平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

化人幻戯 江戸川乱歩

2007年01月03日 | 小説
 様々な犯罪心理を描いてきた江戸川乱歩。
 「化人幻戯」の犯人もそう。

 犯人は「殺すということは愛するということだ」と考えている。
 幼い頃、犯人は飼っていたウグイスを握り殺した。
 それは「可愛くて可愛くてたまらなかったから」「その美しいウグイスを世界で一番愛していた」から。

 犯人には殺すということの意味がわからない。
 世間では虫を殺せば「残酷」「可哀想だ」と言われ、人を殺せば罪に問われる。
 犯人は告白する。
「今でも殺すことが、どうして悪事なのか、本当にわかっていないのですよ。みんながそう言うからそうだろうと思っているだけです。わたしはみんなとは違っているのです。心から理解することができないのです」

 考えてみれば、罪や悪事は、法律や道徳など人間が作ったルールで作られたもので、その根拠はない。
 人を殺せば殺人者なのに戦争でたくさん人を殺せば英雄になるとチャップリンは「殺人狂時代」で述べたが、罪や悪事とはそういうものだ。
 法律や道徳は社会秩序を守るために存在し、社会秩序を守ることが自分たちの幸せに繋がると考えるから、法律や道徳を私たちは信じる。
 そしてそれらを信じられない者は社会とは外れた「普通とは違う人間」になってしまう。この犯人の様に。

 犯人は幼い頃、同じ理由で仲良くしていた少年を殺してしまう。
「十二歳の頃にはじめて人間を殺しました。よくうちにくる、同年配の男の子で、その子が誰よりも好きで、可愛くてたまらなかったからです。……ほんとは猫の『たま』と同じように、頸をしめたかったのです。でも相手が男の子だったから、わたしの方はまけてしまいます。それで、知恵を働かせて、庭の池へつき落としたのです。……その子が池の中でもがいているのを、少し見てから、お部屋に帰って、知らん顔をしていました。普通はこういうときに後悔するのでしょう? でも、わたしは後悔しないのです。嬉しいのです。愛情の極致まで行ってしまったという、充ち足りた感じなのです。眠くなるような満足感なのです」

 殺人の動機はお金でも怨恨でもない。
 究極の愛情だ。
 この作品が発表されたのは戦後間もない時期だが、こんな犯人像を創り上げた江戸川乱歩はすごい。
 同時にこんな心理も描いている。
 犯人は明智に言う。
「ほんとうは、わたし、あなたに見破ってほしかったのです。どんなにあなたに会いたかったでしょう。そして、あたしの真実を見破ってほしかったでしょう」
 人は自分の理解者を求めるもの。
 犯人も普段は善良な市民を演じていたから尚更だ。
 犯人は明智であれば、自分を理解してくれると思った。
 そこには社会に違和感を感じている者、疎外感を感じている者の孤独がある。

 この作品のラストはこんなふうにして終わる。
 警察が逮捕にやって来るまでの間、犯人はこう言うのだ。

「誰かを待っているのは所在ないものですわね。トランプがあるといいのに。こういうときの時間つぶしは、トランプ遊びに限るのよ」
 ×××(犯人の名)はのんきらしくつぶやいた。それは虚勢でもお芝居でもなく、無邪気に、ほんとうの気持ちを口にしているように思えた。 


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