平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「放浪記」② 林芙美子~私は生きる。何でもいいから生きて働く事が本当の事だと思う

2024年01月20日 | 小説
 林芙美子『放浪記』の2回目。
 前回も書いたが、林芙美子は『放浪記』を出版するまで本当に売れない作家だった。
 彼女の書く詩は自分の心の中に渦巻くものを自由に書いたもの。
 親交のあった萩原恭次郎、坪井譲治、岡本潤らアナーキスト詩人たちから『ダダイズムの詩』だと評された。

 そんな芙美子は日記『放浪記』でこんなことを書いている。

『自分の詩を読んでみる。みんな本当の、はらわたをつかみ出しそうな事を書いているのに一銭にもならない。どんな事を書けば金になるのだ』

『書く。ただそれだけ。捨て身で書くのだ。気取りはおあずけ。
 食べたい時は食べたいと書き、惚れている時は惚れましたと書く。それでよいではございませんか』


『何かをモウレツに書きたい。心がその為にはじける。
 毎日火事をかかえて歩いているようなものだ。私は煙を頭のてっぺんから噴いているのだ』


『みんな自分が可愛いのだ。どなたさまも自分に惚れすぎている。人の事は見えない。
 だから私がいくら食べたいという詩を書いても駄目なの』


『肺が笑うなぞという、たわけた詩が金になるとは思わないけれども、それでも世間には一人位は物好きな人間がありそうなものだ』

『金持ちの紳士が千頁の詩集を出してくれれば裸になって逆立ちしてもいい』

 童話を出版社の博文館に持ち込み、反応がよくなかった時は──

『急いで博文館を出て深呼吸する。
 これでもまだ私は生きてるのだからね。あんまりいじめないで下さい。
 神様、私は本当は男なんかどうでもいいのよ。
 お金がほしくてたまらないのよ。私はねえ、下宿料が払えないのよ。インキだって金がかかるのよ』


『いったいどこまで歩くのだ。無意味に歩く。何も考えようがない』

 しかし、芙美子は負けなかった。無意味でも歩き続けた。
 作家の平林たい子とは無名時代からの友人で、銀座の街を二人でのし歩いた。

『何くそ! 笑え! 笑え! 笑え! たった二人の女が笑ったとて、つれない世間に遠慮は無用だ』

 何だかんだ言って、林芙美子はたくましい。
 そして最後には開き直り、生きていることを肯定する。

『「少女」という雑誌から三円の稿料を送ってくる。私は世界一のお金持ちになったような気がした。
 間代二円入れていく。下宿のおばさん急ににこにこしている。
 手紙が来て判を押すという事はお祭りのように重大だ。
 三文判の効用。生きていることもまんざらではない』


『あれもこれも書きたい。
 山のように書きたい思いでありながら、私の書いたものなぞ一枚だって売れやしない。
 それだけの事だ。名もなき女のいびつな片言(かたこと)』


『私は書けるだけ書こう。体は丈夫だ。果てる時は果てる時だと思っている』

 ……………………………………………………………

 林芙美子の『放浪記』
 ここには「怒り」「嘆き」「涙」「貧困」「絶望」があり、
「生活」「たくましさ」「ユーモア」「小さな喜び」「激励」「希望」がある。

 僕は疲れ果てた時、『放浪記』を読む。
 日記だからどこから読んでも構わない。
 何気なくページを開いて、目に飛び込んで来る言葉を味わう。

 最後は『放浪記』のこんな言葉で締めます。

『クヨクヨしていても仕様のない世の中だ。
 すべては自分の元気な体を頼みに働きましょう。
 私は生きる。何でもいいから生きて働く事が本当の事だと思う』



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