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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

三島由起夫VS東大全共闘 50年目の真実~三島が生きていたら、今の時代に何を語るのだろう?

2021年09月18日 | 邦画
 映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』
 東大・駒場キャンパス900番教室でおこなわれた、三島由紀夫と1000人の全共闘の討論の記録である。

 この時代、言葉に力があったんですね。
 三島も全共闘のメンバーも「言葉の力」を信じている。

 劇中で飛び交う言葉は「社会と個人」「文化と自然」「天皇」「解放区」といった言葉。

 右翼の三島は「個をなくし、天皇を中心にした国家に自分を委ねるべきだ」と主張している。
 なぜなら、完全に自由な「個」として生きることは、不自然で不安でしょうがないからだ。
 三島が嫌いだというサルトルの言葉を借りれば「実存は孤独だ」からだ。
 これは三島の小説『仮面の告白』でも語られているテーマでもある。
『仮面の告白』の主人公は、皆が同一で、国家と運命を同じくする社会に居心地よさを感じ、それらから解放された戦後の社会に恐怖を抱いている。

 一方の左翼の全共闘は、国家などから「完全に解放された自由な個人」を目指している。
 バリケードで囲まれた「解放区」はそのための場所だ。
 小松左京のSF小説に『物体0』という作品があるが、おそらく、この「解放区」から着想を得たのだろう。
 しかし「完全に解放された自由な個人」などあり得るはずもなく、逆に社会主義国家は個人を抑圧するものでしかなく、全共闘の理想は挫折していく。
 全共闘のメンバーも「解放された自由な個人」は幻想で、あったとしても一瞬のものだと考えていたようだ。

 このような対立点を明確にしていく三島と全共闘だが、両者は以下の3点で共通点を見出した。
・反米
・非合法活動の容認
・社会を変えていこうとする熱情

 三島は「アメリカ万歳」の既存の右翼に憤りを感じ、全共闘は日米安保によるアメリカ従属を否定した。
 三島は市ヶ谷・自衛隊駐屯地で非合法に決起し、全共闘は革命を目指した。
 そして両者に共通する燃え盛るエネルギー。

 2021年の現在からこの時代を見ると、
 現在は熱くないなあ。
 言葉がむなしいな。
 同時に三島と全共闘のメンバーはドンキホーテのようで滑稽な感じもする。
 でも、この熱情と過剰な言葉と滑稽さがその後の高度経済成長を作ったような気もする。

 この作品では、70歳をこえた元全共闘のメンバーと三島の楯の会のメンバーがインタビューで登場していたが、彼らが2021年の現在をどう見ているか、語ってほしかった。
 インタビューアーは敢えて聞かなかったのか?
 それは三島由紀夫にも言えて、もし三島が生きていたら今の時代について何を語るのだろう?
 また市ヶ谷に立てこもって、「自衛隊よ、立ち上がれ!」と演説しているのかもしれない。

コメント (2)
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