信長(染谷将太)から次々と人が離れていっている。
まずは朝廷。
「帝を蔑ろにしないでいただきたい」
そして家臣たち。
光秀(長谷川博己)は本願寺攻めで疲弊している家臣を代表して叫んで
「皆、疲れておりまする!」
松永久秀(吉田鋼太郎)も信長に困惑。
忠臣・木下藤吉郎(佐々木蔵之介)でさえも、信長が銃で撃たれたことを揶揄して、
「少しは薬がきいたようで」
家康(風間俊介)は菊丸(岡村隆史)に信長について尋ねる。
菊丸は答えて、
「信ずるに足るのは明智十兵衛様かと」
何度も書いていますが、
権力は人間を狂わせるんですね。
朝廷も人事もの思うがまま。
自分は絶対的に正しいと思い、万能感にとらわれる。
その万能感の表れが、鎧もつけずに敵の鉄砲の前に飛び出して行ったこと。
万能感を疎外することへも敏感で、本願寺攻めがうまくいかないと激怒する。
家臣たちがいくさで苦しんでいるのに、信長が関心を持っているのは、安土城。
何か国民がコロナで我慢して苦労しているのに為政者の関心はオリンピック、というのに似てるな。
似ていると言えば
信長が政治の拠点を京から安土に遷そうとしたのは、平清盛が福原(神戸)に都を遷そうとしたのに似ている。
信長は安土城を「日輪のように光輝く城」と言ったが、どうやら自分を帝より上の存在と考え始めているようだ。
信長の世界観では、この世で一番偉いのは「日輪」でその下が帝。
しかし信長は、日輪の下に自分の天守閣を置いた。
安土城の天守閣は帝のいる御所より日輪に近い。
そして熙子さん(木村文乃)の死。
光秀と熙子の物語はあまり描かれていなかったので、せつなさは薄かったが、最期の言葉が印象的だった。
「麒麟を呼ぶ者が十兵衛様、あなたであったなら……」
本能寺の変は着実に近づいている。
まずは朝廷。
「帝を蔑ろにしないでいただきたい」
そして家臣たち。
光秀(長谷川博己)は本願寺攻めで疲弊している家臣を代表して叫んで
「皆、疲れておりまする!」
松永久秀(吉田鋼太郎)も信長に困惑。
忠臣・木下藤吉郎(佐々木蔵之介)でさえも、信長が銃で撃たれたことを揶揄して、
「少しは薬がきいたようで」
家康(風間俊介)は菊丸(岡村隆史)に信長について尋ねる。
菊丸は答えて、
「信ずるに足るのは明智十兵衛様かと」
何度も書いていますが、
権力は人間を狂わせるんですね。
朝廷も人事もの思うがまま。
自分は絶対的に正しいと思い、万能感にとらわれる。
その万能感の表れが、鎧もつけずに敵の鉄砲の前に飛び出して行ったこと。
万能感を疎外することへも敏感で、本願寺攻めがうまくいかないと激怒する。
家臣たちがいくさで苦しんでいるのに、信長が関心を持っているのは、安土城。
何か国民がコロナで我慢して苦労しているのに為政者の関心はオリンピック、というのに似てるな。
似ていると言えば
信長が政治の拠点を京から安土に遷そうとしたのは、平清盛が福原(神戸)に都を遷そうとしたのに似ている。
信長は安土城を「日輪のように光輝く城」と言ったが、どうやら自分を帝より上の存在と考え始めているようだ。
信長の世界観では、この世で一番偉いのは「日輪」でその下が帝。
しかし信長は、日輪の下に自分の天守閣を置いた。
安土城の天守閣は帝のいる御所より日輪に近い。
そして熙子さん(木村文乃)の死。
光秀と熙子の物語はあまり描かれていなかったので、せつなさは薄かったが、最期の言葉が印象的だった。
「麒麟を呼ぶ者が十兵衛様、あなたであったなら……」
本能寺の変は着実に近づいている。
いつもありがとうございます。
復帰されたんですね。
よかった。
確かに、本能寺の変が今作でどう解釈され、表現されるのかは興味深いですよね。
ぜひ最後まで完走しましょう。
「本能寺の変」は 最も気になる歴史ミステリーなので
こ39話から視聴を再開しました。
謀反に至った光秀の動機が知りたいです。
信長の能力至上主義への怯えからの衝動とも言われていますが
このドラマでは どういう風に描かれるのか興味深いです。
いつもありがとうございます。
信長は今で言うと、「グローバリスト」「新自由主義者」「改革者」なんですよね。
だから寺社や室町幕府の旧臣などの「既得権者」には嫌われる。
まあ、僕は最近「グローバリズム」や「新自由主義」に懐疑的なのですが。
「改革」も古い利権を壊して新しい利権をつくることですし。
一方、今回描かれた「権力をもった信長のおごり・狂気」は否定されるべきものだと考えています。
ロギーさんもそこは違うと思いますでしょう?
光秀は主人公ですしね。
陰謀術策をおこなうブラックな光秀を見てみたいとも思いますが、これが大河ドラマの限界なのでしょう。
いつもありがとうございます。
熙子さんは駒ちゃんの気持ちに気づいていたのか?
ふとこんなことを考えてしまいました。
夫や家を支える点で芯は強いが、恋愛面ではおっとりした方なので気づいていない感じがしますね。
政治面においても距離をおいて、寧々さんにはならない。
そんな彼女が唯一、政治について語ったのが、「麒麟を呼ぶのはあなたであったなら……」でした。
熙子さんは熙子さんなりにしっかり情勢を見ていたんでしょう。
一方、駒はおっしゃるとおり、『熙子ごと光秀を愛していた』んでしょうね。
熙子さんが死んで「次はわたしの番よ」などと思ったりしない(笑)
「本能寺の変」はどのように解釈されて描かれるのでしょうね。
ネットニュースに拠ると、今までにない本能寺になるとか。
僕も朝廷が絡んで来ると読みましたが、TEPOさんはさらに家康まで絡んで来るという読み。
今後は家康の動向に注目ですね。
安土城を作るのは織田政権が畿内での支配権が確固たる物である証です。
また、都を安土に遷都は宣教師から海外情勢を聞いた信長が日本を強固な国にする為の措置です。
最終的に信長は摂津石山(今の大坂)に織田政権の首都を作る予定でしたからね。
確かに自分を頂点にしようと画策してますが、これは世界を視野に見れば普通です。
寧ろ信長は宣教師から世界がグローバル化してるのをみて、新しい体制をつくろうとしてるだけです。
光秀は理想主義の書生肌過ぎて無能に見えます。
池端、歴史をちゃんと勉強してるんですかね。
今回「政治パート」では信長の増長と強引さがやや加速しただけで大きな動きは無く、むしろ熙子さんが主役の回だったと思います。
後半はほとんど明智館が舞台で、政治パートの重要イベントである筒井順慶の大和守護選任の通告―ドラマの初期から光秀と盟友関係にあった松永久秀を切る決定なので、信長からの離反の重要な伏線でしょう―も、わざわざ信長が見舞いに来てのことでした。
熙子さんに関しては、東庵先生を呼びに裸足で走ったあたりから暗雲が立ち込め、ずぶ濡れのお百度参りに求婚や懐妊の回想が織り込まれたところで「フラグ決定」。
>「麒麟を呼ぶ者が十兵衛様、あなたであったなら……」
そして、光秀の胸にもたれかかり「眠くなりました」と目を閉じる。そして熙子が集めていた花びらが風に舞う。
美しい最期の場面でした。
私はここ数回の「家族愛パート」で「熙子推し」になっていたので、「ロス」になりそうです。
では、ヒロインが熙子でなく駒なのは何故なのか。
信長にとっての帰蝶は斎藤道三との絆の象徴であり、秀吉にとってのねね(結局この表記が有力なようですね)は淀殿との―より広く言えば秀吉家臣団の中での「尾張派」対「近江派」の―確執という政治性を帯びているのでドラマの材料になります。
これに対して、ひたすら「良妻」である熙子と「愛妻家」光秀とは、いわば一心同体なのでドラマにならない。
他方、駒の方は熙子ごと光秀と盟友関係にあった(愛していた?)と言えそうです。
それゆえ、熙子にとって駒は良き友であり、今回も光秀本人に対するのと同じくらい回想を語り合い、思い出の品を見せています。
現在駒は「義昭付き」の任を解かれたばかりですが、彼女の周囲には東庵先生、伊呂波太夫、菊丸という「庶民代表」―ただしそれぞれが途轍もない「バック」を持っている―の遊撃隊が集まっています。
おそらく、今後本能寺に向けてはそれらの「バック」たち―正親町天皇、近衛前久、徳川家康―が絡んで来るのだろうと思います。
今回、家康が築山殿―まさに「政治性の塊」と言うべき妻―と共に登場しました。
しかし、徳姫についてはごく当たり前の「姑根性」と言った程度の態度でした。
おそらく、今川家一門の名家出身を鼻にかけて夫を尻に敷く、というステレオタイプの悪妻像には描かないのではないかと思います。
つまり、家康と築山殿との関係は悪くなく、彼女と信康との殺害を命じられることで、家康は信長を恨む展開が予想されます。
「直虎」の時にも信長による家康暗殺の陰謀が暗示されていました。
ことによると、光秀が信長からそのことを命じられ、家康に好意を持つ光秀が従いきれずに信長の方を討つ、という展開なのかもしれません。
かつて、光秀は信長が武田に対峙している家康に対して冷淡すぎると諫言していた場面もありましたし。