平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

枯葉の寝床 森茉莉

2006年09月05日 | 小説
 厚木街道の外れ、地面が枯葉で埋まった森の中にその家はあった。
 家の主人はギラン・ド・ロシュフコオ。
 耽美主義者。三十八歳。
 南フランスの貴族の父と日本人の給仕女を母に持つ彼は父の莫大な遺産を継ぎ、仏文の助教授・寝台小説の作家として生活をしている。
 そんなギランの恋人はレオ。身は細く締まり、敏捷な体つき。
 年齢は十七、十八だが、少年のような顔立ちをしていて魔性の美しさを持っている。

 森茉莉の小説「枯葉の寝床」は日本における耽美小説の傑作として名高い作品である。
 主人公のギランは恋人のレオを「美神と悪魔の愛児」、「自分を破滅の向こうに連れていくもの」と考え、受け入れている。ギランはレオ魅せられ、その美に焼き尽くされてもいいと考えているのだ。
 そして、物語はギランの破滅に向かっていく様を書き綴っていくことで進行していく。
 情事の後、ギランは浴室でレオの体を洗いながら考えている。
「まだ、秘密はないね」
 ギランはレオを自分だけのものにしておきたいと思うのだが、恋人の成長を止めることはできない。少年の体は青年に変化し、その体から立ち上る色香はギランの情欲に以前より増した火をつける。
 それはギラン以外の人間も同じだった。
レオはギランが学会で家を空けた時、同じ性情を持つ者が集まるクラブ「アルジェ」に足を踏み入れる。そこで灼けた様な黒い皮膚の大きな男、オリヴィオに見つめられるのだ。この男に見つめられてレオは得体の知れぬ戦慄、恐怖を感じるが、一方でどこか惹かれるものを感じる。レオの中に眠る魔性が危険な男オリヴィオと共振したのだ。
 数日後、レオはオリヴィオの車にふらふらと乗り、ヘロイン中毒のこの男に鞭打たれ抱かれる。そして、学会から戻ってきたギランはレオに起こった変化に気づくのだ。
「レオの中の、マジヒズムがめざめている」
 レオを見て、ギランはまだ「心は獲られていない」と分析するが、嫉妬の気持ちを否定することができない。
 そして、以前から抱いていたある予感も。
 レオの中のマゾヒズムが完全に現れた時、レオは自分のもとを離れていってしまうだろうという予感だ。
 ギランは「レオの肉体の魅惑の盃を滴もあまさず飲み干してやろう」という欲望を持って、レオを激しく抱く。
 しかし、ギランは「オリヴイオの様な錯乱者になり得ない」人間であり、レオを鞭打つことに何の快楽も見出すことができない。そこでギランは考える。
「鞭打つことが出来なければ、レオは自分を捨ててオリヴィオのもとに走ってしまうだろう。レオを自分の手もとにおいておくためには……、レオを殺すしかない」

 この様に「枯葉の寝床」は、魔性の美に魅入られた男の心の葛藤を耽美という言葉がふさわしい、美しい文体で描いている。
 「円蓋の屋根」「葡萄酒の樽に植えた月桂樹」「樫の寝台」「桃花心木(マホガニイ)の分厚い扉」、「デニムの洋袴(ズボン)」「栗茶の外套(オーヴアー)」など、描かれた舞台装置、小道具、衣装はすべて美麗なイメージを想起させるものであり、ベッドシーンも次のように魅惑的である。
「ギランの腕は器用にレオの体を下に抱き込んだ。斑の禿鷹は、窓から飛び込んだ小鳥を、肉慾(ヴォリユプテ)の爪の下に抑えつけたのだ」
「麻薬常用者のオリヴィオは、昼の間は、濁った目を見開いている男である。獲物を前にしてオリヴィオは強力なヘロインを打つ。ヘロインに脳のどこかを犯された男は、少年の獲物に立ち向かうだけで生命の火を燃やしていた」

 美しい世界を作り上げることに情熱を傾けて来た作者・森茉莉。
 その美の世界はアルコール度の高い強烈な酒だ。
 飲めばクラクラするかもしれないが、たまには酔って現実を忘れてみるのもいいかもしれない。

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