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幸せな時間

2014年04月02日 21時51分21秒 | ひとりごと
 祖父が亡くなってから、今日で38年になります。私はじいちゃんの初孫でした。
幼い時の記憶というよりは、残された写真を見ての記憶?なので、かなり曖昧ですが、おそらく幼稚園に上がる前の3,4歳頃の私でしょう、じいちゃんの着物の懐に入って、汽車(電車ではありません。煙のモクモクと上がる例の奴です)を見ています。じいちゃんのその時の歳を数えると、53、4歳くらいでしょうか、毎日々私を連れては、いつも踏切に立っていたと母が教えてくれました。

 そこから少し時が流れて、次の写真はウサギの餌を取っている様子、こちらは写真だけでもなく、かすかに私なりの記憶があります。家からすぐの川沿いに生えていた草を、じいちゃんといっしょにむしっては持ち帰り、ムシロに広げて乾かしました。うさぎはぬれている草を食べるとおなかをこわす、ということは、この時、じいちゃんから教わりました。その頃の我が家は、うさぎに、ひつじに、にわとりに犬(?)・・・と、さながら、小さな動物園のようでした。

 そこからまたほんの少しだけ月日は流れて、家の真ん中の柱に、じいちゃんの着物の帯でくくり付けられている私がいます。こちらの写真はないのですが、じいちゃんを思い出す時に、必ずよみがえってくる記憶です。泣きじゃくりながら、もう二度としないから助けてぇ~と、私はまず、ばあちゃんに助けを求めるのですが、誰が頼んだところで容赦のない、怯まない、じいちゃんでした。そして私が2、3時間も泣き叫んで疲れ果てた頃、やっと帯をほどいてくれて、もう二度としないかと尋ねるのでした。

 最後の写真は、市営球場の桜の下のお弁当、おそらく小学校の運動会、忙しい父や母に代わって、決まって我が家はじいちゃんとばあちゃんが来てくれました。母が作ってくれた卵焼きにのり巻き、寒天、そして桜でんぶと、ゆで卵のいっぱいのった甘~い酢めし、これが当時のお重のメニュー。かけっこの遅かった私の唯一の楽しみが、じいちゃん、ばあちゃんそして弟と4人で食べるお弁当。バナナが入っていたら、いうことなかったなあ。

 じいちゃんが亡くなったのは、私が大学2年生、いえ正確には3年生になろうとした春。下宿先のおばさんが、すぐ横手に帰るようにと知らせてくれました。高校野球を観ていて、興奮して心臓が詰まってもがいて、その後、救急車がやってきたけど、ほぼ、もう救急車の中で亡くなってしまったとか、傍にいた母だけが、その死に目に会ったという。春だというのに、雪が降っていた記憶があります。
 あれから38年の月日が流れて、7人家族だった我が家にいるのは、母と私の二人だけ、とても寂しくなりました。が、こうして今日、じいちゃんの命日をこの地で迎え、記憶を辿りながら、幸せな時間に思いを馳せることができました。
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