青を楽しむ季節である。
それは、豊穣の季節の予感である。
例えば、青柿。
例えば、青葡萄。
季節は、万緑。
新緑の頃は、緑を重ねても、なお重ねても緑であった。
だがしかし、万緑は緑を重ねて行けば「漆黒の闇」となる。
今、青の季節なのである。
青葡萄である。
豊穣が約束されているかのように、豊かに垂れ下がっている。
青の季節。
そう言えば、青の時代という言い方があった。
画家パブロ・ピカソの、1901年~1904年の作風の通称である。
ピカソは今でも、曰く不可解である。
だがしかし、ゲルニカだけは分かる。
いま、ぼくの後ろのCDプレイヤーからは、シベリウスの「フィンラディア」が流れている。
もう終章。
ティンパニーが激しく打たれている。
かつて、国民性を高揚させるとして、演奏禁止となった曲である。
「フィンランディア」が作曲された1899年当時の時代背景は、フィンランド大公国は帝政ロシアの圧政に苦しめられており、独立運動が起こっていたのである。
シベリウスが作曲した当初の曲名は「フィンランドは目覚める」(Suomi herää)であった。
従って、フィンランドへの愛国心を沸き起こすとして帝政ロシア政府がこの曲を演奏禁止処分にしたのであった。
豊穣は、平和の時代だからこそ約束される。
青葡萄の豊穣が待ち遠しい。
「この風の連れ来る雨や青葡萄」
次いで青柿である。
「風に揺れ雨に濡れたる青き柿」
柿は知らず知らずのうちに大きくなっていく。
ついこの間、花が咲いていて、ついこの間、小さな実生が着いていたものだった。
季節は不思議な生き物である。
荒 野人
それは、豊穣の季節の予感である。
例えば、青柿。
例えば、青葡萄。
季節は、万緑。
新緑の頃は、緑を重ねても、なお重ねても緑であった。
だがしかし、万緑は緑を重ねて行けば「漆黒の闇」となる。
今、青の季節なのである。
青葡萄である。
豊穣が約束されているかのように、豊かに垂れ下がっている。
青の季節。
そう言えば、青の時代という言い方があった。
画家パブロ・ピカソの、1901年~1904年の作風の通称である。
ピカソは今でも、曰く不可解である。
だがしかし、ゲルニカだけは分かる。
いま、ぼくの後ろのCDプレイヤーからは、シベリウスの「フィンラディア」が流れている。
もう終章。
ティンパニーが激しく打たれている。
かつて、国民性を高揚させるとして、演奏禁止となった曲である。
「フィンランディア」が作曲された1899年当時の時代背景は、フィンランド大公国は帝政ロシアの圧政に苦しめられており、独立運動が起こっていたのである。
シベリウスが作曲した当初の曲名は「フィンランドは目覚める」(Suomi herää)であった。
従って、フィンランドへの愛国心を沸き起こすとして帝政ロシア政府がこの曲を演奏禁止処分にしたのであった。
豊穣は、平和の時代だからこそ約束される。
青葡萄の豊穣が待ち遠しい。
「この風の連れ来る雨や青葡萄」
次いで青柿である。
「風に揺れ雨に濡れたる青き柿」
柿は知らず知らずのうちに大きくなっていく。
ついこの間、花が咲いていて、ついこの間、小さな実生が着いていたものだった。
季節は不思議な生き物である。
荒 野人