昨日は立秋であった。
しかし・・・秋風は立たなかった。
むしろ酷暑が戻ってきた。
暦の上では、今日からは「残暑」なのであるけれど「猛暑の只中にぼくたちは入った」のである。
昨日も、熱帯であるかのようにスコール(マスコミはゲリラ豪雨という)があった。
雨の後、涼しくならないし、むしろ蒸し暑くなった。
夏の雲はあくまでも天を覆った。
雲にさえ、目があって下界の苦しみを覗いているのである。
セミがアスファルトに落ち、ジタバタしている。
焼け落ちてしまったかのようにジタバタとする。
名実ともに立秋であってほしい。
さて、今日は「ナガサキの日」である。
あの日から66年目の夏である。
プルトニューム型爆弾の投下は、1945年(昭和20年)8月9日、午前11時02分である。
この場所は浦上天主堂付近である。
この原爆によって、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約14万9千人が死没、建物は約36%が全焼または全半壊した。
毎年、経巡(へめぐ)ってくるこの日である。
ぼくはいつものように午前11時02分に黙祷を捧げるのである。
長崎の鐘である。
「こよなく晴れた青空」をいつまでも仰ぎたいものである。
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荒野人
しかし・・・秋風は立たなかった。
むしろ酷暑が戻ってきた。
暦の上では、今日からは「残暑」なのであるけれど「猛暑の只中にぼくたちは入った」のである。
昨日も、熱帯であるかのようにスコール(マスコミはゲリラ豪雨という)があった。
雨の後、涼しくならないし、むしろ蒸し暑くなった。
夏の雲はあくまでも天を覆った。
雲にさえ、目があって下界の苦しみを覗いているのである。
セミがアスファルトに落ち、ジタバタしている。
焼け落ちてしまったかのようにジタバタとする。
名実ともに立秋であってほしい。
さて、今日は「ナガサキの日」である。
あの日から66年目の夏である。
プルトニューム型爆弾の投下は、1945年(昭和20年)8月9日、午前11時02分である。
この場所は浦上天主堂付近である。
この原爆によって、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約14万9千人が死没、建物は約36%が全焼または全半壊した。
毎年、経巡(へめぐ)ってくるこの日である。
ぼくはいつものように午前11時02分に黙祷を捧げるのである。
長崎の鐘である。
「こよなく晴れた青空」をいつまでも仰ぎたいものである。
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