カウンセリングルーム 横手(三鷹)しゃべりば

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第3回横手しゃばりばによせて

2014年04月19日 22時13分22秒 | 横手しゃべりばによせて
 しゃべりばが終わってちょうど1週間になりました。やっと、平常心を取り戻しました。
参加者Kさんにはなんて表現していいのか、(あえて正直に言うなら)ほどほど、困り果てていました。終わって2、3日、自分自身のやる気がうせて、動くことができなかった、一応、体だけは動いてはいましたが。
友田先生ならこういう時はどうするんだろう、鈴木先生なら、この方とどう向き合うんだろうと、私には初めての経験だったので、そんな想像ばかりをして過ごしました。
と言うますのも、しゃべりばを始めて13年になりますが、私は、あのKさんのような参加者には、今まで一度もお目にかかったことがなかったからです。まっ、いつだって初参加の方には、初めてお目にかかる人でしょうという屁理屈はあるのですが、理屈だけをとるなら、彼女はその世界を、ぽ~んと軽く超えてきました。
もし私が主催者側でもなんでもなく、単に一人の参加者だとしたら、間違いなく席を立ってその場を離れていたことでしょう。現に、しゃべりばが終わったときには、私とKさん、それに当日、横手市内に宿泊予定だったNさん以外には皆、姿を消していました。もちろん、用事があって席を立たれた方もいらしたでしょうが、それでもです。
グループカウンセリングと銘打ってはいるものの、その限界を見たというか、ここって、単におばさまのはけ口の場だったけ、というか、この横手市でカウンセリングをやってゆくことの難しさを突き付けられたというか、一番は私自身の未熟さなんでしょうが、厳しく対処できなかった自分に凹んで、うんざりしていました。

 そして1週間たった今日、もうKさんのことでは悩まなくなりました。それは、Kさんが特別でもなんでもなく、この町にいらっしゃる多くのおばさまたちは、多かれ少なからKさんの一部だと気がついたからです。東京で11年間、やり続けたからこそ育っていった、成熟した参加者に囲まれてのグループカウンセリング、慣れ親しんだ、その動きだけで通用すると思い込んでいた、私の方が間違っていたのです。
違う意味で、たとえ誰一人、席を立っていなくなったとしても、世話人として、しっかり言うべきことは言う、話さないことは、決して話さない、その姿勢を私がなくしていたことに気がつきました。Kさんが一人、延々と話す中でさえも、Fさんという方は、なんのブレもなく座って、静かに自分を語っていましたから。
あまりにも波風立たせないことを良しとするような、田舎独特の空気に、しっかり染まっている自分に気づきました。お友達カウンセリング、温泉カウンセリングはいらないのです。厳しく対処さえもいらないのです。申し訳のように、自分自身の未熟さでしょうがと付け加えたことだけが、今まさにその通りだったと、改めて気づかされました。
常に自分の心に向き合わずして、何がカウンセリングでしょうか。
いつだって気がついたらまた0からのスタート、すべてはここからなのでしょう。

今はKさんに感謝です。
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