平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「女生徒」 太宰治~美醜に鋭敏な少女の独白。私はたしかにくだらなくなった。いけない、いけない。弱い、弱い。

2023年07月07日 | 小説
 子供から大人へ──思春期の女の子の独白の小説だ。
 彼女は美しいもの、醜いものに対して敏感だ。

 彼女にとって美しいものは──
・犬のジャピイ
・お母さんからもらった雨傘
・美しい青色の似合う小杉先生
・バスを降りて家に帰るまでの田園道
・そして父親が生きていて、姉が嫁ぐ前の幸せな家族
 しかし、これらはどこか空虚だ。
 父親が生きていた頃の幸せな家族は思い出の中にしかないし、
 美しい小杉先生は装って「ポオズをつくり過ぎる」所が気に食わない。
 お母さんからもらった雨傘は、パリの街にいるような気分にさせてくれるが、それは空想の世界でのことで、たちまち霧散してしまう。
 太宰治はこれをこんなふうに表現する。
 こんな傘をもって、パリィの下町を歩きたい。この傘にはボンネット風の帽子がきっと似合う。
 ピンクの衿(えり)の大きく開いた着物に、黒い絹レエスの長い手袋をして、帽子には美しい紫のすみれをつける。
 そうしてレストランで、もの憂そうに軽く頬杖して、外の人の流れを見ていると、誰かが、そっと私の肩を叩く。
 急に音楽、薔薇のワルツ。ああ、おかしい、おかしい。
 現実は、この古ぼけた奇態な柄のひょろ長い雨傘一本。自分がみじめで可哀想。マッチ売りの娘さん。


 一方、彼女が醜いと感じるものは──
・足の悪い犬のカア
・下品な労働者たち
・お道具箱を置いて確保しておいた電車の席に座ってくる眼鏡の男
・ポオズをつくり過ぎる小杉先生
・自分に性的な関心を寄せている美術の伊藤先生
・薄汚い、男か女かわからない様な赤黒い顔をしているバスの女
・家に遊びに来たプチブルの今井田さん
・そんな今井田さんに対し、卑屈で、愛想笑いをしている自分のお母さん

 美しいもの、醜いものに敏感な彼女。
 彼女はこれらを前にして苦しんでいる。
 その苦しみというのは──自分も「醜い大人」になりつつあるということだ。

 前述の赤黒い顔をしたバスの女に対して、彼女はこんなことを考える。
 雌鳥(めんどり)。ああ、胸がむかむかする。汚い、汚い。女はいやだ。
 自分が女だけに、女の中にある不潔さがよくわかる。
 自分もこうして雌(めす)の体臭を発散させるようになって行くのかと思えば、また思い当たることもあるので、いっそこのまま少女のままで死にたくなる。


 彼女は自分にも「女の中にある不潔さ」「雌の体臭」があることを感じていて嫌悪している。
 あるいは、母親と同じように、今井田さんに対して愛想笑いをしている自分を嫌悪している。
 彼女は醜くなってしまった自分を嘆く。
 私はたしかにいけなくなった。くだらなくなった。
 ひとりきりの秘密をたくさん持つようになった。いけない、いけない。弱い、弱い。


 こんな彼女が一日の終わりにたどり着いた気持ちは何か?
 醜いもの、弱い者への共感だ。
 今井田さんに媚びを売るお母さんに対しては、
 お母さん、私はもう大人なのですよ。世の中のこと、何でも知っているのですよ。
 安心して何でも相談して下さい。
 うちの経済のことなんかでも、私に全部打ち明けて、こんな状態だからおまえも、と言って下さったなら、私は、しっかりした、つましい、つましい娘になります。よい娘になります。

 足の悪い犬のカアに対しては、
 パタパタパタパタ。カアは足が悪いから足音に特徴がある。
 こんな夜中に何をしているのかしら。
 カアは可哀想。けさは意地悪してやったけれど、あすは可愛がってあげます。


 ラストはこんな文章で締め括られる。
 おやすみなさい。私は王子さまのいないシンデレラ姫。
 あたし、東京のどこにいるか、ごぞんじですか?
 もう、ふたたびお目にかかりません。


 もはやシンデレラを夢見る少女の時代は終わったのだ。
 彼女は現実を受け入れ、醜い大人になる覚悟を決めたようだ。


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