平成エンタメ研究所

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どうする家康 第26回「ぶらり富士遊覧」~家康覚醒! もはや「史実と違う」などと野暮なことを言うなかれ!

2023年07月10日 | 大河ドラマ・時代劇
 織田の犬となり、足を舐め続ける家康(松本潤)。
「降伏を受け入れるなと上様に言われておる」
「信忠様が功をあげられるのは良い事じゃ」
「上様にお喜びいただくために決まっておろう!」
 極めつけは──
「海老すくい♪ 海老すくい♪ 男ならせめてなりたや織田家臣♪ 天下布武♪ 天下布武♪」

 これを受けて信長(岡田准一)。
「腹のうちを見せなくなった。化けおったな」
 従順で素直な家康を信じていない。
 武田勝頼(真栄田郷敦)を恨んでいないと語る家康に
「では恨んでいるのは誰か?」
 
 さて、こんな家康の真意とは──
「信長を殺す……。わしは天下を取る」
 ………………………………………………………………

 新解釈の戦国物語である。
 ここまで突き抜けてくれると心地良い。
 もはや「史実と違う」などと野暮なことを言うなかれ。
 これを思いきり楽しむのが正解だ。

 本能寺の後の伊賀越えも、信長を殺すために確保していた「信長に恨みを持つ伊賀者100人」が機能するようだ。
 武田勝頼の首を蹴らなかったことも、今川氏真(溝端淳平)を遠江のあるじに推挙したのも、
 後の甲斐・信濃、遠江の統治を考えたからかもしれない。

 作劇としては『なぜ家康はこんなに従順なのか?』という謎で40分引っ張り、残り3分で種明かしをするという手法だ。
 面白い!
 復讐を胸に秘め、阿呆を演じた『ハムレット』のようだ。
 僕の予想としては、
・四方に恨みを買っている信長はいずれ滅びるだろうから、それまでの忍従。
 あるいは、
・忍従し、信長殺害の機会をうかがう。
 くらいに考えていたが、家康はもっと先を行っていた。
 何と伊賀者を配下にするなど信長殺害の具体的なプランを練っていた!
 しかも、さらに意外だったのは「わしは天下を取る」とまで発言した所。
 家康、ずいぶん踏み込んだ発言だ。

 覚醒した家康。
 もはや「どうする家康」ではなくなったようだ。
 今後は「天下を取る」という目的のために突き進むのだろうか?
 迷える家康ではなく、今のクールでしたたかな家康で行くのだろうか?

 いずれにしても
 過去の大河ドラマの脚本家さんたちは、この古沢良太・脚本に嫉妬しているに違いない。
 中途半端な突き抜け方では「史実と違う」と言われてしまうが、
 ここまで徹底されると、批判を通り越して感心・賞賛に変わるのだ。


※追記
 武田勝頼の最期。見せ場をつくった。
「ここまでついて来てくれて礼を申す」
「ここを死に場所と決めた」
「武田の名を惜しめ!」


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2 コメント

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「史実」とは (TEPO)
2023-07-10 14:08:28
そもそも「史実」とは何か。

歴史学は裁判と似ていると思います。
裁判では原告・被告がそれぞれ証拠を積み重ねて作り上げた物語を「事実」として提示します。
その際、証拠から厳密に立証できる部分もあるでしょうが、多くの場合蓋然性に委ねられるところも大きいことでしょう。
裁判の場合、裁判官が最も蓋然性の高い(説得力のある)物語を選び出して「事実」として認定するわけです。
同様に、歴史学者たちも「史料」という証拠を積み重ねてそれぞれの物語(説)を示してゆきます。
この場合の「法廷」はおそらくは学界(会)であり、最も蓋然性の高い(説得力のある)とされる説が「通説」となり、学校レベルの教科書などの基準となってゆくわけです。

「史実は××だ」と安易に断言する人は、すでにそのことによって歴史についての無教養を露呈していることになります。
その人の言う「史実」とは、大抵、自分が信じている説、信じたがっている説、信じさせられてきた説に過ぎないのに、それを無批判・無根拠に肯定しているからです。
それゆえ、「史実と違う」という言い方は間違っているのであって、正確には「通説と違う」と言うべきです。
「通説」に反する説でも、史料やそこから直接的に立証される厳密な意味での「史実」と齟齬をきたさない限り「説」として成立し得ます。

本作の築山事件解釈は、大胆なものではあっても一つの「説」としては成立しているように思います。
ただし、この新解釈は必然的に他の「史実」(具体的には「本能寺」)についての新解釈と連動せざるを得ないことでしょう。
本作の解釈による築山事件は、当然家康の心の中に信長に対する深い敵意をもたらすことになります。
信長もそのことを気にしており、今回は信長に対してその本心をひたすら隠す「反動形成」がテーマでした。
「本能寺」の直接実行犯が明智光秀であるという「史実」は動かさないとは思いますが、今回家康の口から明確に語られた信長への殺意がこれとどう絡むのか。

「本能寺」をめぐっては歴史学者たちの間で諸説が展開されているようです。
「誰が得をしたのか」という基本、そして「中国大返し」の手際から見て、秀吉は有力容疑者と見られているようです。
本作でも、今回秀吉がそろそろ信長を「邪魔者」と見ている暗示がありました。

秀吉と家康……「本能寺」について本作が用意している「仕掛け」が次の楽しみです。
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歴史の客観性 (コウジ)
2023-07-11 09:52:36
TEPOさん

いつもありがとうございます。

>その人の言う「史実」とは、大抵、自分が信じている説、信じたがっている説、信じさせられてきた説に過ぎない
そのとおりですね。

『ヒストリー』は『物語』とも訳されますが、歴史って『物語』にかなり近い。
歴史学者が根拠にする史料も「○○は☓☓した」と書かれているものが多く、歴史学者も行間を読む作業が要求される。
この点では、作家が想像力で歴史の物語を紡ぐ作業と同じなんですよね。
もちろん歴史学者が第一に心掛けるのは「客観性」で、そのために膨大な史料を読み込むのですが。

一方、マルクスは『経済(生産力)』をもとに歴史を再構築しようとしました。
このアプローチの方が客観的・科学的ですよね。
まさに『空想から科学へ』です。
まあ、資本主義の後に共産主義が来るかはわかりませんが。

・築山事件→信長への敵意 は、おっしゃるとおり必然であり、上手い流れですよね。
瀬名の『経済圏構想』『慈愛の国』の史料でも見つかれば、こちらの方が通説になるかもしれません。

>「本能寺」について本作が用意している「仕掛け」が次の楽しみです。
予告を見るかぎり、家康が仕掛けそうですね。
接待を失敗させて光秀を窮地に陥れる、みたいなことはしそうです。
一方、謀略には想定外なことがつきもので、秀吉の中国大返しなんかは想定外なことだったんでしょうね。
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