カトリック府中教会の聖母子像
(住所:東京都府中市府中町1-40-11)
(住所:東京都府中市府中町1-40-11)
ドイツのメルケル首相は来日講演で、ヴァイツゼッカー元大統領の「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」という警句を引用しながら、この傲慢で恥知らずな島国に「隣国との和解」「慰安婦問題の解決」「脱原発」を促した。だが、安倍晋三や「昭和のテレビ中毒世代」にメルケル氏の善意を汲み取るほどの良識は全くない。「彼らは思慮に欠けた国民、彼らには洞察する力がない。もし、彼らに知恵があれば、悟ったであろうに。自分の行く末も分かったであろうに」(申命32・28-29)。
3月14日(土)、カトリック府中教会で四旬節第4主日のミサに与った。このところ、私は「業務多忙」で教会へ行く機会が減っている。だが、イエスも荒れ野で言われたように、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」(申命8・3)。私の霊的な飢え(?)は増すばかりだから、時間の都合がつき次第、最寄りの教会へ行くことに決めた。聖書の解き明かしが聞けるなら「教派不問」なので、カトリックも外国宣教会・修道会系の教会を中心に再訪の予定。
午後7時、ミサ開祭。福音朗読は、イエスとニコデモの場面(ヨハネ3・14-21)。ビッフィ・マウリツィオ神父(ミラノ外国宣教会)は、「神様は私たちに救うチャンスを与えています。そして、イエスの十字架は神様からの救いを示しています。そのことを悟ったら、私たちも神様の手足となって人を救うチャンスになりましょう。本日の福音は喜ばしくも、責任を持たせるメッセージです」と話された。その尊い責任を曖昧にするのが「あなたはすでに、救われている」宣言という被造物の身勝手な空想だろう。

夕暮れのカトリック府中教会聖堂
◆主な参考文献など:
・「過去の克服・二つの戦後」 ヴァイツゼッカー著、山本務訳(日本放送出版協会・1994年)