goo blog サービス終了のお知らせ 

三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

四旬節第4主日のミサ

2015年03月24日 | ミサ聖祭
カトリック府中教会の聖母子像
(住所:東京都府中市府中町1-40-11)

ドイツのメルケル首相は来日講演で、ヴァイツゼッカー元大統領の「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」という警句を引用しながら、この傲慢で恥知らずな島国に「隣国との和解」「慰安婦問題の解決」「脱原発」を促した。だが、安倍晋三や「昭和のテレビ中毒世代」にメルケル氏の善意を汲み取るほどの良識は全くない。「彼らは思慮に欠けた国民、彼らには洞察する力がない。もし、彼らに知恵があれば、悟ったであろうに。自分の行く末も分かったであろうに」(申命32・28-29)。

3月14日(土)、カトリック府中教会で四旬節第4主日のミサに与った。このところ、私は「業務多忙」で教会へ行く機会が減っている。だが、イエスも荒れ野で言われたように、「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」(申命8・3)。私の霊的な飢え(?)は増すばかりだから、時間の都合がつき次第、最寄りの教会へ行くことに決めた。聖書の解き明かしが聞けるなら「教派不問」なので、カトリックも外国宣教会・修道会系の教会を中心に再訪の予定。

午後7時、ミサ開祭。福音朗読は、イエスとニコデモの場面(ヨハネ3・14-21)。ビッフィ・マウリツィオ神父(ミラノ外国宣教会)は、「神様は私たちに救うチャンスを与えています。そして、イエスの十字架は神様からの救いを示しています。そのことを悟ったら、私たちも神様の手足となって人を救うチャンスになりましょう。本日の福音は喜ばしくも、責任を持たせるメッセージです」と話された。その尊い責任を曖昧にするのが「あなたはすでに、救われている」宣言という被造物の身勝手な空想だろう。


夕暮れのカトリック府中教会聖堂

◆主な参考文献など:
・「過去の克服・二つの戦後」 ヴァイツゼッカー著、山本務訳(日本放送出版協会・1994年)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チマッティ神父の「月命日」ミサ

2015年01月19日 | ミサ聖祭
調布サレジオ神学院前の聖母像
(住所:東京都調布市富士見町3-21-12)

1月6日(火)、調布のチマッティ記念聖堂で、チマッティ神父の取次を願うミサに与った。毎月6日はチマッティ神父の「月命日」で、その遺徳を偲ぶ特別なミサが捧げられている。午前10時30分、ミサ開祭。平日にもかかわらず、聖堂内はほぼ満席。冬休み中のためか、子どもたちの姿もあった。入祭の歌「刈り入れは」を歌う。ミサ曲など、主な歌はチマッティ神父の作曲である。司式はチマッティ資料館館長のコンプリ神父。福音朗読は、「五つのパンと二匹の魚」の場面(マルコ6・34-44)。

「イエス様は『飼い主のいない羊』を深く憐れまれた。現代人は『どう生きるべきか』を考えていない。『羊飼い』がいないのです。だから、『心の糧』が必要です。今日の第一朗読で触れたように、『愛することのない者は神を知りません』(一ヨハネ4・8)。神は愛です。それは、御子をお遣わしになったことに示されている。神様のお望みは、私たちが互いに愛し合うこと。チマッティ神父はそのお手本を示されたのです」。コンプリ神父の説教は、恩師のチマッティ神父の慈愛が窺えるようであった。

閉祭の歌は、チマッティ神父のアヴェ・マリア。私にとっては、シューベルト、グノーと並ぶ三大「聖母賛歌」である。ところで、今年は“日本のドン・ボスコ”と称されるチマッティ神父(サレジオ会司祭)の帰天50周年、そしてサレジオ会を創立したドン・ボスコの生誕200周年である。ミサ後、チマッティ資料館でドン・ボスコの特集を組んだ『カトリック生活』最新号を入手。そのページを繰りながら、私は今から4年前にチマッティ記念聖堂で与ったドン・ボスコ聖遺物日本巡礼記念ミサを思い出した。


調布サレジオ神学院前のドン・ボスコ像
(1951年頃、チマッティ神父がイタリアに発注)


チマッティ記念聖堂内の扶助者聖母像
“ O nostra mater pia, Virgo Maria! ”

<付記>
「毎月6日の10時30分から調布の聖堂でチマッティ神父の月命日のミサがささげられますが、帰天50周年にあたる2015年10月6日(火)10時30分は、荘厳ミサがささげられます。また10月11日(日)13時より、調布市のグリーンホール(1,300席)で記念コンサートが開催され、オラトリオ形式でチマッティ作曲オペラ「細川ガラシア」が上演されます。どうぞ皆さんお楽しみに」(『チマッティ資料館便り』から転載)。

◆この日のミサ中の主な歌:
チマッティ神父のミサ曲(1940年作の日本語ミサ曲)、入祭:「刈り入れは」、拝領:「輝ける聖母マリア」、閉祭:「アヴェ・マリア」(以上、チマッティ神父作曲)。

◆主な参考文献・CDなど:
・「カトリック生活<特集:ドン・ボスコ生誕200周年>」2015年1月号 (ドン・ボスコ社・2015年)
・「チマッティ神父 本人が書かなかった自叙伝(下)」 ガエタノ・コンプリ編訳(ドン・ボスコ社・2011年)
・「チマッティ資料館便り 2015年」(チマッティ資料館・2015年)
・CD「チマッティ神父のミサ曲」 合唱:調布カルメル修道女会ほか(チマッティ資料館:VCCD-007)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チマッティ神父の「月命日」ミサ

2014年08月13日 | ミサ聖祭
調布サレジオ神学院前のドン・ボスコ像
(住所:東京都調布市富士見町3-21-12)

戦時中、日本のカトリック教会は軍国主義への「抵抗」よりも、「恭順」を選んだように見える。さらに、外国人宣教師は教会内の「忘恩」に苦しんだ。「聖書が言う通り『身内は人の敵になる』。(日本の)役人の善意を見ている私たちは、助けるはずの教会側からの態度を見て(邦人教区長は長期の監禁を勧めた)、最悪のことを予想する」(チマッティ神父の1943年9月9日付『日誌』より)。「恭順」への自省もなく、一方的に「弾圧を受けた」とする被害者意識に基づく「正義と平和」の訴えは無意味である。

8月6日(水)、調布のチマッティ記念聖堂で、チマッティ神父の取次ぎを願うミサに与った。毎月6日の「月命日」は、チマッティ神父の遺徳を偲ぶミサが捧げられている。午前10時30分、ミサ開祭。聖堂内は満席。夏休み中のためか、子ども10数人の姿もあった。入祭の歌「刈り入れは」を歌う。ミサ曲を始め、主な歌はチマッティ神父の作曲である。司式はチマッティ資料館館長のコンプリ神父。福音朗読は「主の変容」の場面(マタイ17・1-9)。この日は広島原爆忌で、主の変容の祝日と重なっていた。

コンプリ神父は、「弟子たちは父の声を聞いた。私たちも天国へ行った時、そこで父と子と聖霊に出会います。そして、イエス様が待っておられる。天国で私たちは永遠に幸せになれるのです」と話された。閉祭の歌は、チマッティ神父のアヴェ・マリア。私にとっては、シューベルト、グノーと並ぶ三大「聖母賛歌」である。それにしても、カトリックのミサに与ったのは、実に10ヶ月ぶりだった。私は日本のカトリック教会から離れてしまったので、チマッティ神父がローマへといざなう“保護の聖人”なのである。


調布サレジオ神学院前の聖ドメニコ・サヴィオ像
(1962年、チマッティ神父がイタリアに発注)


チマッティ神父自筆の神学院図書目録
(チマッティ資料館蔵。自由に閲覧できる)

◆この日のミサ中の主な歌:
チマッティ神父のミサ曲(1940年作の日本語ミサ曲)、入祭:「刈り入れは」、拝領:「輝ける聖母マリア」、閉祭:「アヴェ・マリア」(以上、チマッティ神父作曲)。

◆主な参考文献など:
・「チマッティ神父 本人が書かなかった自叙伝(下)」 ガエタノ・コンプリ編訳(ドン・ボスコ社・2011年)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グレゴリオ聖歌による「ロザリオの祝日」ミサ

2013年10月31日 | ミサ聖祭
ミサ当日のカトリック田園調布教会
(住所:東京都大田区田園調布3-43-1)

今日で「ロザリオ月」も終わり。去る10月12日(土)、カトリック田園調布教会でグレゴリオ聖歌による「聖マリア最も尊きロザリオの祝日」ミサに与った。この日の聖歌は、田園調布教会のグレゴリオ聖歌研究会によって歌われ、また主な式文はラテン語が使用された。司式は一昨年の諸聖人のミサと同じく、フランシスコ会司祭の静一志神父だった。午後2時、ミサ開祭。大聖堂にイントロイトゥス(入祭唱)が厳かに響き渡る。神への賛美が溢れる旋律に、汚れた心も洗われる思いだ。

今年は『カトリック聖歌集』505番のラテン語ミサ曲「処女聖マリアの祝日に(Cum jubilo)」が歌われた(と思う)。この気高い調べを、私はウィーン・ホーフブルクカペルレ・コーラルスコラが歌うグレゴリオ聖歌集のCDで親しんできた。福音朗読は、イエスが「幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人」と言われた場面(ルカ11・27-28)。静神父は往年の城達也氏のような美声で、「マリア様のように神の御旨を行ったとすれば、私たちもイエス様の“兄弟姉妹”となるでしょう」と話された。

閉祭の歌は「サルヴェ・レジナ(天の元后)」。実に厳かなミサであった。ただ、どうしても気になってしまうのが、こうしたグレゴリオ聖歌によるミサや荘厳司教ミサに於いて、やや懐古的な「メモリアル・イベント」の側面が感じられなくもないこと。一方で、日本のカトリック教会の現行版『典礼聖歌』が、特定少数の現代邦人作曲家に独占され、鎖国状態になっていることも残念に思う。毎回という訳ではないが、私は高田三郎氏の「マンネリズム」に耐え難い苦痛を感じてしまう時がある。


カトリック田園調布教会のルルド
“ Florete flores quasi lilium(百合のように花を咲かせ)... ”

◆この日のミサ中の主な歌:
グレゴリオ聖歌によるミサ曲「Cum jubilo」(カトリック聖歌505?)、入祭:グレゴリオ聖歌「すべての民の富める者は」、奉納:グレゴリオ聖歌「アヴェ・マリア」、拝領:グレゴリオ聖歌「百合のように花を咲かせ」、閉祭:グレゴリオ聖歌「サルヴェ・レジナ(天の元后)」。

◆主な参考CDなど:
・「グレゴリオ聖歌集」 合唱:ウィーン・ホーフブルクカペルレ・コーラルスコラ(Philips:411 140-2)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チマッティ神父の「命日」ミサ

2013年10月11日 | ミサ聖祭
調布サレジオ神学院、尊者チマッティ神父の肖像
(住所:東京都調布市富士見町3-21-12)

10月6日(日)、サレジオ神学院のチマッティ記念聖堂で、チマッティ神父の取次ぎを願うミサに与った。今から48年前、1965年のこの日、チマッティ神父は神学院の病室で帰天された。当時、私はまだ生まれておらず、チマッティ神父と時代を共にすることはなかったが、毎月6日の「月命日」ミサ、名歌「アヴェ・マリア」等の音楽作品を通して、師の崇高な遺徳を偲んでいる。この日、同じ敷地内のカトリック調布教会も年間第27主日を迎えていたが、私は神学院本館に向かった。

午前10時30分、ミサ開祭。聖堂内は満席に近い。この日は主日と重なっていたが、会衆は様々な所属教会から集まってきたと思われる。司式はチマッティ資料館館長のガエタノ・コンプリ神父。福音朗読は「からし種一粒ほどの信仰」について(ルカ17・5-10)。コンプリ神父は「今日の第一朗読で、世の『不法』を訴えた預言者ハバククに、神は『幻』を語られた。神に従う人は信仰によって生きる。困難に遭っても、神を信頼して待ち続ける。いつか神は答えてくれます」と話された。

「皆さん、現代も『不法』だらけですが、私たちは神様を信頼して、まず自分の務めを果たしましょう。やるべきことをやっても、自慢はしない。神様は報いてくださいます。戦前日本の苦しい時代、チマッティ神父は常に神様を信頼して働きました。晩年のチマッティ神父は寝たきり状態でしたが、『今、私ができるのは、祈ることだけ』と、自分の務めを最期まで果たされたのです」。コンプリ神父の説教が心に強く響いた。私も安心して祈りつつ、自分のささやかな務めを果たせたらと思う。


調布サレジオ神学院、地下聖堂の聖母子像
“ ♪アヴェ・マリア 恵み満ちて 選ばれし神の母・・・ ”

◆この日のミサ中の主な歌:
チマッティ神父のミサ曲(1940年作の日本語ミサ曲)、入祭:「刈り入れは」、拝領:「輝ける聖母マリア」、閉祭:「アヴェ・マリア」(以上、チマッティ神父作曲)。

<付記>
チマッティ神父の最新CD『チマッティ神父生誕100年記念コンサート』がリリースされた。1980年、チマッティ神父の故郷であるイタリアのファエンツァで開催されたコンサートのライヴ録音。古いアナログ・テープのため、音質は最良とは言えないが、生地での歴史的録音として貴重である。ファエンツァ市民が共感をこめて歌う表現力に圧倒される。歌詞対訳付。チマッティ資料館で頒布中(定価:1,000円)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする