宗教は「信じる」ことから始まる。
科学は「疑う」ことから始まる。
そして統一教会の教義は「宗教と科学の統一」であるらしい。
「信じる」と「疑う」──
この水と油のようなものを統一するって可能なのだろうか?
まあ、ヨーロッパの中世はそうだった。
キリスト教の世界観が支配して、科学もそれをもとに構成されていた。
一番わかりやすいのは「天動説」である。
ところがルネサンスの近世を経て近代になると「宗教」と「科学」は分離された。
その延長で僕たちの現代の価値観は作られている。
だから「宗教」と「科学」の統一を目指す統一教会の教義は非常に中世的であると言える。
人類史の逆戻りをしている。
そう言えば統一教会では「宗教」と「芸術」も統一されなくてはならないと考えている様だが、
確かに中世ヨーロッパの絵画はキリスト教絵画ばかりだったなあ。
……………………………………………
統一教会では、信仰を「疑う」と「サタンが入り込んだ」と教えられるそうである。
またもや「疑う」ことの否定である。
ここで視点を変えて話すと、人間にとっては「信じる」ことの方が楽なんですね。
「これは正しいのか?」
「われわれはどういう世界に生きているのか?」
「自分の生き方は正しいのか?」
「この人と結婚していいのか?」
と疑ってばかりいたら消耗してしまう。
ところが宗教はこれらを明解に説明し、どう生きたらいいかを教えてくれる。
統一教会などは「この人と結婚しなさい」と示してくれる。
逆に「疑う」ことや「否定する」ことは不安を呼び起こす。
だからニーチェは「神は死んだ」と言った。
神が死んで拠り所を失った人間は不安とよくわからない世界で生きることになった。
では、そんな中、僕たちはどう生きていったらいいか?
ひとつは宗教。
ただ近代人の僕たちは素直に宗教の教義を信じられずにいる。
「キリストの復活? そんなもの、ウソだろう」と思っている。
教義すべてを盲目的に信じていたら、統一教会の信者みたいになってしまう。
そんな中、仏教はなかなか聡明で、「一切は無である」なんて教義は哲学的だし、
「ひたすら念仏を唱えよ」なんていう方法論は人間は疑うものであるということを理解している。
もうひとつは「民主主義」「共産主義」といったイデオロギー・価値観。
ただ「共産主義」はただの空理理論になってしまったし、
「民主主義」は単なるシステムでいくらでも抜け道があるのは現代の日本の状況を見れば明白だろう。
というわけで、疑うことを知ってしまった僕たちは「不安でよくわからない世界」に生きている。
一部の人が統一教会のようなカルトに走るのもそんな不安ゆえであろう。
「陰謀論」が魅力的なのも、新しい世界の解釈を示してくれるからだろう。
人類はどこへ向かうのか?
科学は「疑う」ことから始まる。
そして統一教会の教義は「宗教と科学の統一」であるらしい。
「信じる」と「疑う」──
この水と油のようなものを統一するって可能なのだろうか?
まあ、ヨーロッパの中世はそうだった。
キリスト教の世界観が支配して、科学もそれをもとに構成されていた。
一番わかりやすいのは「天動説」である。
ところがルネサンスの近世を経て近代になると「宗教」と「科学」は分離された。
その延長で僕たちの現代の価値観は作られている。
だから「宗教」と「科学」の統一を目指す統一教会の教義は非常に中世的であると言える。
人類史の逆戻りをしている。
そう言えば統一教会では「宗教」と「芸術」も統一されなくてはならないと考えている様だが、
確かに中世ヨーロッパの絵画はキリスト教絵画ばかりだったなあ。
……………………………………………
統一教会では、信仰を「疑う」と「サタンが入り込んだ」と教えられるそうである。
またもや「疑う」ことの否定である。
ここで視点を変えて話すと、人間にとっては「信じる」ことの方が楽なんですね。
「これは正しいのか?」
「われわれはどういう世界に生きているのか?」
「自分の生き方は正しいのか?」
「この人と結婚していいのか?」
と疑ってばかりいたら消耗してしまう。
ところが宗教はこれらを明解に説明し、どう生きたらいいかを教えてくれる。
統一教会などは「この人と結婚しなさい」と示してくれる。
逆に「疑う」ことや「否定する」ことは不安を呼び起こす。
だからニーチェは「神は死んだ」と言った。
神が死んで拠り所を失った人間は不安とよくわからない世界で生きることになった。
では、そんな中、僕たちはどう生きていったらいいか?
ひとつは宗教。
ただ近代人の僕たちは素直に宗教の教義を信じられずにいる。
「キリストの復活? そんなもの、ウソだろう」と思っている。
教義すべてを盲目的に信じていたら、統一教会の信者みたいになってしまう。
そんな中、仏教はなかなか聡明で、「一切は無である」なんて教義は哲学的だし、
「ひたすら念仏を唱えよ」なんていう方法論は人間は疑うものであるということを理解している。
もうひとつは「民主主義」「共産主義」といったイデオロギー・価値観。
ただ「共産主義」はただの空理理論になってしまったし、
「民主主義」は単なるシステムでいくらでも抜け道があるのは現代の日本の状況を見れば明白だろう。
というわけで、疑うことを知ってしまった僕たちは「不安でよくわからない世界」に生きている。
一部の人が統一教会のようなカルトに走るのもそんな不安ゆえであろう。
「陰謀論」が魅力的なのも、新しい世界の解釈を示してくれるからだろう。
人類はどこへ向かうのか?
言われる通り、中世ヨーロッパは”宗教=自然科学”だったんですよね。一方で、ルネサンスは自然科学を飛躍させ、逆に宗教は腐敗していきます。
やがて自然科学は数学と融合し、更なる飛躍を遂げるんですが、宗教は今や泥沼ですよね。
統一教会といっても、その実態は腐った政治との融合です。
一方で仏教は無(ゼロや空集合)の存在を許すから、数学との親和性が非常に高い。
疑う事で繁栄した科学と信じる事で腐敗した宗教。これもまた皮肉なんですかね。
教えていただきありがとうございます。
確かピタゴラスは教団を作っていて、かなり神秘主義の要素が強かったようですね。
>仏教は無(ゼロや空集合)の存在を許すから、数学との親和性が非常に高い。
この件、深く突っ込んで考えてみます。
最近ウヨサヨの争いに疲れてしまって、人類史的な視点で物を見たいと考えています。