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Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

「暗幕のゲルニカ」

2019年05月25日 | 
”ゲルニカを消したのは誰だ?
衝撃の名画を巡る陰謀に、ピカソを愛する者たちが立ち向かう。
現代と過去が交錯する怒濤のアートサスペンス! ”(amazonより)

1937年第二次世界大戦中のパリ、そして21世紀初め9.11同時多発テロ直後のニューヨーク、
二つの物語が同時に進行します。
パリで愛人のドラ・マールと暮らしていたピカソに、パリ万国博スペイン館に
展示する壁画制作依頼が来る。
そこへバスク地方ゲルニカが、ナチスによって襲撃されたという知らせが入る。

もう一つの舞台は21世紀のニューヨーク、MoMA(ニューヨーク近代美術館)に
キュレーターとして勤める瑤子は、9.11テロで最愛の夫を亡くす。
悲しみに打ちひしがれながら瑤子は、MoMAの企画展に反戦の意を込めて
ゲルニカを展示したいと奔走する。
しかしスペイン側は頑なにそれを拒否し、そこにバスクのテロ組織が関わって
瑤子は誘拐されてしまう。

美術品を巡っての史実にフィクションを織り交ぜた、原田マハ得意のスタイルです。
過去の部分は、スペインの大富豪パルド・イグナシオとMoMA理事長の
ルース・ロックフェラー以外は全部実在の人物であるらしい。



数年前、マドリードのソフィア王妃芸術センターでこの絵を観ました。
縦3.5m、横は8m近い巨大な絵です。
それほど混んでいない美術館の中で、そこだけ黒山の人だかりができていました。
訳がわからないまま、反戦絵画としての迫力に私も圧倒されました。
この絵がゲルニカ爆撃を表しているということは知っていましたが
その制作前後にピカソのそんな葛藤があったこと、
パリ万博の展示以後、あちこちを流転していたことは知りませんでした。

この絵を特に好きでない私にとっては、本作全体が気負いすぎという印象が
否めませんが、著者が元MoMAのキュレーターであったという事実が
説得力を増している気がします。
テロ組織に殺されそうになってさえ、
「ゲルニカは誰のものでもない、私たちのもの。
 平和を望む世界中のすべての人たちのもの」
と瑤子は叫ぶのです。
最初から最後まで緊迫した物語の中で一つの救いは、何度も登場する「トルティージャ」。
これはジャガイモがたっぷり入った、素朴なスペイン風オムレツです。


「暗幕のゲルニカ」 https://tinyurl.com/y3skf37t
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「たゆたえども沈まず」

2019年05月13日 | 
1880年代のパリで、流暢なフランス語で浮世絵を売りさばいた美術商、林忠正。
語学力を見込まれて林に助手として誘われ、憧れのパリに来たばかりの青年、加納重吉。
芸術と生活の狭間で懊悩しながら、売れない絵を描き続けるゴッホ。
ゴッホを精神的にも経済的にも支え続ける弟のテオ。
その4人の群像劇が、印象派が生まれ出た頃のパリを舞台に繰り広げられます。

この中で、重吉だけが架空の人物であるらしい。
我々読む側は、重吉目線で19世紀末のパリを訪問することになります。
パリ万博で日本美術が紹介されて以来、ジャポニズムへの興味・憧憬が深まったとはいえ、
まだまだ認知されていない極東の小国、日本から行った二人がどんなに大変だったか。
オランダ出身であり、やはりパリの異邦人であるゴッホとテオの兄弟はまた、
別の意味で悩み苦しんでいる訳ですが、林が現れたことで彼らの運命も変わって行くのです。



浮世絵が印象派に影響を与えたとはよく聞く言葉ですが
この本を読んで、それが具体的にどんなだったかということがよく分かります。
この本には絵の写真は一枚も入ってないので、ネットで確認しながら読みました。
例えばこの「タンギー爺さん」。
小説にも何度も出て来るタンギー親父とは、貧しいゴッホが世話になっていた画材屋の主人で
ゴッホはお金が払えなくなると、絵を描いて代わりに渡していたらしい。
肖像画の後ろには浮世絵が6枚もあり、右下の花魁の絵は渓斎英泉の「雲龍打掛の花魁」。



この絵は林忠正の尽力で、1886年の美術雑誌「パリ・イリュストレ」誌の
表紙を飾ったのだそうです。
瞬く間にパリの美術界で大評判となったものの、閉塞感に悩んでいたゴッホも
これを観てジャポニズムへの熱病にとらわれた一人であったと。
その熱病は、ゴッホにその後沢山の絵を描かせる原動力となり、
その絵に魅せられた林忠正と重吉も、テオと共に彼を応援するのですが…


ゴッホの模写

幼い頃から仲がよかった兄ゴッホを、献身的に支える弟テオ。
しかし長年にわたるサポートは、テオにとっても大きな負担であり、
酒に溺れたり、精神的に病む兄を恨んだり憎んだりも。
ゴッホがアルルでゴーギャンと暮らし始め、立ち直ったかと思ったのも束の間、
耳を切り取って精神病院に送られ、その後ついにピストル自殺してしまう。
ゴッホの生前、たった一枚しか絵が売れなかったのは有名な話ですが
弟テオがゴッホの死後半年で亡くなってしまったことは知りませんでした。
胃炎と重度の鬱病で、妻と幼子を遺して精神病院で他界。
享年37歳と33歳。なんと悲しい兄弟であったことか。


タイトルの「たゆたえども沈まず」の意味、そして表紙の絵が「星月夜」である理由は
終章で語られます。
この二つは同じものを意味していたのですが、ここまで読んで来て
そうだったのかとストンと腑に落ちます。
大元の史実に虚構を織り交ぜた、読み応えのあるアート小説でした。


「たゆたえども沈まず」 https://tinyurl.com/y2xnv7jn



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死なせるわけにゃいかん「こんぴら狗」

2019年04月04日 | 
金毘羅宮で知った「こんぴら狗」のことが頭から離れなくて
それについて書いた本を探してみました。
犬好きな中野孝次あたりが書いていないかと期待したのですが
見つかったのは、その名も「こんぴら狗」今井恭子著。



近年出版されたくもん出版の児童向け書物なのですが
45冊の参考文献、3年に渡る取材を元に書き上げたというだけあって、中々面白い。
日本児童文学者協会賞を受賞しています。

江戸の線香問屋の娘、弥生は、死にかけていた捨て犬を拾って
ムツキと名付け、大事に育て上げる。
しかし、やがて弥生は問屋の惣領である兄を病気で亡くし、自分も病に倒れてしまう。
案じた両親は、ムツキを可愛がってくれる近所のご隠居に頼み、
こんぴら狗として、治癒祈願参りの旅に出すことにする。
ムツキは、飼主の名前、初穂料、道中の食費などが入った「こんぴら参り」と
記した袋を首にかけられて出発するのです。
しかしご隠居は、鈴鹿峠の辺りで病に倒れ、客死してしまう。
ムツキは峠の山道に一人ぼっちで取り残され…

往復340里(1340㎞)にもおよぶ旅路と、道中での出会いや別れ。
脚の悪い寺男、若い托鉢の僧、にせ薬の行商人、船の見習い小僧、
優しい芸者見習いの少女、金毘羅船の船頭、若い大工、百姓、犬嫌いの名主。
そして帰り道で出逢ったのが、盲目の幼い息子宗朗を連れた母親澄江と下男の三人連れ。
澄江は江戸の油問屋の女将で、息子の目を案じての伊勢参りの帰りだったのです。
ムツキは沢山の人の情けでそこまでの旅をなんとか果たすのですが
無論、全部が良い人ばかりという訳ではないので、その3人に出逢ったことに
読者は胸を撫でおろします。
楽しいだけではない旅の道中、宗朗はムツキを可愛がり、ムツキは宗朗を助け、
澄江は息子の成長ぶりを見て心から喜ぶからです。

ムツキが出逢ったのは、悪い人もいましたが、多くは貧しくも善き人たち。
ご隠居が亡くなり、山道を何日も彷徨って死にかけていたムツキを救った百姓家の老婆の言葉。
「こんぴら狗と一緒やと、なんではよう言わんかった?
 犬がここで死んでみい。金毘羅さんのバチが当たるやろ。
 死なせるわけにゃいかん。なんとしても、死なせるわけにゃいかん。」
この本によれば、そうしたところが当時の人々の一般的な考え方だったようです。

終章。
”澄江が宗朗の手を引いて郁香堂を訪ね当てたころ、お店の周りには幾重にも人垣ができていた。
「ここの犬が金毘羅さんから帰って来たってな」
「おお、こんぴら狗よ」
「話半分じゃねぇのか」
「いや、日本橋を走って帰ってくるのを見た奴もいる」
「そいつがよ、突っ走って来て、そこの角で炭屋をすっころがしたってぇじゃねえか。
 お蔭で、ここで炭を全部買い上げて貰ってよ、お祝儀まではずんでもらったってよ」
「あたしゃ昔からムツキを知っていたがね、ほんにええ犬じゃったよ。
 じゃが、ここまで利口とは思わなんだ」”

久しぶりに児童文学の醍醐味を味わいました。

「こんぴら狗」 http://tinyurl.com/y4gc28v8
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今でも別に

2019年03月06日 | 
ひょんなことから、友人と山椒魚の話になりました。
「山椒魚は悲しんだ」で始まる、井伏鱒二の短編です。
あれ、結末変わったんだよね。
そうだっけ?なんか騒ぎがあったねえ。
確か、ラストを切り取ったんじゃなかったっけ。
ラストって、蛙が、実は怒ってないんだっていう部分?

あれ取っちゃったら、まるで味わいが変わっちゃうんじゃないの?
そんな騒ぎがあったことを、すっかり忘れていました。
Wikiで見てみたら、1985年『井伏鱒二自選全集』の刊行にあたり著者自身によって様々な改定がなされ、
「山椒魚」はその結末部分が10数行に渡ってカットされており、以下の文章で終わるかたちとなったのだそうです。

「更に一年の月日が過ぎた。
二個の鉱物は、再び二個の生物に変化した。
けれど彼等は、今年の夏はお互い黙り込んで、
そしてお互いに自分の嘆息が相手に聞こえないように注意してゐたのである。」



ええ?
うっかり岩屋から出られなくなってしまった山椒魚が己の不運を嘆き悲しんで
そこに紛れ込んできた、罪のない蛙をも出られなくしてしまう。
お互いに反目し合って口も利かず、1年が過ぎ2年が過ぎ、蛙は思わず嘆息を漏らす。
それを聞き留めた山椒魚が話しかけるが、蛙は空腹で動けず、もう死ぬばかりになっていた。
お前は今何を考えているようなのだろうか、と聞く山椒魚に対して蛙は、
今でも別にお前のことを怒ってはいないんだ、と答える。

そのラストを削っちゃうなんて。
銀座に出たついでに、教文館書店で確認してみました。
新潮文庫「山椒魚」、ラストには「今でも別にお前のことをおこつてはゐないんだ」
という文がちゃんとありました。
このラスト、変わったのじゃなかったのですかと訊いてみたら
ご主人、いや、変わってないですよ、これは平成23年発行の改訂版ですと。
してみると、自選全集の分だけ変えたのかしら?
よく分かりませんが、とりあえず書店の本の中にはラストの文があることを確認して
ちょっとホッとしました。

「山椒魚」 http://tinyurl.com/y2cvvw5x
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「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」

2019年01月06日 | 


書店でこの表紙に惹かれ、購入しました。
”何者かに背中を押されたかのように2016年夏、ひとりキューバへと旅立った。
慣れない葉巻をくわえ、芸人としてカストロの演説に想いを馳せる”
という帯の文句にも、魅力を感じました。
第3回斎藤茂太賞を受賞。

資本主義の東京での生活に疲れた著者は、広告や競争のないというキューバへと。
しかし…
「格差も競争もない明るい社会」などある訳もなく、
貧しいながらもコネ社会の社会主義国の現実に驚くばかり。
大体一人旅とはいっても、4日間のうち3日間まで知り合いに頼んで案内してもらっている。
本当に一人で廻ったのは最後の一日、
ハバナからバスで30分のサンタマリア・ビーチに行ったというだけ。



表題に心惹かれたのは、私も以前、表参道のセレブ犬と、
インドやエジプトや東南アジアで痩せこけた野良犬を見て、感じる所があったからです。
これが2012年12月に私が撮った表参道の犬。
下は昨秋行ったエジプトの野良犬。
写真では分かりにくいが、汚れて痩せこけています。
発展途上国に行くと、結構な数の野良犬がそこら中にいるのです。
痩せて汚れ、怪我をして血を流していたり、その死骸を見ることも。
それを見て、若林氏は何を感じたのか?と、興味を持ったのでした。



”カバーニャ要塞内ではよく野良犬を見かけた。
野良犬たちは、通りすがりの観光客に媚びてエサを貰っていた。
東京で見る、しっかりとリードにつながれた、毛がホワホワの、サングラスとファーで
自分をごまかしているようなブスの飼い主に、甘えて尻尾を振っているような犬よりよっぽどかわいく見えた。
なぜだろう?(中略)
あの犬は手厚い庇護を受けていない。観光客に取り入って餌を貰っている。
そして、少し汚れている。だけれども、自由だ。
誰かに飼い慣らされるより自由と貧しさを選んでいた。
ぼくの幻想だろうか?それとも、キューバだろうか?”(原文のまま)



これで本が出せて、ベストセラーになるって、芸能人っていいなあ…
ただ、一人称の「ぼく」で語っていた本文の終わりがけに、突然会話文が現れます。
誰と語っているのだろう?と訝しみながら読んでいくと
最終章でその答えが分かります。
そこには、近年亡くなられたという父上への愛情が溢れています。
これにはやられました。

「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」 https://tinyurl.com/yb6xplbn

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フォレスト・ガンプのお店と本

2018年09月12日 | 
豊洲のデジタルアート展を楽しんだ後、豊洲ららぽーとの「ババ・ガンプ・シュリンプ」へ。
映画「フォレスト・ガンプ」をテーマにしたアメリカン・シーフード・レストラン。
主人公フォレスト・ガンプが友人ババの遺志をついでエビ漁を成功させるところで終わるが、
もしその後レストランを開いていたらこうなっていただろうという想定のお店。



写真は、ストロベリー・レモネード、ニューオリンズ風シュリンプ、
スパイシーなシュリンプスープ、ストロベリー・ビスケット。
ニンニクやパター、スパイスがたっぷり効いていて美味しい。
デザートは、塩味のビスケットに甘いアイスと生クリームがたっぷり。



懐かしくて、久しぶりに「フォレスト・ガンプ」の原作本を読み直してみました。
前に読んだのは公開時の映画を観たすぐ後なので、1995年頃か。
知能指数は並以下だが、多くの才能に恵まれたフォレスト・ガンプが
紆余曲折を経てエビ漁で成功するという大まかなストーリーは同じですが
原作の方がよりバラエティに満ちた人生を送っています。
宇宙飛行士になったりジャングルに行ったり、チェスの世界大会にも出ているのです。
彼の優しい語り口で物語が語られるという点は同じです。
親友ババは、彼をバカにしないで相手してくれた数少ない友人の一人であり、
エビ漁の楽しさを語り続け、帰国したら一緒にやろうと約束するのですが
ベトナムの奥地、彼の目の前で戦死してしまうのです。

映画では彼は知恵遅れという設定ですが、原作ではサヴァン症候群らしい。
知能指数は70だが、高等数学やチェスなどで特異な才能を発揮するのです。
いずれにしても、大切な人への想いを胸に抱いて無垢な心のまま、
何にでも全力で打ち込む主人公の姿に、我々は感動してしまう。

「人生はチョコレートの箱、開けてみるまで分からない」
(Life is like a box of chocolates. You never know what you're gonna get.)
という言葉が、原作の中にはないのがちょっと残念。
このセリフは『アメリカ映画の名セリフベスト100』において第40位なのだそうです。

Bubba Gump Shrimp https://www.wdi.co.jp/restaurants/bubbagump

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「あのころ、早稲田で」

2018年09月04日 | 


最近、早稲田大学のキャンパスに何十年ぶりに行って
全体に小奇麗になり、有名ホテルもでき、行き交う男女の学生も妙にお洒落になり、
外国人留学生の姿も増え…といった変わり様に驚いたのでした。
あの大学は友人や従弟が何人も行っていたし、そういえば私も学生時代、
「菊田昇医師の養子縁組斡旋法の制定運動」の手伝いで通っていた時期もあったのだった。
(いい加減な私が何故そんな堅い運動に関わっていたのか今となってはさっぱり
思い出せないのですが、その時はそれなりに真剣だったのです)
あの頃は狭いキャンパスに立看が林立し、ビラが風に吹き溜まり、とにかくゴチャゴチャした雰囲気だったのに
近頃では妙に綺麗になってしまったようです。

そんな時、本屋で目にしたのが「あのころ、早稲田で」。
中野翠のコラムや映画評は時々面白く読んでいるし、
表紙にトボケたインパクトがあって期待したのですが…
戦後ベビーブーマー第一世代(団塊世代)の著者は1965年に早稲田大学第一政経学部経済学科に入学。
クラスに女子は2人だけだったそうです。
”高校時代から『共産党宣言』やエンゲルスの著作を読みかじり、左翼にシンパシーを感じていたため、「社研」こと社会問題研究会に入る。『されどわれらが日々--』に触発され、大学に入ったら苦悩する「真摯」な生き方を目指すはずだったのに、入学した翌年に勃発した早大闘争にも今一つのめり込めない日々-”(amazonから)

結論から言うと、ちょっと肩透かし。
早稲田大学を舞台に色々な登場人物が出てきますが
描かれているのは表層的な付き合いだけ。
タモリや吉永小百合、久米宏、田中真紀子、村上春樹など有名人の名前がキラ星の如く
出てきますが、同時代に在籍していたというだけで親交はなかったらしいし。
当時の学生運動の様子、社会の雰囲気、流行ったポップカルチャーの様子などが
多少分かりますが、あくまでさらっと。
あの時代を同時に生きた人たちとの、内輪だけの回想録という気がしないでもない。
「私の人生の中で最も思い出したくもない日々」という
言葉には深く共感しました。
やっぱり学生時代なんてそんなものだよねえ。

エピローグに、この本を書くにあたって著者も半世紀ぶりに早稲田に行ってみたら
蕎麦屋の三朝庵が健在で、東海林さだお氏のこの店に寄せる歌を思い出したとありましたが
SNSの友人から、この夏に閉店したと聞いたばかり(この本は去年出版)。
百年以上、五代に渡って続いたお店だったのだそうです。
残念… 

「あのころ、早稲田で」 https://tinyurl.com/ybv6fbgh

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「息子が殺人犯になった」

2018年05月01日 | 


1999年4月20日、コロンビア州デンバーのコロンバイン高校で、同校の生徒、
エリック・ハリスとディラン・クレボルトが13人を殺害、24人を負傷させたあと自殺した。
この本は、犯人の一人、ディランの母スー・クレボルトによって書かれたものです。

この本のことを新聞の書評で知ってから、読んでみたいと思っていました。
どうしたら、あんな恐ろしい殺人鬼ができるのか?
母親は同じ家にいて、本当に何も気が付かなかったのか?
これを読めば、何か答えは見つかるのだろうか?

結論から言えば、特記できるようなものは何も見つかりませんでした。
著者は良妻賢母であり、教育関係者として優等生的な人生を送った女性だった。
夫を愛し、息子たちを愛情深く育て、自分の人生に満足していた。
あの日までは。

あの日を境に、著者は全世界から想像を絶する非難を浴び、奈落の底に落とされ、
それでもわが子を否定しきれない葛藤を持ちつつ、惨劇の原因を追究し続けています。
沢山の裁判を起こされ、財産をすべて失い、43年間連れ添った夫とも離婚し、
今は贖罪の思いを胸に、自殺防止の活動に奔走しているといいます。

事件後の長期にわたる研究の結果、スクールカーストによるいじめも認められ、
精神分析医の結論は
”エリック・ハリスは殺人的傾向のある精神病質者で、ディラン・クレボルトは
自殺傾向のある鬱病患者で、それぞれが相手の狂気を必要としていた”
ということなのだそうです。

しかし、病名をつけることに何の意味があるのだろう?とも思います。
この本を読む限り、ディランは愛情深い家庭に育った、普通の少年にしか見えないのですから。
私の下手な説明より、著者の文章を少しご紹介したいと思います。

”問題は何かって?現実はそうではないことだ。
ディランの行動も、彼の本当の姿もそこにぴったりとはまらないことだ。
彼はマンガに出てくるような瞳に風車の模様があるような悪者ではない。
この凶悪で残虐な犯行の裏にある真実はずっと不穏なもので、犯人である彼は
「ちゃんとした家庭」に育った、のんきで内気で人好きのする青年だった。
トムも私も、ディランがテレビの見過ぎや砂糖の多いシリアルの摂り過ぎにならないよう制限する、教育熱心な親だった。息子たちが観る映画を制限していたし、寝かしつけの時にはお話を聞かせ、お祈りをし、抱きしめていた。
事件の前の年にいくつか問題行動があった以外は、ディランは典型的な良い子だった。
育てやすく、一緒にいるのが楽しい、私たちの自慢の息子だった。”

400ページに及ぶこの本が上梓されたのは、事件から16年経ってからなのだそうです。

『息子が殺人犯になった』 https://tinyurl.com/yaag2heu
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おなかの中に蝶が舞う気分

2018年04月16日 | 


先に日記で取り上げた本を、ようやく読むことができました。
小さな、絵本のような本です。
”トナカイが休憩なしで疲れず移動できる距離”を表すフィンランド語を始め、
世界中の原語から、独自の言い回しと思われる言葉を108個。
私が心惹かれたものを幾つかご紹介したいと思います。



オランダ語のこの長い単語、面白い。
”直訳すると「ダチョウの政治」。悪いことが起きているのに、
いつもの調子でまったく気づいてないふりをすること。”



ハワイ語の言葉。
”だれかに道を教えてもらい歩き始めた途端、教わったばかりの方向を忘れた時、
「AKIHIになった」と言う”
方向音痴の私は、今までどれだけこの思いをして来たことか…



私が一番好きなのは、タガログ語のこれ。
”おなかの中に蝶が舞っている気分。
たいてい、ロマンチックなことやすてきなことが起きた時に感じる”
恋の始まりの、あのワクワク感かな。



ウルドゥー語のこれも素敵。
”だれかに無条件に愛されることによって生まれてくる、自信と心の安定”。



ポルトガル語の「サウダージ」は知っていました。
”心の中になんとなくずっと持ち続けている、存在しないものへの渇望や
または愛し失った人やものへの郷愁”
ラジオJ-Waveに「サウージ・サウダージ」というブラジル音楽の番組があるのです。



ちなみに日本語で紹介されているものは4個。
「木漏れ日」「わびさび」「積読」「ボケっと」。
最後のは”なにも特別なことを考えず、ぼんやりと遠くを見ている時の気持ち”。
「Boketto」なんて書くと、日本語じゃないようです。

そういえば英語で"I have a butterfly in my stomach."だと
メチャ緊張するとかいう意味なのでした。
こんなに似た表現なのに。

「翻訳できない世界の言葉」 https://www.sogensha.co.jp/special/honyaku/

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中野京子氏の「シンデレラ」講演

2017年12月16日 | 


「怖い絵」シリーズの中野京子氏の講演を聴いてきました。
今日のテーマは「シンデレラ」。
中野氏によると、シンデレラに似た話は世界に500以上もあるのだそうです。
その中でも有名な、ペロー童話とグリム童話とディズニー版アニメを比較検討。

ペロー版シンデレラ。
貴族の娘である主人公は母を亡くし、継母とその娘二人にいじめられ、
家事労働を押し付けられて「サンドリヨン」(灰っ子)と呼ばれる。
名付け親である仙女の助魔法でカボチャを馬車に変えて貰い、豪華なドレスを着せられ、
お城の舞踏会に行き、魔法が解ける12時前にガラスの靴を落として帰る。
王子はその靴を手掛かりにサンドリヨンを探し、めでたく結婚。
義姉たちを優しく許し、宮廷にも住まわせた。

グリム版。
金持ちの娘が母を亡くして、継母と継姉にいじめられるのは同じ。
シンデレラは父親からハシバミの枝を貰い、それを大事に育てる。
成長した木に白い小鳥が来るようになり、シンデレラが願うものを与えてくれるようになる。
お城の舞踏会のドレスも貰いガラスの靴も、白い小鳥に用意して貰う。
二晩続けてシンデレラはお城に行き、三晩目に王子は階段にタールを塗る。
タールに残されたガラスの靴を手掛かりにシンデレラを探し、めでたく結婚。
義姉たちは、白い小鳥に目をつつかれて盲目となってしまった。



ディズニー版のストーリーは基本、ペロー童話と同じですが
宮廷色をなくしたこと、シンデレラがより活動的な女性であること、
継母が徹底的に黒幕であることが違うのだそうです。
そしてシンデレラはブロンド美人、継母や継姉は赤毛や黒毛の醜女であるという
西洋における固定観念がくっきりと画像化されていると。

シンデレラ類似話の最古版が中国にあったということで
ガラスの靴が異様に小さいのは、シンデレラは纏足であったからという説もあるのだそうです。



講演会場でサインを頂くために、「シンデレラ」の本をそこで買いました。
古い絵本の挿絵などがふんだんに盛り込んであり、
急ぎ足で終わった講演の内容が、ゆっくり確認できたのはよかった。
でも一番驚いたのは
見た目は私とそれほど変わらない年齢じゃないかと思われた中野氏が
いまだに携帯を持っていないとおっしゃったことでしょうか。

「中野京子シンデレラ」https://tinyurl.com/y842gta2
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