三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

チマッティ神父の「月命日」ミサ

2015年01月19日 | ミサ聖祭
調布サレジオ神学院前の聖母像
(住所:東京都調布市富士見町3-21-12)

1月6日(火)、調布のチマッティ記念聖堂で、チマッティ神父の取次を願うミサに与った。毎月6日はチマッティ神父の「月命日」で、その遺徳を偲ぶ特別なミサが捧げられている。午前10時30分、ミサ開祭。平日にもかかわらず、聖堂内はほぼ満席。冬休み中のためか、子どもたちの姿もあった。入祭の歌「刈り入れは」を歌う。ミサ曲など、主な歌はチマッティ神父の作曲である。司式はチマッティ資料館館長のコンプリ神父。福音朗読は、「五つのパンと二匹の魚」の場面(マルコ6・34-44)。

「イエス様は『飼い主のいない羊』を深く憐れまれた。現代人は『どう生きるべきか』を考えていない。『羊飼い』がいないのです。だから、『心の糧』が必要です。今日の第一朗読で触れたように、『愛することのない者は神を知りません』(一ヨハネ4・8)。神は愛です。それは、御子をお遣わしになったことに示されている。神様のお望みは、私たちが互いに愛し合うこと。チマッティ神父はそのお手本を示されたのです」。コンプリ神父の説教は、恩師のチマッティ神父の慈愛が窺えるようであった。

閉祭の歌は、チマッティ神父のアヴェ・マリア。私にとっては、シューベルト、グノーと並ぶ三大「聖母賛歌」である。ところで、今年は“日本のドン・ボスコ”と称されるチマッティ神父(サレジオ会司祭)の帰天50周年、そしてサレジオ会を創立したドン・ボスコの生誕200周年である。ミサ後、チマッティ資料館でドン・ボスコの特集を組んだ『カトリック生活』最新号を入手。そのページを繰りながら、私は今から4年前にチマッティ記念聖堂で与ったドン・ボスコ聖遺物日本巡礼記念ミサを思い出した。


調布サレジオ神学院前のドン・ボスコ像
(1951年頃、チマッティ神父がイタリアに発注)


チマッティ記念聖堂内の扶助者聖母像
“ O nostra mater pia, Virgo Maria! ”

<付記>
「毎月6日の10時30分から調布の聖堂でチマッティ神父の月命日のミサがささげられますが、帰天50周年にあたる2015年10月6日(火)10時30分は、荘厳ミサがささげられます。また10月11日(日)13時より、調布市のグリーンホール(1,300席)で記念コンサートが開催され、オラトリオ形式でチマッティ作曲オペラ「細川ガラシア」が上演されます。どうぞ皆さんお楽しみに」(『チマッティ資料館便り』から転載)。

◆この日のミサ中の主な歌:
チマッティ神父のミサ曲(1940年作の日本語ミサ曲)、入祭:「刈り入れは」、拝領:「輝ける聖母マリア」、閉祭:「アヴェ・マリア」(以上、チマッティ神父作曲)。

◆主な参考文献・CDなど:
・「カトリック生活<特集:ドン・ボスコ生誕200周年>」2015年1月号 (ドン・ボスコ社・2015年)
・「チマッティ神父 本人が書かなかった自叙伝(下)」 ガエタノ・コンプリ編訳(ドン・ボスコ社・2011年)
・「チマッティ資料館便り 2015年」(チマッティ資料館・2015年)
・CD「チマッティ神父のミサ曲」 合唱:調布カルメル修道女会ほか(チマッティ資料館:VCCD-007)
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4 コメント

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謹賀新年 (カナリア)
2015-01-21 16:00:26
エウティコさん、新年おめでとうございます。

『YOUCAT』を教えていただいて、ありがとうございました。
知らないことも多かったので、読んで良かったと思いました。

社会教説に関心を持ちました。だいぶ前に、聖公会出版から出ていた『現代キリスト教の市場経済観』(1992
年、ジョン・アサートン著、1999年、小谷春夫、増井幸夫、八木俊輔訳)という本をアマゾンで見つけて、書名に惹かれて購入しました。私の乏しい知識と弱い理解力では歯が立たず、本棚に置かれたままになっています。勉強して、いつか分かるようになるといいのですが。

2015年が良い年になりますように。
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今年も宜しくお願い致します。 (エウティコ)
2015-01-22 21:24:02
カナリアさん、明けましておめでとうございます。

「権力、快楽、金銭が偶像化すると、富の公正な分配の必要性よりもそれらが優先されてしまいます。ですから、わたしたちは正義、平等、簡素さ、分かち合いに心を向ける必要があるのです」。

これは2013年12月に発せられた教皇様の四旬節メッセージの一節ですが、その背景には「社会教説」的なアプローチが窺えるようです。「新自由主義」という強欲拝金主義に囚われた人々(竹中平蔵と経団連の仲間たち)にとって、折々の社会教説は耳が痛いメッセージとなるでしょうね。

2015年の復活祭前後から、私は某修道会系の教会で外国人司祭による入門講座を受講しようと考えています。このブログもその講義録メモがメインとなるかもしれません(?)。
返信する
講義録を楽しみにしています。 (カナリア)
2015-01-22 23:08:10
健康に留意されて、充実した講義録をブログに載せてください。楽しみにしています。
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ありがとうございます。 (エウティコ)
2015-01-25 05:00:20
カナリアさん、ありがとうございます。

日本のカトリック教会の現状(「西欧のキリスト教」を嫌悪する池長潤大司教、「南無アッバ」の井上洋治神父、「万人救済」の晴佐久昌英神父、及び彼らの崇拝者たちなど)に失望した私ですが、それでもカトリック教会の教えと聖書理解は体系的に学んでみようと思います。ただし、聖パウロのように「回心」して、受洗に至るかどうかは不明ですが・・・。
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