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Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「戦禍のアフガニスタンを犬と歩く」

2022年08月29日 | 

この過酷で壮大な旅行記を、私の拙い文章で何処まで簡潔に(長々とは書きたくない)ご紹介できるか甚だ自信がないのですが、民族問題や政治問題など難しい部分はすっ飛ばして、根幹的な部分だけ書いてみます。
「王立文学協会賞」「スコットランド芸術協会賞」受賞作。

29歳のスコットランド人ローリー・スチュワートは、アフガニスタンの西部ヘラートから東部カブールまで歩き通す旅に出る。
時は2002年、同時多発テロの報復としてアメリカが、その首謀者をかくまったアフガニスタンのタリバンを攻撃し、タリバンが撤退した直後の混迷の頃。
ローリーはオックスフォード大を出た元外交官であり、ペルシャ語とインドネシア語を話し、イスラム圏の文化にも通じている。
しかし、零下40℃、積雪3m標高4千mの山岳地帯、しかも内戦が続くアフガニスタンを歩き通すとは。

イスラム圏では、有力者の紹介状を持っている客人は最大限にもてなし、食事と寝床を提供するという習慣があるのだそうです。
しかし実際には、タリバンが暴挙を尽くした後のアフガニスタンの村は殆どを焼き払われ、男は殺され、客人をもてなす余裕など何処にもない。
扉を叩いても居留守を決め込んだり、ようやく開けてもモスクへ行かせたり。
パンのかけらと薄いスープ、或いは腐った肉を提供するのがやっと。
ローリーは降りしきる雪の中で方向を誤ったり、凍った川の中に落ちたり、地雷が爆発するすぐ横を歩いたり、赤痢を患ったり、オベイ村の司令官から銃撃されたり、カリリ州知事の兵士から殴られたりと、文字通り命からがらの旅をするのです。

しかも途中から、大きな犬がお供となる。
実は私は、表題の「犬と歩く」に惹かれてこの本を読んだのですが、私が思い描いたような、犬と人間が信頼し合い、助け合いながら旅するような話ではまるでありませんでした。
65㎏もある大きなアフガン・マスティフ、人間に耳を切り落とされ、歯を叩き割られた用済みの老いぼれ犬。
ある村でこの犬と出会ったローリーは見捨てることもできず引き取り、15世紀末にアフガン一帯を征服した皇帝バーブルから名前をつけるのです。
このムガール帝国を築いた皇帝バーブルの回想記が、この本には度々引用されています。

イスラム圏では犬は不浄のものとされ、忌み嫌われている。
生まれて以来、可愛がってもらったことも肉を与えられたこともないバーブルはローリーに懐くこともなく、歩くのも時に嫌がる。
65㎏の大型犬を引きずらなければならず、犬が一緒ということで宿泊を断られたりと、ローリーにとっては文字通りお荷物でしかないのです。
大体、自分の食料でさえ覚束ないのに、65㎏の大型犬の食料をどうしたのだろう?と心配になる。
それでもローリーはこの犬と共に、下痢でズボンを汚しながら歩き続けるのです。

旅のお終いの頃のローリーの状態。
”私の腹は完全に行かれてしまい、激しい空咳にも苦しんでいた。ジャケットのファスナーは引っかかり、片方の靴の紐はちぎれ、リュックに被せていたビニールのコメ袋はぼろぼろになっていた。南京虫に喰われ、汗疹ができ、爪は伸び、髪は4ヶ月も切っていなかった。ダハニ・シアル・サンダの司令官の家の玄関で、できそこないの顎髭と殴られて痣になった目と水ぶくれのできた唇と皮の剥けた鼻を汚い手で撫で、三週間も洗っていない自分の服を見た。なぜ司令官がすぐには自分の家の床で私を眠らせたくなかったかは、理解できた。”

そして400ページ近い本書の、最後の1ページで私は落涙する。
アフガニスタンの徒歩旅行記を読む人がそうそういるとは思えないのでネタバレします。


一足先に故郷に戻ったローリーは、バーブルが飛行機に乗る予定の前日に死んだという電話を受け取るのです。
生まれてこの方パンだけを食べて来たバーブルは、誰かに与えられたあばら肉を喜んで食べ、骨の尖ったかけらに胃を切り裂かれて死んだのだと。
ようやくローリーの前で、腹をくすぐって貰おうと仰向けに寝転ぶようになったバーブルが。
そしてこの本は、バーブルの為に書かれたのだということが、悲しいほどに伝わりました。
原題は「The Places in Between」。

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「とめどなく囁く」「日本人に知ってほしいイスラムのこと」

2022年08月23日 | 


「とめどなく囁く」桐野夏生著

41歳の早樹は8年前に夫が行方不明となり、父親程の歳の資産家の塩崎と再婚して、相模湾を見下ろす邸宅で穏やかに暮らしている。
突然の病気で前妻を亡くした塩崎との結婚生活は、それぞれの悔恨と思いやりが入り混じったものだった。
8年後、前夫の姿があちこちで目撃され、無言電話がかかってくるようになる。
前夫は生きているのか…?
これだけの頁数を費やして、これだけの結末に向かっていたのかと、ちょっとがっかり。
分かってみれば、あちこちに伏線が張り巡らしてあったのですが。
なんといっても早樹がかつての結婚生活を、楽しいものと捉えられなかったことが鍵でしょう。



「日本人に知ってほしいイスラムのこと」フィフィ著

エジプト出身でイスラム教徒である著者が書いた、易しいイスラム文化入門書。
英語でイスラム教徒のことをmuslimというので、私もその言葉をよく使っていたのですが(あの映画の主人公はムスリムで、といった具合)、アラビア語では、イスラム教徒の男性のことをムスリム、女性のことをムスリマと言うのだそうです。
ハラールのこと、ラマダンのこと、メッカ巡礼のこと、服装のこと、一夫多妻制のこと、分かりやすく解説してくれるのはありがたいのですが、割礼についての章でビックリ。
アフリカの一部の国などで行われている女性割礼は、女性の性欲をコントロールする為に行われる野蛮なもので、イスラムが強制しているものではないのにそう誤解されているようで残念だと。
それは知っていましたが
”アメリカの農村部でも、1950年代まで人種に関係なく女性への割礼が行われていました”(P167)

???
その出典も論拠も何も書いてないのです。
そんなことアメリカ人からは聞いたことがないし、検索してみても見つかりませんでした。
どなたかお詳しい方、お教えください。


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「蒼穹の昴」

2022年08月09日 | 

西太后が統治していた清朝末期の中国を舞台に繰り広げられる大河物語。
汝は必ずや、あまねく天下の財宝を手中に収むるであろう―寒村の貧しき糞拾いの少年・春児(チュンル)は、占い師の予言を通じ、科挙の試験を受ける幼なじみの兄貴分・文秀(ウエンシウ)に従って都へ上った。それぞれ歩み始めた二人を待ち受けていたのは、権謀術数渦巻く魔窟と化した宮廷の闇だった…

あまりにも壮大な物語なので、ストーリーについてではなく、印象的だったことを二、三書き留めます。
この物語には膨大な数の宦官(ホアンクワン)が出てくるのですが、その宦官の作り方というのが凄い。
刀子匠(タオヅチャン)という宦官製造専門家が、火で炙った大鎌でチョン斬るのですが、その後が…
トルコのハーレムの宦官が、チョン斬られた後、熱い砂漠の中に埋められ、出血多量にも破傷風にもならず生き残ったものだけが宦官になるという記述をものの本で読んだ時にも驚愕しましたが、こちらはもっと残酷。
刀子匠に払うお金もない春児はそれを自分の手ですべて行い、後に紫禁城の官吏となって、西太后(シータイホゥ)に可愛がられることになります。

そして官僚登用試験、科挙のこと。
その名前は勿論知っていましたが、具体的にどんな風に行われるのか、詳細を知る程に驚きました。
地方で100人に1人という合格率の郷試をくぐり抜けた2万人が、北京に集まる。
煉瓦作りの厩(うまや)のような、壁と天井はあるが扉はないという個房に寝具や食料を持ち込み、9日間に渡って四書五経、詩、政策論などから出された難解な問題への答案を書き続ける。
体力に欠ける者は倒れ、老いて気力の失せた者は死に、気弱な者は狂う、と。
そこから選出されるのは300人、それが千数百年も続いた悪評高き科挙なのですね。
この本の終章で、それは廃止されるのですが。
文秀はそれを首席で突破し、西太后と対立する光緒帝に仕えることになるのです。
なので幼馴染であった春児と文秀は、敵味方となってしまうのですが…

世凱暗殺に失敗して獄中にあった、文秀の同期である王逸(ワンイー)が、小梅(シャオメイ)という貧しい聾唖の少女に救われるシーンに泣けました。
小梅は王逸の食事の差し入れ係をしており、処刑を待つだけの王逸は、無学の彼女に暇潰しに字を教える。
恐らく生まれて初めて人間らしい扱いをされた小梅は、余程嬉しかったのでしょう。
王逸の脱獄の手引きをするのですが、それは自分を始め、家族全員が処刑されるということを覚悟の上だったのです。

「天宮を統べる富と威の星、昴」、その星を背負うと予言を受けた少年の運命はどうなったのか?
良くも悪くも「中国四千年」という言葉を実感させられた、骨太の本でした。

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「じっと手を見る」「私の台所」

2022年08月07日 | 


「じっと手を見る」窪美澄著
富士山を望む小さな町で暮らす20代の介護士、日奈と海斗はかつての恋人同士。
日奈は東京から来る既婚デザイナーとの性愛におぼれ、日奈を思い続ける海斗は職場の後輩と肉体関係を続け、しかしお互いを思い切ることができないでいる。
寂しい生育環境、支えなければならない家族、厳しい介護の職場が、彼らを取り巻く。
視点人物が次々に切り替わる連作短編集で、登場人物の誰もが不器用で生きづらさを抱えている。
この著者の「ふがいない僕は空を見た」で泣きたいほどに感動したのですが、本作ではそこまでのヒリヒリ感は得られませんでした。


「私の台所」

名脇役だった沢村貞子さん、1996年に87歳でお亡くなりになったのですね。
きっぷのいい、曲がったことは許さない、背筋がしゃんと伸びた江戸っ子というイメージでした。
「私の浅草」「貝のうた」などと一緒にこの本も昔読んだ筈ですが、綺麗に忘れて再読。
「あんまりこぎたない格好をしていると、はたの人に気の毒だからね」とは、彼女を仕込んでくれた母親の言葉。
母のお洒落は、まわりの人に嫌な思いをさせたくない、という心遣いだった。
だから自分も、一緒にいる人たちに侘しい思いをさせないように、普段のお洒落に気を遣うようになったと。
そして、自分は若い頃から、つき合いの悪い女だったと。
”新聞の身の上相談をしていた時、「姉妹よりも仲良くして気を許していたご近所の奥さんに裏切られて…」という嘆きが多かった。お互いに求めすぎるから、傷がつくのだ”
だから「つかずはなれず」というのが、彼女の人付き合いのスタンスだったのだそうです。
この人の他の本も、また読み直してみたくなりました。

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「ストックホルムの密使」

2022年07月26日 | 

第二次世界大戦末期、米軍による本土空襲が激化するばかりの日本。
絶望的な戦局の中で、日本政府はソ連仲介の終戦工作を模索するが、ストックホルムに駐在する海軍武官・大和田は、ポーランド人の諜報部員から、日本にとどめを刺す連合国軍側の極秘情報を入手する。
1945年7月、一日も早くその情報を軍上層部に伝える為、二人の密使が放たれた…
パリに暮らしていた自称遊び人の日本人シローと、亡命ポーランド人将校のコワルスキ。
ストックホルム→ハンブルク→フランクフルト→ベルン→モスクワ→ボルジャ→満州→東京の命懸けの旅。
実在の人物と架空の人物が入り混じるハードボイルド、夢中で読みました。
陥落した後の荒廃したドイツや大空襲で丸焼けになる東京が、交互に舞台となる。
全方向から命を狙われる密使の旅、実際目的地にたどり着く前に、一人は命を落としてしまうのですが…

コワルスキーがシローに言う。
「男が身を捨てるべきものは、他にあるのか」
「身を捨てるほどの祖国なんてものが、あるのか」
「祖国でなくて、他に何だ?男が身を捨てることができるものは。男が、真に人生を賭けるに値するものは」
「ご立派な信念だ。あんたの話を聞くと、自分がつくづくヤクザだと思うよ。もっとも、だからと言って、俺は自分がヤクザであることを恥じる訳じゃないが」
「君も、ポーランドのような国に生まれてみろ。繰り返し繰り返し周りの大国に侵略され、切り刻まれ、収奪されて、自国での教育さえ禁じられたような国にだ。革命と戦争が唯一の希望であったような国にだ。そんな国に生まれたら、祖国という言葉が、どれほど美しく甘い響きに聞こえることか。その言葉に、どれほど力づけられ、奮い立たされることか」
この会話の最後の部分、ポーランドの代わりに今のウクライナを入れたら…と考えてしまいました。


読んだ後で知ったのですが、ストックホルム駐在武官の小野寺信氏が大和田のモデルだったのですね。
そして奥方の小野寺百合子氏は、ムーミンの翻訳家として知られているのだそうです。

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「月夜の森の梟」「ある小さなスズメの記録」

2022年07月21日 | 


37年一緒に過ごした伴侶・藤田宜永を亡くした小池真理子の、悲しみに満ちた喪失エッセイ。
肺癌の宣告を受けてから2年弱で亡くなるまで、作家夫婦はどのように病や死と向き合ったのか。
”昨年の年明け、衰弱が始まった夫を前にした主治医から「残念ですが」と言われた。「桜の花の咲くころまで、でしょう」と。以来、私は桜の花が嫌いになった。見るのが怖かった。”
どの章も悲しみに溢れていますが、若い頃は人は老いるに従って色々なことが楽になるに違いないと思っていたが、それはとんでもない間違いだった、老年期の落ち着きは殆どの場合見せかけのものに過ぎず、大抵の人は心の中でどうにもしがたい感受性と日々、闘って生きているという文章が、印象的でした。



戦時下の1940年7月、ロンドン郊外で生まれたばかりの子雀が老婦人に拾われた。
脚と翼に障害を持って瀕死の状態の雛であったが、著者の献身的な愛情に包まれてすくすくと育っていく。
その雀との12年間の愛情記録物語。
雀が人に懐き、毎晩一緒のベッドで休み、求愛ダンスを見せ、芸を披露して爆撃下の市民の慰めとなり、著者がピアノを弾くと一緒に歌うなんて。
信じられませんが、写真も残っているのです。
そしてこの本を書き始めたのが、雀が12歳を過ぎて病気と老衰によって弱って行った頃で、そして死んだ後に書き終えたというのです。
後書きによれば、これを訳した梨木香穂も、その最中に12年間過ごした愛犬を亡くしたということ。
だからなのか、全体に少々堅苦しい文体ながらも抑えたユーモアが漂う中に、漠とした悲しみが満ちている気がします。
人は愛するものを失くしても、生きて行かなければならないのね…

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死なば死ね。生きなば、生きよー「白光」

2022年07月15日 | 


明治5年、絵を描きたい一心で故郷の笠間(茨城県)を飛び出した山下りん。
下級武士の娘として生まれ、結婚しか女の道はないとされていた時代に、絵師になりたいと周囲の反対を振り切って上京する。
工部美術学校で学び、西洋画を更に極めたいと思った彼女は駿河台のロシヤ正教の教会を訪れ、大司教ニコライと出会う。
ニコライの尽力で、日本人初の美術留学生としてロシヤに渡ることになる。

明治初期に日本人女性がロシヤに渡り、苦労して成功した話かと思ったら、そんな単純な話ではありませんでした。
まずロシヤに渡る船の中で、驚愕の試練が待ち受けていた。
同行したロシヤ人宣教師たちは船室で寝起きし食堂で食事をするが、彼女は船底で世界中の荒くれ下男たちと雑魚寝、食事はなんと乗客の残飯を与えられる。
”けれど下士とはいえ、私も武家の生まれだ。そしてあの主教様の肝煎でロシヤに修行に行く身だ”
と思ったりんは
「わたくしは乞食ではありませぬ。なにゆえ、かほどの侮辱を受けねばならないのです」と抗議しますが
「お前、金がない。切手、最下等」
とロシヤ人宣教師に切り捨てられるのです。
こうした環境でりんは一月半かかって、ロシヤの港、オデッサに着いたのでした。

しかしこれはまだ序の口であって、サンクトペテルブルクのノヴォデヴィチ女子修道院ではもっと過酷な試練が待ち受けていた。
その詳細はネタバレになるので省略しますが、その頃りんが陥った状態、食欲がなくなり夜眠れず、朝起きられず、下痢と嘔吐を繰り返し、そしてやる気が出ないというもの。
ロシヤの医師には病気ではないと言われるのですが、これは今でいう鬱病に違いないでしょう。
あのやる気満々だったりんを鬱病にさせるほどの、りんの意思に反した境遇がロシヤに待ち受けていたのでした。
そして5年の留学予定を2年で切り上げて、帰国したのでした。


(ニコライ聖堂)

イコンとはキリストやマリアを描いた聖像画であり、山下りんは日本初のイコン画家となったのです。
りんが敬愛したニコライ大司教、彼が生涯をかけて建設した神田駿河台の東京大聖堂。
その元であるサンクトペテルブルクのニコライ聖堂、そしてノヴォデヴィチ女子修道院に、2017年に行きました。
この美しい、堂々とした建物の写真を見ると、ここに150年も前に訪れ、孤軍奮闘した日本女性がいたのだと感慨深いものがあります。
「死なば死ね。生きなば、生きよ」
りんの言葉です。

「白光」 

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「ペガサスの記憶」(ネタバレあり)

2022年07月04日 | 

桐島洋子さんの最新刊「ペガサスの記憶」が昨日amazonで届き、すぐに読み終わりました。
驚くこと多々でした。
ネタバレがありますので、これからお読みになる方はお気を付けください。

前半は洋子さんの自伝。
祖父は三菱財閥の重鎮であったが戦後没落し、上海、葉山、東京で過ごした子ども時代のこと。
駒場高校を出て文藝春秋社に勤め、仕事と恋と遊びに寝る間も惜しんで明け暮れたこと。
新幹線の中でアメリカ人の退役軍人と知り合い、たちまち恋に落ち、子どもを身籠ったこと。
長女をこっそり産み、信頼できる人に預け、二人目を身籠った大きなおなかで欧州を旅し、そして船上出産を果たしたこと。
そこで前半は終わっています。

後半は、三人の子供たちから書かれた桐島家のこと。
どんな思いをして子供時代を過ごしたか、そして子供たちの目線から捉えた母親の像。
今までの彼女の著作には書かれてなかったことが、多々ありました。
例えば子供たちの父親に、アメリカに妻がいたことは語られていますが、実は日本にもう一人の愛人がいて、その女性との間にも子供がいた。
そしてその女性と籍を入れたことを彼女は知っていて、それでも関係を続け、三人目を作ったのだと。

何より驚いたのは、彼女が45歳で結婚された勝見氏のこと。
博識で美意識が高く、非常に才能豊かな人だが、それだけにかなり難しい性格でもあり、身軽に風のように暮らしたい自分には、方向性が異なる彼と夫婦であることがしんどくなった。
それで一緒にいるより友達に戻った方が快適だということを長い時間かけて説得し、段々と別居に馴らして円満離婚を果たした。
離婚した後もよい友達となり、難病ALSに倒れた彼を看取ったのだというのが、「ほんとうに70代は楽しい」に書かれていたこと。

ところが、かれんさんに言わせると
”私たちの人格を深く傷つけるおぞましい嘘で攪乱し、私たち四人家族の仲を引き裂こうとした”と。
そして彼女は二十代以降、一度もその人とは会ってないのだそうです。
次女ノエルさんは
”母の結婚相手は到底受け入れられる人ではありませんでした。虚言癖があり、母の友人たちに電話をしては私たちの悪口を言いふらし、些細なことで顔を真っ赤にして怒り出すような、きっととても臆病な、心の小さな人でした”
そして、高校生の彼女と言い合いになった彼は、飼っていた猫を思い切り壁に投げつけたというのです。

桐島洋子という人は、良く言えばつくづくポジティブ思考であり、悪く言えばなんとええかっこしいであったのか。
辛い思いも悲しい思いも散々なさって来ただろうに、そういうことは著書にはまるで書かれていないのですね。
後書きに、2014年彼女はアルツハイマー型認知症と診断されたと書かれています。
それで書き続けることが難しくなり、子供たちが力を合わせて後半を書いたのだと。
”母は今、体調はすこぶる良好で、穏やかな日常を過ごしています。本音を言えば、倫理的に物事を考えてシャープな発言をしたり、決断したりする母の姿が見られなくなったことは少し寂しいです”と。(かれんさん)
しかし難しい話をしなければ会話も楽しめるし、彼女なりの美意識を持って今も生きていると。
そして”人間としての母に対する私たちのリスペクトは揺るぎないものです。その絆はどんなことがあっても変わりません”(ノエルさん)
というのが、桐島家の三人の子供たちの総意であるようです。

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あの聡明な女史が…

2022年07月02日 | 

根耳に水でした。
あの桐島洋子さんが認知症になられたとは。
「淋しいアメリカ人」や「聡明な女は料理がうまい」に始まってその頃の彼女の著作、若い頃に一通り読みました。
今から半世紀以上も前に、妻帯者のアメリカ人との間に3人の子をもうけ、シングルマザーとして孤軍奮闘。
文芸春秋社に勤めながら、一人目はオーバーブラウスでおなかを隠して働き続け、二人目の時は船上出産は医療費がかからないため、ヨーロッパ旅行の船の中で産んだという。
その後フリーのライターとして活躍されたのは、周知のとおり。
『渚と澪と舵 ふうてんママの手紙』や『マザー・グースと三匹の子豚たち』にはその辺りのこと、アメリカでの生活の様子がイキイキと描かれていました。
その後、スピリチュアル的な方向に行かれたようで、彼女の本から長らく遠ざかっていました。


その彼女は今、85歳。
暫く前から自叙伝的な小説を書かれていたが、認知症のせいでそれができなくなり、3人の子供たちが書き足して「ペガサスの記憶」という本が先日出版されたという記事が出たのです。
それを求めて近所の書店に行きましたが、早くも品切れ。
図書館は予約数が多くてすぐに廻って来そうもないので、とりあえず上の本を借りて来ました。


まず、表紙の柔和な表情のお顔に驚きました。
2014年出版のこの本は、色々な雑誌に寄せられたエッセイを集めたもののようです。
古希を迎えた著者が、自宅に大人の寺子屋「森羅塾」を開いて啓蒙活動を始められた様子が書かれています。
やたらその塾の宣伝が多いし、上から目線には拍車がかかり、正直それほど面白くはなかったのですが、「エイジングは神の祝福」と題された章が心に残りました。
アンチ・エイジングだのなんのと、あんまり若さにしがみついたりシャカリキに頑張ったりしない方がいいと。
過剰な仕事や付き合いから解放され、余計な沃野見栄やこだわりが抜け落ちて行くと、本当に好きなもの、生涯大切にするべきものがよく見えてくる、だから歳を取るということは素晴らしいのだと。
そう言われると、なんだかちょっとホッとする気がします。


”私自身はいまのところ五体健全、賞罰無し、借金無し、人様に迷惑かけず行き終えるぐらいの備えはあるが、相続税の心配をするほどの財産はない。後世に名を残すような業績は何もないが、残したいとも思わない。まあ暫くは家族や友人の心の中に残るだろう。それで十分だ”
そう2014年に書かれた著者が、今は…
最新作を読んだら、またご報告します。

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「おそロシアに行ってきた」「ヴィオラ母さん」

2022年06月18日 | 

ウラジオストック、サハリン、カリーニングラード、モスクワ、サンクトペテルブルク、イルクーツクの旅行記、帯には面白過ぎる国だったと。
しかし…本文を読む限りでは、何処がそんなに面白いのか伝わってこない。
本書に出てくるロシア人は殆どが不愛想で、中にはいきなり怒鳴りつけてくる「鉄仮面女」も。
そして、書き方が少々表面的。
例えば、サンクトペテルブルクの食料品店に入った時。
”ビールと水を購入しようとしたが、2人の女性店員は露骨に差別的な態度で電卓に金額を打ち込み、それを見せてくれる”とありますが、愛想の良い店員に慣れている日本人に、どんな風に差別的なのかたやすく想像できるのかしら?
私は実際ロシアであの酷い接客を経験しているので、情景が浮かぶのですが…
所々にジョークを交えたやり取りが出て来ますが、それは同行者(日本人)との会話。
それなのに後書きでは、旅行をしてロシアが好きになったと言っている。
ロシア人は一見、不愛想だけど実は優しい人が多い、あまり干渉して来ないのに困ったときは助けてくれると。
でもそんなに助けて貰ったシーンあったかなあ?
ちょっと説得力がありませんが、写真が豊富で色々な蘊蓄もあり、旅行のガイドブックとしてはよくできていると思います。



「テルマエロマエ」の著者ヤマザキマリの自伝的な著作を読む度に出てくる、破天荒な御母堂。
14歳の著者をいきなり欧州に一人旅させた母親ってどんな人だろうと、興味を持っていました。

昭和三十五年、深窓の令嬢だったリョウコは二十七歳の時に会計事務所を辞め、オーケストラで音楽をやるため実家を飛び出す。
新設の札幌交響楽団の団員となり、その指揮者と恋に落ちて結婚する。
しかし著者が生まれて間もなく早逝され、次に出会った建築技師と再婚して二人目の娘が誕生するものの、相手は仕事で中東に赴任、結局まもなく離婚。
そして二人の娘のシングルマザーとしての生活が始まる。
まだまだ女性が仕事を持つのが難しかった時代に、ヴィオラの演奏家をしながらなりふり構わず子どもたちを育て上げる。
著者が結婚もせずに赤ん坊を連れて、留学先のイタリアから帰国した際にも、
一言も責めず、「仕方ない、孫の代までアタシの責任だ」と。

音楽と娘たちと自分の人生を愛し、彼女が辿った道は決して平坦なものではなかった。
そして娘たちは、そんな彼女に振り回される。
娘たちはいつも夜遅くまで子供だけで留守番を強いられたし、演奏旅行となると長期間知り合いの家に預けられた。
食パンにマーガリンと砂糖を塗っただけ、あるいはトウモロコシだけのお弁当の日も。
それでも「生きることって結局は楽しいんだよ」と言い切る母の姿は、すがすがしい。
この本を書いている時点で85歳の彼女は、体調を崩しながらも今もヴァイオリンを教えているらしい。
あっぱれです、ヴィオラ母さん。

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