
ミサ当日のカトリック田園調布教会
(住所:東京都大田区田園調布3-43-1)
(住所:東京都大田区田園調布3-43-1)
今日で「ロザリオ月」も終わり。去る10月12日(土)、カトリック田園調布教会でグレゴリオ聖歌による「聖マリア最も尊きロザリオの祝日」ミサに与った。この日の聖歌は、田園調布教会のグレゴリオ聖歌研究会によって歌われ、また主な式文はラテン語が使用された。司式は一昨年の諸聖人のミサと同じく、フランシスコ会司祭の静一志神父だった。午後2時、ミサ開祭。大聖堂にイントロイトゥス(入祭唱)が厳かに響き渡る。神への賛美が溢れる旋律に、汚れた心も洗われる思いだ。
今年は『カトリック聖歌集』505番のラテン語ミサ曲「処女聖マリアの祝日に(Cum jubilo)」が歌われた(と思う)。この気高い調べを、私はウィーン・ホーフブルクカペルレ・コーラルスコラが歌うグレゴリオ聖歌集のCDで親しんできた。福音朗読は、イエスが「幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人」と言われた場面(ルカ11・27-28)。静神父は往年の城達也氏のような美声で、「マリア様のように神の御旨を行ったとすれば、私たちもイエス様の“兄弟姉妹”となるでしょう」と話された。
閉祭の歌は「サルヴェ・レジナ(天の元后)」。実に厳かなミサであった。ただ、どうしても気になってしまうのが、こうしたグレゴリオ聖歌によるミサや荘厳司教ミサに於いて、やや懐古的な「メモリアル・イベント」の側面が感じられなくもないこと。一方で、日本のカトリック教会の現行版『典礼聖歌』が、特定少数の現代邦人作曲家に独占され、鎖国状態になっていることも残念に思う。毎回という訳ではないが、私は高田三郎氏の「マンネリズム」に耐え難い苦痛を感じてしまう時がある。

カトリック田園調布教会のルルド
“ Florete flores quasi lilium(百合のように花を咲かせ)... ”
◆この日のミサ中の主な歌:
グレゴリオ聖歌によるミサ曲「Cum jubilo」(カトリック聖歌505?)、入祭:グレゴリオ聖歌「すべての民の富める者は」、奉納:グレゴリオ聖歌「アヴェ・マリア」、拝領:グレゴリオ聖歌「百合のように花を咲かせ」、閉祭:グレゴリオ聖歌「サルヴェ・レジナ(天の元后)」。
◆主な参考CDなど:
・「グレゴリオ聖歌集」 合唱:ウィーン・ホーフブルクカペルレ・コーラルスコラ(Philips:411 140-2)
私も昨年は、田園調布教会の、グレゴリオ聖歌研究会ラテン語ミサに運良く与れました。
四谷の聖パウロ修道院では、月1度、第2公会議以前のトリエントミサ(ラテン語)が行われているようですが、参加の際の服装がやかましいとかで…いまだに不参加です。
高田三郎さんのミサ曲は(個人的には)『やまとのささげうた』の方が好きで、京都カルメル会お告げの聖母修道院のシスターたちの演奏が素晴らしいです。現在廃盤のCDなので、「機会があったら聴いてみて下さい」と言えないのが残念ですが。
カトリック田園調布教会の「グレゴリオ聖歌によるミサ」は、大聖堂の豊かな残響効果と相俟って、荘厳な雰囲気が醸し出されていますね。聖歌隊の皆さんは2階の楽廊で歌われるのですが、これが天上から降り注ぐ聖なる調べのようで、実に素晴らしいと思いました。
祖父の遺品の中に、第2公会議以前の古いミサ式次第とその解説書があります(J・アブリ神父著『ミサ聖祭入門』1960年版)。当時は司祭と侍者とがラテン語で受け答えしながら、「信経(ニケア)」や「主祷文(主の祈り)」では聖歌隊と会衆が交互に唱えていたようですね(歌ミサの場合)。しかし、私も「トリエント・ミサに与ってみたい」という勇気がありません・・・。