平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

月9「女神の教室」が面白い!~学園ドラマ、青春ドラマ、リーガルドラマの3つを楽しめる!

2023年01月11日 | 学園・青春ドラマ
 月9『女神の教室』が面白い。
 舞台は司法試験合格を目指す学生が集まるロースクールの物語。

 対立軸はこうだ。
・司法試験を合格するために効率のいい勉強をすべきなのか?
・法律以外に人として学ぶべきことがあるのではないか?

 前者は司法試験に出る「法律」や「判例」を徹底的に学ぶことだ。予備校の授業に近い。
 後者は人と向き合うことだ。
 たとえば被告人は法律上は「被告人」でしかないが、
 実はさまざまな事情、心の葛藤を抱えた「人間」だ。
 主人公・柊木雫(北川景子)はその大切さを教える。
 仮に学生が司法試験に合格して、弁護士、検事、裁判官になっても
 相手を生身の人間として見なければ、あるいは人間洞察が未熟ならば、
 正しい弁護、求刑、判決などできない。
 学生たちはこのことを少しずつ学んでいく。
 しかし一方で、司法試験に合格しなければ意味がないので予備校的な授業も求めてしまう。
 主人公・雫の言っていることは正論なのだが、目の前には司法試験という現実がある。
 ここに生まれる学生達の葛藤。

 青春ドラマですね。
 教師と生徒の学園ドラマでもありますね。
 そして判例をもとに授業するのでリーガル・ドラマでもある。
 いわば、ひとつで3つのドラマが味わえる。
 朝ドラ『舞いあがれ!』でも航空学校が描かれたが、
 今後は職業学校が舞台のドラマが主流になるかもしれない。
 そう言えば『教場』は警察学校のドラマでしたね。

 僕がこの作品を見た動機は北川景子さんと南紗良さんだったが、収穫だった!
 南紗良さんは主人公の雫と対立する生徒・照井雪乃役だが、相変わらずかわいい!
 そして、どんどん演技が上手くなっている。


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4 コメント

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勉強とは何か? (2020-08-15 21:07:49)
2023-01-11 22:27:43
このドラマは見ていませんが、ネットなどから、おっしゃるような「対立軸」を問いかけるであろうことは推察していました。

今の時代は「試験に受かるノウハウ」を徹底的にたたき込むのがエリート進学校のあるべき教育であって、試験に受かるためのノウハウを素直に吸収するのが「優秀な生徒」という考え方があります。
ただ、戦前の旧制高校では一種の教養主義があって、テストで点を取る勉強ばかりやっていて、岩波文庫のひとつも読まないような生徒は、生徒同士の仲間内ではバカにされたという話もあります。
もっとも、戦前の教育制度では、中学入試が実は一番厳しくて、高校や大学の入試はそれほど厳しくなかったという裏事情はあるわけですが、それにしても「勉強するとバカにされた」というのは、なかなか面白いことだったと思います。

勉強の本質とは何なのか?
政治家や官僚や財界人の皆さんは、世界と戦える「グローバル人材」の必要性を盛んに言いますが。世界で戦える人材を養成するのであれば、小手先の受験テクニックをたたき込むだけで本当にいいのか、という疑問には、なかなか答えません。
返信する
岩波文庫 (コウジ)
2023-01-12 09:04:50
2020-08-15 21:07:49さん

いつもありがとうございます。

>小手先の受験テクニックをたたき込むだけで本当にいいのか
まさにこれですよね。
言われて、昔、代々木ゼミナールで小田実が英語の授業をしていたことを思い出しました。
小田実は予備校生たちに何を語ったのでしょう

まあ予備校がテクニックを教えるのは性質上、仕方ないと思いますが、問題なのは大学。
大学に入ると、学生たちは一般的にあまり勉強しない。
あるいは次は就職のために,国家公務員試験や司法試験に合格するためにテクニックの勉強を始める。
結果、人としての修養を積まないまま社会に出てしまう。

>岩波文庫のひとつも読まないような生徒は、生徒同士の仲間内ではバカにされた
面白いですね。
今の学生は岩波文庫(特に社会科学系)など読みませんよね。
今はいったい何を読んでいるのでしょう?

こうして見ていくと、日本の教育制度の問題を考えてしまいますね。
返信する
守破離 (2020-08-15 21:07:49)
2023-01-12 21:39:22
今回のタイトル通り、結局それなんです。
日本の(あるいは東洋の)芸事や習い事では、昔から「守破離」があったと言われています。

守:師匠から言われたことを愚直に守ってひたすら修行して、それを会得する。
破:師匠の教えを会得したものの、納得できない部分ができ、だんだん師の教えを否定する。
離:師匠を否定した部分を自分なりに補完して、自分で新たな体系を生み出し、師匠から離れる。

ところが、戦後日本の受験優等生の多くは、ひたすら「守・守・守」で、受験勉強的な「会得」から一歩も離れることができず、一生を過ごしてしまったのではないかと思います。

そう考えると、戦前の旧制高校生の「岩波文庫を読め」というのは、意外に大きな意味があったのかもしれません。
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官僚や経営者に多そう (コウジ)
2023-01-13 09:10:29
2020-08-15 21:07:49さん

教えていただきありがとうございます。
「守破離」
霞ヶ関の官僚が新しいものを生み出せないのは、おっしゃるとおり「守・守・守」だからですよね。
それは日本の経営者にも多そう。
上がそんな状態なので、才能のある人、優秀な人は海外に逃げていく。

他の分野から新しい発想を得ることもあって「岩波文庫を読め」はまさにそれですよね。
あるいはマルクスとかニーチェとかドストエフスキーなどを格闘し、苦労して読んだ体験が、その人の思考力を強くするということもあるかもしれませんね。
返信する

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