三多摩の鐘

The Bells of San Tama -関東のキリスト教会巡り-

チマッティ神父の「月命日」ミサ

2014年08月13日 | ミサ聖祭
調布サレジオ神学院前のドン・ボスコ像
(住所:東京都調布市富士見町3-21-12)

戦時中、日本のカトリック教会は軍国主義への「抵抗」よりも、「恭順」を選んだように見える。さらに、外国人宣教師は教会内の「忘恩」に苦しんだ。「聖書が言う通り『身内は人の敵になる』。(日本の)役人の善意を見ている私たちは、助けるはずの教会側からの態度を見て(邦人教区長は長期の監禁を勧めた)、最悪のことを予想する」(チマッティ神父の1943年9月9日付『日誌』より)。「恭順」への自省もなく、一方的に「弾圧を受けた」とする被害者意識に基づく「正義と平和」の訴えは無意味である。

8月6日(水)、調布のチマッティ記念聖堂で、チマッティ神父の取次ぎを願うミサに与った。毎月6日の「月命日」は、チマッティ神父の遺徳を偲ぶミサが捧げられている。午前10時30分、ミサ開祭。聖堂内は満席。夏休み中のためか、子ども10数人の姿もあった。入祭の歌「刈り入れは」を歌う。ミサ曲を始め、主な歌はチマッティ神父の作曲である。司式はチマッティ資料館館長のコンプリ神父。福音朗読は「主の変容」の場面(マタイ17・1-9)。この日は広島原爆忌で、主の変容の祝日と重なっていた。

コンプリ神父は、「弟子たちは父の声を聞いた。私たちも天国へ行った時、そこで父と子と聖霊に出会います。そして、イエス様が待っておられる。天国で私たちは永遠に幸せになれるのです」と話された。閉祭の歌は、チマッティ神父のアヴェ・マリア。私にとっては、シューベルト、グノーと並ぶ三大「聖母賛歌」である。それにしても、カトリックのミサに与ったのは、実に10ヶ月ぶりだった。私は日本のカトリック教会から離れてしまったので、チマッティ神父がローマへといざなう“保護の聖人”なのである。


調布サレジオ神学院前の聖ドメニコ・サヴィオ像
(1962年、チマッティ神父がイタリアに発注)


チマッティ神父自筆の神学院図書目録
(チマッティ資料館蔵。自由に閲覧できる)

◆この日のミサ中の主な歌:
チマッティ神父のミサ曲(1940年作の日本語ミサ曲)、入祭:「刈り入れは」、拝領:「輝ける聖母マリア」、閉祭:「アヴェ・マリア」(以上、チマッティ神父作曲)。

◆主な参考文献など:
・「チマッティ神父 本人が書かなかった自叙伝(下)」 ガエタノ・コンプリ編訳(ドン・ボスコ社・2011年)
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