「拾の行く末を考えると自分が抑えられんのじゃ。わしは老いた」
「頼りにしていた者は皆、死んでしもうた」
官兵衛(岡田准一)には本音と弱音を吐く秀吉(竹中直人)。
おそらく秀吉は孤独で不安だったんでしょうね。
関白・秀次(中尾明慶)のことを始めとして、自分が少しおかしくなっていることに気づいている。
昔の希望に燃えて、蜂須賀小六、秀長らと共に溌剌としていた時が懐かしい。
だから、昔の仲間・官兵衛を求めた。
官兵衛に対する怒りや憎しみも愛情の裏返し。
「わしに仕えよ」
当初、僕はこれを秀吉が<官兵衛を再評価した>のだと思いましたが、少し違っていたようです。
与えられたのは、播磨の二千石。
<播磨>という部分には秀吉の愛情を感じるが、<二千石>は低評価。
位も三成(田中圭)より下。
再評価もこのレベルのものだったんですね。
本当に秀吉は老いた。
以前の秀吉だったら、官兵衛のプライドや豊臣家中での序列に配慮した処遇をしたはずなのに、それが出来ない。
小便も漏らすし、怒りで朝鮮出兵を決めるし、正常な判断が出来ない。
官兵衛も老いた。
再度仕える官兵衛の動機も「最期まで見届ける。これが殿下を天下人まで祭り上げたわしの務め」の消極的。
三成と張り合って、豊臣家の実権を握ろうという気概はまったくない。
秀吉の暴走に関しても
「今や殿下を抑えられるのは天。殿下の天命が迫っておる」
と、寿命頼みで、自分の無力を感じている。
小早川隆景(鶴見辰吾)の死に際にも
「あの頃は愉しうございましたな」
と昔話。
官兵衛はすでに昔の人なのか?
三成との権力闘争にも敗れ、このまま官兵衛は終わってしまうのか?
老いというのは、ある意味残酷だ。
どうしても自分の下り坂を認識しなければならない。
栄光の中で死ねた方がどんなに幸せか。
さて、官兵衛、最後にひと花を咲かすのは、関ヶ原の時になりそうだ。
「頼りにしていた者は皆、死んでしもうた」
官兵衛(岡田准一)には本音と弱音を吐く秀吉(竹中直人)。
おそらく秀吉は孤独で不安だったんでしょうね。
関白・秀次(中尾明慶)のことを始めとして、自分が少しおかしくなっていることに気づいている。
昔の希望に燃えて、蜂須賀小六、秀長らと共に溌剌としていた時が懐かしい。
だから、昔の仲間・官兵衛を求めた。
官兵衛に対する怒りや憎しみも愛情の裏返し。
「わしに仕えよ」
当初、僕はこれを秀吉が<官兵衛を再評価した>のだと思いましたが、少し違っていたようです。
与えられたのは、播磨の二千石。
<播磨>という部分には秀吉の愛情を感じるが、<二千石>は低評価。
位も三成(田中圭)より下。
再評価もこのレベルのものだったんですね。
本当に秀吉は老いた。
以前の秀吉だったら、官兵衛のプライドや豊臣家中での序列に配慮した処遇をしたはずなのに、それが出来ない。
小便も漏らすし、怒りで朝鮮出兵を決めるし、正常な判断が出来ない。
官兵衛も老いた。
再度仕える官兵衛の動機も「最期まで見届ける。これが殿下を天下人まで祭り上げたわしの務め」の消極的。
三成と張り合って、豊臣家の実権を握ろうという気概はまったくない。
秀吉の暴走に関しても
「今や殿下を抑えられるのは天。殿下の天命が迫っておる」
と、寿命頼みで、自分の無力を感じている。
小早川隆景(鶴見辰吾)の死に際にも
「あの頃は愉しうございましたな」
と昔話。
官兵衛はすでに昔の人なのか?
三成との権力闘争にも敗れ、このまま官兵衛は終わってしまうのか?
老いというのは、ある意味残酷だ。
どうしても自分の下り坂を認識しなければならない。
栄光の中で死ねた方がどんなに幸せか。
さて、官兵衛、最後にひと花を咲かすのは、関ヶ原の時になりそうだ。
そうなんですよね。この「威勢の悪さ」が本作最近の寂しいところです。
「悪三成」はやがて家康によって成敗されるものの、別に官兵衛の勝利というわけでもありませんし。
そうした中、今回唯一の痛快エピソードは「名槍日本号の呑み取り」。
もっとも福島正則は本来味方陣営の人間。官兵衛への「悪口雑言」も不甲斐なさを嘆いたもので、いわば「内輪もめ」ですが、痛快事には違いありません。
数年前、福岡市博物館で「日本号」の実物を見たことがありましたが、まさに「どきどきするような」という形容がぴったりの迫力でした。
思えば直情径行の太兵衛も成長したものです。若い頃の彼だったら暴発して斬り死にか切腹だったでしょうが、こうして面目を施すまでになったのですから。
そう言えば、前回長政と一緒に家康に籠絡されていた正則は酔いつぶれていました。
猛将正則もけっして酒は強くなかった、という伏線だったのでしょう。
終盤近くなって展開が早くなっていますが、何とか伏線を張るだけの工夫はしているようです。
いつもありがとうございます。
「日本号」の実物をご覧になったのですね。
これを見ると、見ないとのとではシーンに対する思い入れが違いますよね。
人物の成長ということでは、長政も落ちついてきましたね。
逆に熊之助が血気盛んで以前の長政を見ているかのよう。
もっとも官兵衛も若い頃は無謀だったですし、親子というのはあまり変わりませんね。
前回、正則が酔いつぶれたのは伏線だったのですね。
確かにあのシーンでは正則が酔いつぶれていなくても不自然ではなかったわけで、やはりプロの作家というのはたいしたものですね。