今日の午後、吉岡孝悦さんのコンサートへ出かけたのである。
彼の「ニュー・イヤー・コンサート」は今年で21回目である。

場所は上野・東京文化会館小ホールである。

パンフレットの表紙である。
マリンバは、トレモロの技術が抜群でなければならない。
聴いていて心地よく響いてくる。

これがマリンバである。
音に切れがあり、リズミカルに音がたたみこんでくるのである。

これが今日のプログラムである。
1部は、絵画とのコラボ、焼き物とのコラボであった。
バックのスクリーンに作品が映し出され、そのイマージュに合わせて吉岡さんが作曲した音楽がオーバーラップして行き、一つの世界を作り出していくのである。
少しばかり、音の緊張感に欠け、聴く側の神経が弛緩(しかん)してしまっていた。
ぼくは眠くなった。
哲学的あるいは思索的に過ぎたきらいは否めないのである。
芸術家の自己満足的気配があった。
しかし二部は、蘇るように音が躍動し聴き応えがあった。
したがって一部と二部で「行って来い」であろうか。
コンサートの最後に、吉岡さんが「21回でこのコンサートは終わりです」と告げた。
芸術では飯が食えない!と言うのだ。
そうだと思う。
民主党の年末の「予算の有効活用」を目指した「仕分け作業」による予算カットはこうした分野にまで影響が及んでいるのである。
いままで続いてきたコンサートが途切れる無念が伝わってきて、ぼくは思わず落涙してしまった。
民主党に責任があるわけではない。
ある訳ではないけれど、芸術分野への助成はカットしないで欲しい!としみじみ思ったのである。

過去20回のパンフレットである。
このコンサートが、どれほど多くの人々の感性を刺激し、心豊かにしたのだろうか!と思う。
けっしてお金では購(あがな)えないのである。
景気の回復を願うばかりである。

コンサートの帰り、上野のお山に黄昏が迫っていた。
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荒野人
彼の「ニュー・イヤー・コンサート」は今年で21回目である。

場所は上野・東京文化会館小ホールである。

パンフレットの表紙である。
マリンバは、トレモロの技術が抜群でなければならない。
聴いていて心地よく響いてくる。

これがマリンバである。
音に切れがあり、リズミカルに音がたたみこんでくるのである。

これが今日のプログラムである。
1部は、絵画とのコラボ、焼き物とのコラボであった。
バックのスクリーンに作品が映し出され、そのイマージュに合わせて吉岡さんが作曲した音楽がオーバーラップして行き、一つの世界を作り出していくのである。
少しばかり、音の緊張感に欠け、聴く側の神経が弛緩(しかん)してしまっていた。
ぼくは眠くなった。
哲学的あるいは思索的に過ぎたきらいは否めないのである。
芸術家の自己満足的気配があった。
しかし二部は、蘇るように音が躍動し聴き応えがあった。
したがって一部と二部で「行って来い」であろうか。
コンサートの最後に、吉岡さんが「21回でこのコンサートは終わりです」と告げた。
芸術では飯が食えない!と言うのだ。
そうだと思う。
民主党の年末の「予算の有効活用」を目指した「仕分け作業」による予算カットはこうした分野にまで影響が及んでいるのである。
いままで続いてきたコンサートが途切れる無念が伝わってきて、ぼくは思わず落涙してしまった。
民主党に責任があるわけではない。
ある訳ではないけれど、芸術分野への助成はカットしないで欲しい!としみじみ思ったのである。

過去20回のパンフレットである。
このコンサートが、どれほど多くの人々の感性を刺激し、心豊かにしたのだろうか!と思う。
けっしてお金では購(あがな)えないのである。
景気の回復を願うばかりである。

コンサートの帰り、上野のお山に黄昏が迫っていた。

荒野人