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カウンセリングルーム 横手(三鷹)しゃべりば

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第10回横手しゃべりばによせて

2016年04月04日 20時37分59秒 | 横手しゃべりばによせて
 場所は久しぶりのY2プラザに、これまた久しぶりの東京から参加のH男さん、いつもの顔ぶれのN子さんにM代さんにAちゃん、拝み倒しての参加のK男さん、それに初参加のF子さんとごいっしょのK子さん、さらには当日、自ら出席したいとうれしメールを下さったI子さん、そこに私を加えての計9名の方が集まった。
かつて(三鷹しゃべりばの頃)の私は、この出席者が何人になるのかが気になって、眠れないことがよくあった。ところがどっこい、横手しゃべりばになってからは、誰もいなかったらやらなければいいし、2、3人の時は、その人数でしかできないトークでの盛り上がりを楽しんだ。そして最近は当たり前になってしまったが、しゃべりばの前日になって突然、あっ!明日だなんてことも多々。ここまで力が抜けて「しゃべりば」ができるようになるなんて、昔のわたしからは、私が一番想像つかない。がそんな私でも、久しぶりの9名のご参加はまっこと嬉しいかぎり♪。

 さてさて、この日の話題のひとつに沈黙があった。沈黙こそがクライアントにとっての最良の時間、この沈黙こそが彼・彼女たちの気づきの時間、などとよく名だたる先生たちに言われもした(言われたっけ?)けど、私には苦手な時間であった。かつて、グループワークのときにいつも思っていたのは、なんでもいいから誰か言葉を発してくれないかなあ・・・だったし、個人カウンセリングの場面だと、私から言ってもいいけど邪魔をするのはイやだから、とりあえずここは待っていよう・・・とにかく待ちの一点張りだった。今ではかなり自由になったのか、グループの沈黙の時間になら、夕飯のおかずを考えることさえできるようになった。
他人がいての沈黙に自由になれたおかげで、日々の生活は平穏になった。どんなに周りに人がいようとも、何することもなく座って、自分でいられる。沈黙とどんな関係がと思われそうだけど、「自分が主で他者は賓・・・」と語っていた夏目漱石の言葉も、今なら経験としてよくわかる。

 この日のしゃべりばは、前半、可もなし不可もなしのような話題で流れた。この流れに急にもったいなさを感じた私は動いた。
あえて動いた!!
話題をN子さんに振ったところ、それまでの流れとまったく違う流れができた。N子さんが持参していた、とある方の作文を皆で回し読んだ。それまでバラバラだった場が、急に一つになって流れていくのを感じた。それこそが、私が育ってきたあのワークショップの場の匂い。東北各地で、三鷹しゃべりばでいつも流れていたあの深いうねり・・・、気がつけばいつのまにかみんな、溢れる自分の想いをそれぞれの言葉で語っていた。なかなか言葉にならなくて・・・とつまりながら話す方の想いさえ、言葉以上に伝わってくる。
 N子さん、あえて流れを変えることさえも自由、それでも人の役にたつことを、この日の私は学びましたよ。本当に自分のやりたいことは、人に通じるものなのでしょう、きっと・・・。
沈黙ウンヌは確かN子さんから出た言葉、そこは深く静かな居場所です。

第11回横手しゃべりばは、6月中旬を予定。決まり次第掲載いたします。
次回もたくさんの皆さまのご参加をお待ちしております。


第9回横手しゃべりばによせて

2015年12月13日 16時10分06秒 | 横手しゃべりばによせて
 それはNPOから始まった。NPOっていったい何?って、誰かが訊ねたと思う。
みんなそれぞれに自分が言葉にできる限りのNPOのイメージを、あるいは解釈を口にした。正解などは要らない。いや、あってもいいけど、この時は必要なかった。放った言葉を通して、お互いどんな人かなって感じあうことを大事にしていた、みたいだった。
 そんなやりとりの中、初参加のAちゃんの言葉が、思いが響きすぎて、おったまげた。私自身、4日前に初めて会ったAちゃん、他の参加者とはもちろん初対面の彼女。にもかかわらず、ご自分の体験に基づく言葉が、直球が、次から次へと放たれた。この(言葉の)シャワーはとても気持ちがいい!!シャワーに洗われて、誰もが裸に成っていく。こんなことを話して、人にどう思われるだろうという垣根が、みるみる、なくなってゆくのがわかった。
 ご自由にどうぞ!とは言ってみたものの、ここまで自由に動く方に初めて会ったような気がする。そうこうしているうちに、もう一人の初参加の I さんが、ご自分を語りだした。うまく話せないと何度も言いながら、しっかり伝わってくる彼女の気持ち。今まで溜めていたに違いない溢れる想いに、皆の気持ちがひとつとなった。
かなり、かなり久しぶりに味わったんじゃないかな~。場の空気が一体となって、一人ひとりをつき動かしていた。勇気とかそういうこととは、たぶん違う。誰もが自然にいつのまにか、気がついたら口にしていた、そんな空気だった。

 初参加のAちゃん、ありがとう、無為自然?を堪能しましたよ。もうひとりの初参加 Ⅰさんもありがとう、想いをここにド~ンと、いや小さなわが胸にストンと落ちました。そして I さんの想いを聴けずに帰ってしまったKさん、とっても残念、無念!おそらくこの日参加していた誰もがみな、あなたもこの席にいたらなあと思ったはず。
それからいつものように盛岡から参加のN子さん、Aちゃんへの多大なる刺激をありがとう、教えすぎかなとも思いましたが、これはもうN子さんの個性、どうぞご自由に!
そして最後にMさん、どんどんどっしり(失礼)してきて、今じゃ主のような存在、それでいて誰よりもピュアな方。
今回の私は何もしないで楽しむだけで、終わりました。素晴らしい1日でしたよ。また今度、お会いしましょう。

 次回「横手しゃべりば」は、3月中旬の土曜日を予定しております。
それじゃ皆さま来年まで、再見!

第8回横手しゃべりばによせて

2015年09月14日 16時09分35秒 | 横手しゃべりばによせて
 私を入れて9人の参加者が集まった。20代の若者から80歳(自称)の元若者までが出席して、大いに盛り上がった。
こうしてPCに向かい、はて?どんなテーマで盛り上がったんだっけと考えたところで、まったく思いだせないけれど、一人ひとりが、その人のところで自由にしてたなあって、光景だけが思い浮かぶ。
元若者の大胆な発言が起爆剤となって、皆が、それなりに楽しんでいる姿が目についた。
彼女からの質問、いきなり 「んで、彼女はいるの~?」 に対してでさえも、怒るわけでも怯むわけでもなく、何かしら応じているバリバリの若者、
初参加のせいか、それまで緊張して座っていたように見えた彼だったが、この質問で一気にほころび、いつのまにか輪に入っていた。
そういえばこういう質問はダメだとか、こういう言い方は失礼だとか、そんなルールなどまったくない場だったな。自分が(本当に)訊きたいことがあったら、言葉にしてもいいんだと、彼女の行動から思えた私。
向けられた方が応じるかどうかなどは、その人しだいだものね。
もし応じてくれたなら、応え(こたえ)から彼を感じとれるし、応じなかったとしても、応じないことでも彼を感じられる。言葉にはならなかった時は、案外、それ以上に態度に出ていたりもする。そんなやりとりがけっこうおもしろい。
放った問いのその先は、ただ相手にお任せするのみ。
 今まで、カウンセラーは質問はしちゃダメと、どこかで決めていた私。”さぼるか~い”で鍛えられたのかもしれない(苦笑)。

 話題が二転三転して、文部省、今なら文科省あたりかな、の悪口?もあったりしたけど、それだって話し手の意気揚々さが感じられて、聴いてる私がワクワクした♪。
80歳おそるべし、負けるな若者たち・・・。また次回もしゃべりに参加してね。
もちろんそれ以外の方々や、新しい方の参加もお待ちしてますよ~。
まだはっきりしないけど、次回は、12月初めあたりに開催しようと思っています。

 最後に、朝早く、他県から新幹線や車で駈けつけてくれた仲間たちに感謝いたします。
さらに最後、今回参加はできなかったけれど、いつも暖かく見守ってくれている仲間たちにも感謝です。

みんな、ありがとうねぇ。。。

第7回横手しゃべりばによせて

2015年06月28日 20時00分52秒 | 横手しゃべりばによせて
 こんなことを言ったら誰にどう思われるかな?などという、そんな気持ちなど微塵もなく、ただ、ただ、自分たちの興味のあることだけを延々と話し続けて夕方になった、そんな午後だった。
カウンセリングと呼べばカウンセリングだし、お茶会と呼べばお茶会だし、とてもリラックスしてお気楽な時間が流れていきました。

 少なくともこの日の私は、自分の好きなことだけ話していたかったんだろうなあ!
要は癒されたかったんだろうなあって思う。
そう、今ならわかるのです。

第6回横手しゃべりばによせて

2015年03月25日 21時36分45秒 | 横手しゃべりばによせて
 久しぶりのY2プラザ、私を含めて5人の方が集まりました。お二人が初参加だったので、少しだけ説明を入れました。この会は4時50分に終了すること、間に1回の休憩を入れること、終了前に帰るのもお手洗い等の中座も、まったく自由なこと・・・。
ところがところが誰ひとり途中で帰る人はなく、長いグループカウンセリング経験でおそらく初めてのこと、休憩もなかったのです。
私が休憩を入れるのを忘れるほどに場が熱くなったわけではなく、かといって会話が途切れたわけでもなく、(少しだけ沈黙はあったのかな)水が流れるように場が流れていって、休憩を入れる必要を感じなかったからです。
お手洗いに行く方は、ちゃあんと勝手?に行ったようだし、お茶を飲みたい方は好きに飲んでいたような・・・そんな感じ。
初参加のお二人がいらしたにもかかわらず、私のこの安心感はいったいなんだったのでしょうか。場に委ねるだけ委ねて、私が一番自由にしていたような・・・そんな感じ。
 
 毎回ご参加のNさんの、伝えたい、教えたいオーラは、今回もとても心地良かったなあ。
いつもなら、「もう~教えないでくださいよ~」とチャチャを入れるところが、今回はなぜか私も一緒になって教えていた。私って教えたい人なんだなあって、そんな自分を感じていた。そしてNさんが云ったある一言に、ごもっとも~!って、深くうなずく場面がありました。
「・・・私は2年ほどうつうつと病んでいたんだけど、ある日ふと、もう~時間がない!」って。その気づきから先はやりたいことをやり、行きたいところに行っていると楽しそうに話してくれました。
Nさんは御年80歳。どこへでもお一人で行けるのはもちろん、PCはおろか海外とのやりとりにスカイプなんぞを使いこなす、スーパーおば様です。
「年をとるのはいいことよ~、悦子さん」って、よく言われます。
私はまだまだそんな境地に達するには時間がかかるし、一生無理な気もしますが、彼女の言葉に勇気をもらっているのは確かです。

 他の方々もぜひとも紹介したいのですが、今回のスポットライトはNさんに充ててみました。でもこれだけは言わせてくださいね。また機会があったらこの5人でワークショップをやってみたい!そんな気にさせてくれた、あっという間の3時間20分でした。
ではまた次回しゃべりばまで、皆様ごきげんよう~。

第5回横手しゃべりばによせて

2014年10月13日 15時25分07秒 | 横手しゃべりばによせて
 山形からいらした82歳の師、目の前に座っているその現実がありがたくて。
いつのものように盛岡から参加される80歳?の友、私は必ず出るからねと言い切るそのキップの良さ。
いくら横手出身とはいえ、毎度、仙台から駆けつけてくれる、一学年の友人、私の就職が決まったとき誰よりも喜んでくれた人。
実家は東京?今は横手からの参加者、素直な言動に誰もが関わらずにはいられない、唯一無二の存在。
そしてやっとやっと参加してくれた幼なじみ、私のやりたいことをいつだって無条件で応援してくれる人。

今回のしゃべりばは、こんな気心しれた友人たちに囲まれて、是も否もないどころか是も否もある中で行われました(笑)。

「私はいつだって、一生懸命に仕事をしてきた。でも今は、適当に仕事をしている。それでも、仕事に行けばお金も情報をもらえるし、多少の刺激にもなるので・・・」ご本人の言い方とはかなり違うとは思いますが、私に今残っているのは、こんな感じのFさんの言葉です。
そのあと確か、「本人がそれでOKにさえなっていたら、別段、一生懸命に仕事をしなくともいいのでは」と私が言ったように思います。
 この言葉はその時はFさんに向けて言ったのですが、実は私に向けて言ったように思えてきました。
23歳から仕事に付き、4、5回転じながら30年以上は働いてきましたが、今の職場ほどルーズというか、気合いが入らないというか、なかなかぴったりの言葉が思い浮かばなくて困るのですが、仲良しこよし風の、のんびりした職場は初めてです。
だからといって人のお役にたっていないかというと、そんなこともなく、そこそこ感謝の言葉もきいたりします。
 確かに物足りないといえば物足りないのですが、50代後半の私の体力には叶った職場ではないでしょうか。
カウンセリングを活かしての仕事のつもりでしたが、カウンセリングは先走ってはいないけど、活かせてないかといえば、そこそこ役に立ってはいることだけはわかる。仕事をしてお金を頂いて、こんなにもせっぱつまっていない抜け感って、ある意味、凄いです。
どんなに長い間、緊張と刺激と言い争いと、充実感の中で仕事をしてきたことでしょう。
先のことはまったくわからないけれど、今はこの中で皆と仲良くやりながら、利用者の役に立てる“職員さん”をやっていきます。

 Fさんもガンバレ~

第1回横手しゃべりばに参加して

2014年09月18日 20時11分27秒 | 横手しゃべりばによせて
 遅くなりましたが、第1回参加者の方からの感想が届きました。
ただ、ただ無性に嬉しかったのです。

2013年11月


 横手しゃべり場の案内が届いた。横手に戻った悦子さんからの1年ぶりの連絡である。どうしているかな・・・と気にはなっていたが、そのうち動き出すはずだからそれまで待っていよう・・・とこちらから一度も連絡は入れなかった。案内が届いた時はうれしくて、「待ってました!」とばかりにその日のうちに参加の意向を伝えるはがきを出した。その気持ちは母も同じだったようで、次の日には母から「一人では行けないので連れてって!」との依頼が舞い込んだ。リュウマチを抱えた母の身体を気遣い一応「大丈夫?」と声をかけたけど、母からは想像通り「大丈夫」との答えが返ってきた。

 早速行く準備が始まった。当日母の体調によってはドタキャンになるかも・・・という思いを抱えながら、ホテルの手配、切符の手配をした。ところが私の心配は稀有に終わり、無事当日を迎えたのである。恐るべし母の精神力。人が動くのは気持ちというものによるものが大きいのだ、と改めて感じた。
 
 あきたこまちから観る晩秋の景色は格別だった。特に感動したのは、川の水面の美しさ。ひかりに照らされキラキラ輝いている。「わーきれい、すごいよ、みてみて!」と語彙の足りない私は、陳腐な言葉を並べ立てた。母とは数年前まで、毎年一緒にワークショップに参加していたが、ここ数年間は母の体調もあり、ずーっとご無沙汰だった。だから、母との旅は本当に久しぶりだった。初めて乗るあきたこまち、山並みの美しさ、悦子さんに会える楽しみで、母も私もワクワクしながら旅を満喫していた。
 横手駅で悦子さんと再会。その後会場にあるレストランで昼食。お店の人から、かぼちゃの煮物を振る舞って頂くなど、温かいおもてなしを受け、心もお腹も満たされ会場に入った。
参加者は8名。初対面にも関わらず、どの方も初めてという感じがしない。時間の経過と共に、その思いは強まっていく。「悦子さんの呼びかけに気持ちが動いてここに来た人たち」という共通項がここにはあるのだ。そのことが私を居心地よくさせている。参加者の力の抜け加減も気持ちいい。りっぱなことを言おうとか、難しいことを話そうとか、そんな気負いはみられない。横手のおいしい食べ物の話、横手出身の芸能人の話、近郊の名所など、次々と話は飛んでいく。
そんな中、コンプレックスの話がでた時に参加者の一人が「お笑い芸人はすごい、自分のコンプレックスを笑いに変えている。自分で受け入れなければ出来ないことだ」と言葉を発した。そこを世話人はとらえた。その後話は深まっていく。「私の娘がコンプレックスを持っていて、私がなんと言おうと自分で思い込んでいるからだめなの」と、彼女の口から心の奥にある思いが話された。「そうか・・・娘さんのことを思って、その言葉が出たのか・・・」。言葉の奥にあるその人の思い、その思いに接すると、その人がぐっと身近な存在となってくる。

 これだから、やめられない。この瞬間を味わいたくて続けてきた。私のやりたいことはこれだ。うまく説明できないけど、きっと世話人も同じだろう・・・(と勝手に推測している)。
悦子さんから「We were O.K」のシャワーを浴び、私たちは元気に帰ってきた。母との旅は私にとって心温まる素晴らしい思い出となった。母の温かさ、母のすごさを感じ、それを感じることの出来る自分っていいな、と思えた二日間だった。
そんな素敵な機会を与えてくれた悦子さんに感謝の気持ちで一杯だ。かっこいい言葉で締めくくりたいけど、この言葉しか出てこない。
悦子さん、ありがとう!

第4回横手しゃべりばによせて

2014年07月11日 06時27分36秒 | 横手しゃべりばによせて
 長い間、(カウンセリングに関わるようになってからは、当たり前のように)こうでなきゃいけないことなんて、たいしてないんだなあって思って生きてきました。そして横手に住んで1年半、体験を通して、この地ではこうした方が生きやすいんだなあと思うことが、少しずつ増えてきました。
 今回の“しゃべりば”は、宮城県からご出席の方が3人、盛岡市からの方がおひとり、横手からは私を入れて2人、計6人で、なんとな~く同窓会のような、ゆったりとした感じからスタートしました。
 ある方がご自分の“今”を語って、それに対して皆が関わっていきました。無理やり自分の側に話をもっていくわけでもなく、何を誰が語っても、中心にはその方の“今”が据えられていたのが、聴いていて気持ち良かったです。あるいは話し手の、紛れもないその方しか知り得ない、貴重な“体験”から語られていたのも心地よかったです。
 こういう中でなら、人は誰でも自分を解放したくなるんだろうなあって、改めて思いました。ここでなら、自分を語っても大丈夫という安心感、“三鷹しゃべりば”では当たり前のようにできあがっていたあの安心感、空気感、それを久しぶりに感じていました。
安心を感じる場、それは決して私一人では作り出すことはできないでしょう。でもおそらくは、一人から始めるしかないのでしょう。
そういうヒントを頂いた今回の“しゃべりば”でした。

 やっと口にできたであろう人の悪口や中傷、そしてどうしようもない、どうにもできない切実な悩み、もちろん時には他者への称賛も含め・・・、かつて何百人もの方たちの話に耳を傾け、きこえてくるのは、その人の存在をかけた叫びだったことを、思い出しました。
 私は、私を持ちだします。
 学んできたいわゆる聴くモード、受け入れようとする姿勢にこだわるよりは、まずは私から、今の自分をとことん語っていかないと。出していかないと。
おとなしくなんかしていられない!!

第3回横手しゃばりばによせて

2014年04月19日 22時13分22秒 | 横手しゃべりばによせて
 しゃべりばが終わってちょうど1週間になりました。やっと、平常心を取り戻しました。
参加者Kさんにはなんて表現していいのか、(あえて正直に言うなら)ほどほど、困り果てていました。終わって2、3日、自分自身のやる気がうせて、動くことができなかった、一応、体だけは動いてはいましたが。
友田先生ならこういう時はどうするんだろう、鈴木先生なら、この方とどう向き合うんだろうと、私には初めての経験だったので、そんな想像ばかりをして過ごしました。
と言うますのも、しゃべりばを始めて13年になりますが、私は、あのKさんのような参加者には、今まで一度もお目にかかったことがなかったからです。まっ、いつだって初参加の方には、初めてお目にかかる人でしょうという屁理屈はあるのですが、理屈だけをとるなら、彼女はその世界を、ぽ~んと軽く超えてきました。
もし私が主催者側でもなんでもなく、単に一人の参加者だとしたら、間違いなく席を立ってその場を離れていたことでしょう。現に、しゃべりばが終わったときには、私とKさん、それに当日、横手市内に宿泊予定だったNさん以外には皆、姿を消していました。もちろん、用事があって席を立たれた方もいらしたでしょうが、それでもです。
グループカウンセリングと銘打ってはいるものの、その限界を見たというか、ここって、単におばさまのはけ口の場だったけ、というか、この横手市でカウンセリングをやってゆくことの難しさを突き付けられたというか、一番は私自身の未熟さなんでしょうが、厳しく対処できなかった自分に凹んで、うんざりしていました。

 そして1週間たった今日、もうKさんのことでは悩まなくなりました。それは、Kさんが特別でもなんでもなく、この町にいらっしゃる多くのおばさまたちは、多かれ少なからKさんの一部だと気がついたからです。東京で11年間、やり続けたからこそ育っていった、成熟した参加者に囲まれてのグループカウンセリング、慣れ親しんだ、その動きだけで通用すると思い込んでいた、私の方が間違っていたのです。
違う意味で、たとえ誰一人、席を立っていなくなったとしても、世話人として、しっかり言うべきことは言う、話さないことは、決して話さない、その姿勢を私がなくしていたことに気がつきました。Kさんが一人、延々と話す中でさえも、Fさんという方は、なんのブレもなく座って、静かに自分を語っていましたから。
あまりにも波風立たせないことを良しとするような、田舎独特の空気に、しっかり染まっている自分に気づきました。お友達カウンセリング、温泉カウンセリングはいらないのです。厳しく対処さえもいらないのです。申し訳のように、自分自身の未熟さでしょうがと付け加えたことだけが、今まさにその通りだったと、改めて気づかされました。
常に自分の心に向き合わずして、何がカウンセリングでしょうか。
いつだって気がついたらまた0からのスタート、すべてはここからなのでしょう。

今はKさんに感謝です。

第2回横手しゃべりばによせて

2014年02月06日 21時20分23秒 | 横手しゃべりばによせて
 前日までの、こんな猛吹雪なら家から一歩も出たくはないわ!と誰もが思うような横殴りの雪も止んで、暖かな、どちらかというと大寒にしては穏やかな曇り空の下、「第2回横手しゃべりば」は行われました。ほっ・・^_^; 
一応、副題にしましたーー私が感じたところで言葉にーーはどこかに行ってしまったような、行かないような中で話題にあがったのは、「人はなんのために生きるのか?」だったと思います。若干、言葉にすると違う気もしますが、まっ、このようなニュアンスでした(笑)。
んで、私が言いたいことを書きますと、この「人は何のために生きるのか?」には応えることはできませんが、「私はなんのために生きるのか?」なら応えようがあるし、主語を私にして話したいと思います。
 のっけから、何固いことをと思う方もいらっしゃるでしょうが、けっこう和気あいあいの中で、皆様、私はなんのために生きるのかを語っていましたよ♪。

 ちと恥ずかしさもありますが、改めて私・高橋悦子が、何のために生きるのかを語っちゃいますと、「・・・経験するために、経験することで、この体と心を感動させたくて生きています」になるのかな?もっと具体的に言うなら、どんなことであれ、ワクワク体験をしたくて生きていますになるのかな、具体的にと言ったところで、同じようになってしまったので、自分の具体を書いてみま~す。

 明日から始まるソチオリンピック観戦も、私にはワクワク体験のひとつなら、今、一番夢中でやっている卓球もそのひとつ。そして卓球でいうなら、下手なら下手なりに昨日までできなかったことが、今日になって初めてできたときの感動はひとしお。ワクワク体験絶頂の瞬間です。
単純なことでいうなら、毎日作っている夕食だって、ワクワク体験のひとつかも。この野菜とこのお肉にこの調味料、本には書いてなかったけど、七味を入れてみたらどうかしら・・・。結果として、まずかろうが美味かろうが作っている時間が楽しいし、どんな料理ができあがるのかまたワクワク。もちろん、おいしかったら言うことなし!
 そして予定では、この31年ぶりの田舎暮らしもワクワク体験のはずだったけど、こちらはワクワク体験というよりはため息体験の連続で(ーー;。、もしかしたらこの引越しは失敗だったかも~っとこの冬は思っています。とはいえ、春になればまたうきうきし始めて、え~!!そんなこと言ったけえ~の私を去年は体験したような、しないような。。。こんなふうにいい加減に、その時その時を生きている私です。

 すべてはこの身、この体、この心を通して経験したことを、感じたい!楽しいことはもちろん、イヤなことも含めて、いえいえ、できたらイヤなことは少しであって欲しいけど、そうもいかないんだろうなあ、きっと。

 いつものように、くどく長くなりました。
 人は、あんなふうに語っていたけど、私ならどう感じるかを自分に経験させたくて生きています。その上で、やっぱりワクワクしたいのです。
 皆様はいかがでしょうか?
「私はなんのために生きるのか?」誰が言いだしたのかは忘れましたが、おかげでしっかり自分に向き合える時間を過ごすことができました。
 今回も、また遠く盛岡からもご出席頂きましてありがとう!ほとんどが、今回初めての方たちでしたが、最初のドアを開けた感じはいかがでしたか?二度目はきっと、最初よりは楽に開くのではないでしょうか。
 
 次回「横手しゃべりば」は、4月12(土)を予定しております。ちゃんと決まりましたら、またお誘い文を載せますのでぜひいらして下さいませ。たくさんのご参加をお待ちしております。