エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

ある夕景・・・記憶の彼方

2010年01月29日 | 日記
ある夕景である。
この空は、東京の空ではないのである。
空気が清浄なのか美しい夕景が広がっているのだ。




         ある夕景


      美しく澄んだ大気を
      胸いっぱいに吸い込んで
      あなたは
      どこへ翔けていくというのだ

      タッタッタッと
      あなたの足音の波動がぼくの鼓膜を叩く

      この夕景は
      叙情でなく
      実情であるのだ

      ぼくは
      あなたを追いかけて
      茜色の彼方へと
      駆け抜けていく

      ぼくの足は
      腫れ上がり
      いたいけな涙を
      流すに違いないのだ

      あなたは
      ぼくの涙を
      拭って言うに違いない

      夕景に
      捧げよ
      と
      全身全霊を賭けて
      翔けつづけよ
      と

      そこに
      甘美なうなじが待っているから
      と





夕景に家々のシルエットはより美しく変身するのである。



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江南の春~水郷を行く

2010年01月29日 | 旅行
前回、江南のメージから南京にこだわってしまった。
杭の杭州は、美しい田園地帯が広がっている。
「美麗的地方」である。



水郷の古鎮の家並みは、黒瓦で彩られている。
そのたたずまいは、深く悠久の歴史の重さが横たわっているかのようである。

人々の生活が、倦(う)まずたゆまず続いている。
その家並みの間を「ゆったりと、たゆたう」ように運河が流れている。

生活用水ともなっている。



野菜を洗い、洗濯をする。
ここで生活する人々の匂いは、運河を流れる水の生命力を宿している。

日よけがある軒下では、小物を売る店がささやかに開店している。
また、テーブル一つで食堂が営まれていたりするのである。



ちょっと遠い場所には舟で行く。
屋根が無ければ、江戸時代の猪牙舟(ちょきぶね)と同じ形状である。
櫓で漕ぐのだけれど、結構早いのである。

そうそう、かつて東京は・・・江戸と呼ばれていた時代「東洋のベニス」と呼ばれていたのである。
東京の主要幹線道路の下にはクリークがあったのである。



お年寄りと若者、その衣類の差が楽しい。
洗濯物は外に干す。
生活の基本が息づいている。



この運河沿いにどこまでも歩いていたい。
そう思わせる風景である。



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