けば聞くほど、
これが現代日本で本当に起きたこと?と不思議に思っていました。
この本で、日本の移民政策と入国管理について、その理不尽さが多少わかったような気がします。
シングルマザーの保育士ミユキさんは、8歳年下のスリランカ人の自動車整備士クマさんと知り合い、惹かれ合う。
一人娘のマヤも一緒に、3人は仲良く、つつましく暮らし始める。
クマさんが失業し、在留資格を失い、入管に突然収容されるまでは。
いや、こんなことが本当に今も日本で行われているとは、驚きました。
ビザを出すも出さないも、収容か仮放免かも、決めるのはすべて入管の裁量であったとは。
国外退去と決まった場合でも、数年間も窓さえ無い収容施設に留め置かれることもあるとは。
「やさしい猫」とはスリランカの民話。
ネズミのお父さんが食べ物を探しに行って、猫に食べられてしまう。次にお母さんも食べられ、あわや子供たちもというところで、親を食べてしまったことを知った猫は反省し、ネズミの子供たちを優しく育てる、という話。
生物体系とかはどうでもよく、やさしい猫と元気に走り回るネズミの子供たちがそこにはいるのです。
長いこと劣悪な収容施設に閉じ込められたクマさんの、切なる願いが込められたのかしらね。

「やさしい猫」



「ペンチメント」茂木 健一郎著
脳科学者が書いた小説ということで興味を持って読んでみました。
「ペンチメント」とは、画家が書き損じた作品の上から別の作品を描くことで、そこから後悔という意味を表すらしい。
その言葉からインスピレーションを受けた著者が書いた小説、ということに惹かれたのですが
”仕上がった絵を見て、ああ、これはダメだって後悔するんだよね。それで、上から塗り直す訳さ。前の絵が、完全に消えるくらいにね。でもね、塗り直して、描き直しても、結局、前と同じくらい、下手なんだよなあ。それにさ、塗り直しても、結局、時間が経つと、下から絵が出て来ちゃうんだよね。上の絵が剥がれて、薄れてさ。バレちゃうんだ、甘い、うかつな、過去の自分が”
これは小さな洋食屋のシェフ、黒川の言葉。
その黒川に密かに惹かれる大学生の沙織と、そんな沙織を嫉妬するボーイフレンド武の三角関係の物語ですが、人物の書き込み足りず、感情移入まったくできず、沙織や黒川が感じているらしい孤独感にも残念ながら共感できず。
上に引用した台詞がこの小説のすべて、という感じがします。

「ペンチメント」 



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「アフリカ人学長、京都修行中」

2022年01月24日 | 

マリ共和国出身の著者が京都に30年以上住み、京都精華大学の学長になるまでの経緯と、専門の「空間人類学]の視点から捉えた京都文化の解説本。
マリのごく普通のイスラム教徒の家庭に生まれた著者は、国費で中国の大学に留学します。
留学中の夏休みに日本を訪れて京都の祇園祭に衝撃を受け、丁度その頃、天安門事件が起きて外国人留学生は中国に居づらくなったことから日本に移り、語学学校を経て京都大学の研究生となります。
そこから京都に住み続け、日本女性と結婚して在日30年、マリでの生活よりも長くなったという。
その著者の京都観察が非常に面白い。


例えば、分かりにくい「京ことば」の一例として、褒め言葉を駆使したクレームがあると。
京都大学院時代、友達を自宅に呼んでホームパーティをすると、翌朝、必ず近所の人と遭遇した。
満面の笑みを浮かべて「なんか楽しそうやねぇ。いつも学生さんが多くていいねぇ」「あなたが来てからこの町はほんま、賑やかになったわ」と言われた。
それを聞いて、自分もこの町の一員になれたのだと嬉しかったが、後になってあれは全部、苦情だったと分かった。
その証拠にそのうち著者は、何度言ってもうるさいと警察に通報されてしまうのです。


近所の住人のことを詳細に知りたがるのも京都流。
著者の姪っ子が遊びに来た時、ゴミの出し方を教えようとゴミの集積所に着いた途端、”ご近所さんの女性”が現れて、ゴミの出し方を事細かに教えたという。
”私は20年以上ここに住んで、20年以上ゴミも捨てています。その私を差し置いて、直に指導しようとする、なんでやねんと思ったのですが、どうやら「サコさん家に最近来ているお客さんは何者?」と確認しているようなのです。
サコとはどういう関係なのか、いつまでいるのか、本当はそういうことを知りたいから、ゴミ出しを指導するという名目で情報を引き出す訳です”と。


”自分が当事者としてかかわることは徹底的に避け、第三者を立ててメッセージを伝えてくる。自分が誰とも衝突しないよう、他人をダシに使うのが京都流”という。
「私は気にせえへんけど、みんなはこう言うてはる」という言い回しを、京都の人は頻繁に使うのだと。


他にも、京都の「一見さんお断り」の本意とか、「おこしやす」と「おいでやす」の違いとか、「ぶぶ漬けいかがどすか」と勧められたら、断って帰らなければいけないというのは本当か、など。
よそのお宅を訪問するときは白い靴下を履く事を、ロータリークラブに入会してから教わったそうです。
「いけずな京都」に入り込んで楽しんでしまうマリ人の京都観察記、たっぷり楽しみました。
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「四肢奮迅」あのスキャンダルの後

2022年01月05日 | 
あの乙武氏が、義手と義足をつけて歩く練習を重ねる様子が書かれています。
帯に「歩くとはこんなにも大変なことだったのか」とありますが、この本を読むとつくづくそれが分かります。
乙武氏が歩くことに関しては、「三重苦」があるのだそうです。
両膝がないこと、両手がないこと、そして歩いた経験がないこと。

義足エンジニア、義肢装具士、義足デザイナー、理学療法士らから「乙武義足プロジェクト」が作られ、乗り慣れた電動車椅子から離れて、彼は必死に練習を始めます。
その練習の大変さ、過酷さには、誰もが驚くでしょう。
が、私がこの本を読みたくなった理由は、これが2019年に出版されたから。
そう、あのスキャンダルの後、乙武氏がどんな申し開きをするのか、そこに興味を持ったからです。



「五体不満足」がベストセラーになって一躍有名人となり、参院選の自民党有力候補者に目された氏に2016年、5人の女性との不倫スキャンダルが発覚。
それを認めて謝罪するも強烈なバッシングを受けて、氏の姿はテレビから消えた。
最近たまにテレビでお見かけするようになってあれ?と思っていたところ、こんな本が出たのに気が付いたのでした。

”2016年3月。数ヶ月後に控える参議院選挙への出馬が取り沙汰されていた当時、私生活でのスキャンダルを暴露する記事が週刊誌に掲載され、世間からの集中砲火を浴びた。申し開きできることではまったくないし、するつもりもない。多くの方に迷惑をかけてしまったことは事実だし、とても申し訳なく思っている。(中略)
「障害者なのに」と称賛され、「障害者のくせに」と非難される。正直に言えば、もううんざりだ。障害があろうがなかろうが、車いすに乗っていようがいまいが、私から生み出された結果そのものを見て欲しい”

いや、障害があろうがなかろうが、5人の女性と不倫しちゃいかんでしょう?
しかも迷惑をかけたことを謝るのであって、御自分の行為そのものに対する謝罪ではないのね。
「五体不満足」を読んだ時に、なんて凄い人なんだろうと感嘆しましたが、同時にその自信に満ちた強すぎる姿勢に、少々引く部分があった覚えが。
その姿勢は、今度の本にも貫かれていました。
それでもヒール役に徹しながらも、過酷な練習に耐えて歩こうとする、その不屈の根性には打たれます。
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「羊は安らかに草を食み」

2021年12月18日 | 


益恵は、初期の認知症を患った86歳。
20年来の俳句仲間の仲良しであるアイ(80歳)と富士子(77歳)は、益恵が自分を失ってしまう前に、3人で益恵がかつて住んだ土地を辿り、彼女の人生を遡る旅に出ることを、益恵の夫から頼まれたこともあって計画する。
大津、城下町松山、五島列島を旅して益恵の過去を辿る様子と、終戦直後に命からがら満州を引き揚げてきた益恵の様子とが、交互に描写されます。

満州引き揚げについての本は、「けものたちは故郷をめざす」(安部公房)「流れる星は生きている」(藤原てい)「大地の子」(山崎豊子)など若い頃に色々読みましたが、近年では久しぶりでした。
満州に家族6人で暮らしていた10歳の益恵は、昭和20年8月、開拓団全員で退避することになる。
ソ連兵や満人、或いは飢えや渇き、疲労や病気に襲われながら、ひたすら歩いて南下するが、父はソ連兵に殺され、弟の一人は満人にさらわれ、もう一人は栄養失調で亡くなる。
もういよいよ駄目だと、数少なく残った隊は手榴弾で集団自決を計るのだが…

”益恵の上に覆いかぶさっていたのは、母だった。俯いた死に顔は綺麗だった。
母の上の中を見て、はっとした。ふみ代がいた。無傷で、だけど泣きもせず、姉をじっと見上げていた。思わず抱き取ろうと手を伸ばした。ふみ代も小さな手を母の体の下から差し出した。
だが、益恵の手は止まった。こんな小さな赤ん坊を抱いてどうするというのだ。お乳もない。たった十歳の子が連れて行って、生かしてやれる筈がない。山から出た途端に、ソ連兵に撃ち殺されるかもしれないというのに。
「お母ちゃんと一緒にいな」
ふみ代の黒目が真っ直ぐ益恵に向いていた。
「さよなら、ふみちゃん」
さっと立って背を向けた。
草地の端まで行くと、地平線が見渡せた。満州の大地に、赤く熟れた太陽が沈むところだった。”

これは、益恵が集団自決から生き残ったところです。
こうして6人家族の5人までも失った益恵は、たった一人で死に物狂いでそこから生きて行くのです。
これはまだまだ、過酷な逃避行譚のその始まりでした。

終戦直後の地獄のような満州の様子と、平和で飽食の現在の日本の様子が交互に現れて不思議な気もします。
86歳の認知症を患った老女が長年抱えていた「つかえ」が何であったかを知った時、読む側は言葉を失いますが、しかしこの小説、最後にちょっと笑える展開が用意されてあって、救われるような思いです。
久しぶりに重く、読みごたえがある小説でした。
戦争の悲惨さ、生きることの尊さ、人の絆の重さがテーマでしょうか。

「羊は安らかに草を食み」 

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「犬がいた季節」

2021年12月08日 | 



読了してそのままもう一回読み直しました。
私の好きな小説です。


1988年、四日市の進学校に迷い込んだ白い仔犬は「コーシロー」と名付けられ、学校で飼われることになる。
しかし主人公はコーシローではなく、彼に関わる生徒たち。
中卒でパン屋を営む祖父から嫌味を言われながら受験勉強をする優花、鈴鹿でF1のセナの激走に心躍らせる五月、阪神大震災で家を焼かれて泣く祖母の姿を見て進路を変える奈津子、援助交際をしながら勉強して惨めな環境からの脱出を図る詩乃、病床の祖父を慰める為に必死に絵を描き、優花先生に憧れる中原。
昭和から平成へと変わる時代に、最後の共通一次、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件といった大事件を絡めて、人生の岐路に立つ生徒たちの、迷いや愛や決意を描いた短編集。


第四話から。
”八月の最後の土曜の午後、詩乃は男と待ち合わせて、ホテルへ向かった。
二時間休憩をした後、男が暫く会うのはやめようと言った。
暫くっていつまで?と聞くと、分からない、と言う。
そして「詩乃ちゃんは可愛いけど、もう十八。そろそろ卒業だからさ」と薄笑いを浮かべた。その言葉を聞き、女子高生としての賞味期限はそろそろ切れるのだと気づいた。少女が好きなこの男は、自分にとって新鮮な相手を何処かでまた見つけたのだ。
そうだね、といつものように、最高に綺麗に見える角度で笑って見せた。
「私もそろそろ限界。おじさんって、ほんとクサいもの」
男がすこし傷ついた顔をした。それを見て、わずかに気分が良くなったが、そんな男にあちこち触らせた自分が汚く思えて仕方ない。”


高校生の時の、子供でもなく大人でもない、どうにも中途半端な不格好な自分。
その自分が不器用に悩んでジタバタしていた姿が、少々しょっぱい味と共に思い浮かびます。
そんな時期が、確かに私にもあった。
犬を描いた物語は、その最期がつらくて泣きたくなるのですが、この本は終章に嬉しいサプライズが用意されていて、その悲しみを巻き散らしてくれる。
そして本のカバーを外すと、装丁に隠されたオマケがあるのです。

「犬がいた季節」公式HP 


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83歳で再挑戦「太平洋ひとりぼっち」

2021年12月05日 | 

あの堀江謙一氏が、来春、単独太平洋横断に挑戦するという記事を読んで仰天しました。
昭和13年生まれ、83歳ですよ。
あり得ないでしょう!?
思わず、昔読んだ「太平洋ひとりぼっち」を読み直してみました。


意外に泣き言が並べられていて、こんな弱い人だったのかと驚いたことだけ覚えていましたが、後は綺麗に忘れて。
堀江謙一、大阪の自動車部品工場を営む家に生まれる。
関西大学第一高等学校に入学してヨット部に入部するも、ヨットがなんとなくカッコいいと思っていたから、という程度。
それが徹底的にしごかれ、入部して一ヶ月経ったら、30人の新入生が彼一人に減っていたのだそうです。
そこで意地になってオレはやめへんぞ!と決意したと。
大学には進学せず、家業を手伝ってお金を溜めながら、ひたすらヨットの修行に精を出す。



1962年5月12日、23歳のときに小型ヨット「マーメイド号」で単独無寄港太平洋横断に繰り出す。
当時ははヨットによる出国が認められておらず「密出国」という形になったのだそうで、その苦労が散々書かれていました。
しかも西宮を出てすぐ、次から次に嵐に見舞われ、へとへとになる。
こんな航海に挑む人はスーパーマンのように強い人かと思っていましたが、この人は年中船酔いに苦しみ、不眠や頭痛にもしょっちゅうさいなまれ、しかも何よりも孤独感に苦しんでいる。


”太平洋をひとりで渡るさびしさは、出発の前に想像していたのとは、まるで違う。「さ・び・し・い」なんてそんな単純なものではない。あらゆるつらさがミックスしたのが、さびしさである、ジッとしていられないほど気分を攻めつける。まぎらわしようがない。本当に、狂いだしてしまいそうだ。
思いついて、アルコールで悪酔いすることにした。ぼくは酒が好きじゃない。それに弱い、飲んで苦しくなれば、少しは重圧からそれるだろう。悪酔いの不快感が、酷ければ酷いほど、今は救いである”
そんな感じです。


(サンフランシスコに着いたとき)

船酔い、頭痛、下痢、便秘、不眠、日焼け、そうしたものに苦しめられながら、幾度となく嵐に見舞われ、かと思うと凪で何日もまったく進まなくなって発狂しそうになり、フカ(原文のまま。鮫?)や鯨の群れに囲まれながら、彼は8月12日、94日目にサンフランシスコに入港するのです。
弱くて、そしてなんと強い人なのか。


本書の中で私が一番好きな箇所。
いよいよ出発するという日の夜、実家で。
”いまさら、話もなかった。でも、こんなに長く、肉親と離れるのは、生まれて初めてだ。いささかセンチである。念のために、もう一度、申し渡した。
「ぜったいに、百二十日までは、心配せんといてや。さわいだらあかんで」
オフクロが外を見るそぶりで横を向くと、ポロッと涙をこぼした。気がつかないふりをする。そうでないと、おたがいやりきれない。”


「太平洋ひとりぼっち」 
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