エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

交響詩《ドン・キホーテ》はやはり良い!

2015年05月12日 | ポエム
交響詩ドン・キホーテに改めて感動した。
初夏の一日、音楽会に出かけたのである。

演目は・・・。
「シューマン:交響曲第2番ハ長調 作品61」
「リヒャルト:シュトラウス:交響詩ドン・キホーテ 作品35」



指揮は、山下一史。
チェロは、林峰男。
ヴイオラは、佐々木亮。

チェロは、ドン・キホーテであり、チェロはサンチェ・パンセを表現する。
この日、優れてドン・キホーテの演奏は優れていたのであった。

ぼくは不覚にも、キホーテの最終章で林峰男の演奏に引き込まれ落涙した。
ドン・キホーテが死を前にして正気に戻り、チェロの最後のグリッサンドとともに静かに死の旅に出るのである。
その演奏に落涙したのであった。

林峰男の演奏は、実に静謐を現した。
佐々木亮の演奏も又、サンチェの個性を引き立たせたのであった。
かてて加えて、パーカッションの見事さと管楽器のつややかな音である。

交響詩を構成する、あらゆる要素を艶やかに描ききった。



マエストロは、かのカラヤンの最後のアシスタントであった。
指揮の姿はカラヤンを彷彿とさせる。

あのカラヤンの、肩の幅で指揮する姿。
手首から指先までの柔らかさ。
その先の指揮棒が命を与えられる。



実に堂々とした後姿である。
肩甲骨の張った肩。
背筋の筋肉の見事なまでの、形良さ。
上半身はそれほど振らず。肩と手首から先で示される曲想。



若き日のカラヤンである。

林峰男のドン・キホーテを探したけれど無かった。
今日はウイーン・フィル。
指揮はカラヤン。
チェロはロストロボーヴィチで聴いて頂きたい。



交響詩《ドン・キホーテ》(R.シュトラウス)





見事な演奏である。



晴れた日のスカイツリーは、聳えたっている。
演奏会の前には、エントランススペースで、ウエルカム演奏があった。



盲導犬も、静かに聞いている。見事なトロンボーンであった。







「キホーテの正気に戻る夏の午後」







前に書いたけれど、ドン・キホーテは死を前にして正気に戻る。
キホーテが正気に戻り死の旅に出る・・・その感動は優れて人を揺さぶる。
シュトラウスの感性の永遠の輝きが込められている曲、であるのだ。

楽しい、充実した一日であった。



      荒 野人


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