ふらここ、ブランコである。
春暖の日、子どもも大人もぶらんこで揺れるのは気持ちが良いものである。
黒沢明監督の映画「生きる」では、志村僑が雪の降りしきる公園でぶらんこに揺られながら゛命短き、恋せよ乙女゛と「ゴンドラの歌」を歌うシーンがある。
ぶらんこは楽しい時も辛い時も、そしてまた耐え難い悲しみも詩情豊かに表現してくれるのである。
スポット・パークにもブランコは設置してあるところが多い。
志村僑が歌うゴンドラの歌は、演じる志村が見事にまでその心象風景を表現している。
やるせなさ、せつなさ、しかし成就した喜び・・・それは生を全うしたと言う意味と、人としてやるべきことをし、かつ生きた証を残した充足感である。
誰かが置き忘れたのだろう、サッカー・ボールが一つ。
つい今しがたまで、子どもの足元で転がり続けたのだろう泥で汚れていた。
一方これは、雨の日のまた違う近所の公園のブランコである。
ジャングルジムがセットなのであろう。
ペンキの色合いまでが相似しているのである。
ぶらんこの微動だにせず雨の中 野 人
ふらここや揺れる一つに風の精 野 人
とまれ、町中の公園である。
これはこれで宜しい。
マンションの窓や、道路を歩く人の目がキチンと監視しているからである。
さて、東京と言ってもそこかしこに春の息吹が見え始めた。
サンシュユの花である。
開ききってはいないけれど、黄色いコケティッシュな花が連なっている。
まるで、棘の集合体のように枝に着いている。
春を感じる花卉である。
サンシュユの刷毛で描くよな強さかな 野 人
サンシュユ・・・古来から漢方の生材であった。
滋養強壮に効ありとされているのである。
さて・・・今日は朝から雨が降っている。
終日降り続くと言うのである。
明け方、そう五時くらいであろうか、もう雨が降っていた。
ふっと浮かんだ俳句。
今日も又暗き空より菜種梅雨 野 人
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荒 野人
春暖の日、子どもも大人もぶらんこで揺れるのは気持ちが良いものである。
黒沢明監督の映画「生きる」では、志村僑が雪の降りしきる公園でぶらんこに揺られながら゛命短き、恋せよ乙女゛と「ゴンドラの歌」を歌うシーンがある。
ぶらんこは楽しい時も辛い時も、そしてまた耐え難い悲しみも詩情豊かに表現してくれるのである。
スポット・パークにもブランコは設置してあるところが多い。
志村僑が歌うゴンドラの歌は、演じる志村が見事にまでその心象風景を表現している。
やるせなさ、せつなさ、しかし成就した喜び・・・それは生を全うしたと言う意味と、人としてやるべきことをし、かつ生きた証を残した充足感である。
誰かが置き忘れたのだろう、サッカー・ボールが一つ。
つい今しがたまで、子どもの足元で転がり続けたのだろう泥で汚れていた。
一方これは、雨の日のまた違う近所の公園のブランコである。
ジャングルジムがセットなのであろう。
ペンキの色合いまでが相似しているのである。
ぶらんこの微動だにせず雨の中 野 人
ふらここや揺れる一つに風の精 野 人
とまれ、町中の公園である。
これはこれで宜しい。
マンションの窓や、道路を歩く人の目がキチンと監視しているからである。
さて、東京と言ってもそこかしこに春の息吹が見え始めた。
サンシュユの花である。
開ききってはいないけれど、黄色いコケティッシュな花が連なっている。
まるで、棘の集合体のように枝に着いている。
春を感じる花卉である。
サンシュユの刷毛で描くよな強さかな 野 人
サンシュユ・・・古来から漢方の生材であった。
滋養強壮に効ありとされているのである。
さて・・・今日は朝から雨が降っている。
終日降り続くと言うのである。
明け方、そう五時くらいであろうか、もう雨が降っていた。
ふっと浮かんだ俳句。
今日も又暗き空より菜種梅雨 野 人
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荒 野人
恋せよ乙女
わたしゃ造るぞ
子供たちの
公園を
「生きる」はいい映画でしたね。
良い映画でした
あのシーンを思いだすと
今でも胸が
キュンとします