「志を成し遂げて下さいませ。
もうあなた様の無事も、お帰りになることも願いません。
あなたというお人を夫に持ったことを誇りに思います。
ご武運をお祈りいたします」
今回は、文(井上真央)が久坂(東出昌大)を身軽にしてあげる話でした。
この作品の登場人物たちは、毛利敬親(北大路欣也)といい、文の父親や母親といい、みんな物分かりがいいんですよね。
この後にやっている『天皇の料理番』も妻・俊子が篤蔵を身軽にしてあげる話でしたが、俊子は「食堂の女給はいやだ」と、敢えて悪者になった。
篤蔵の父も、志に生きる篤蔵を殴り、勘当して切り捨てた。
ドラマとして、どちらが面白いかと言えば、言うまでもない。
そもそも文は、久坂の志(=攘夷)に疑問を持っていたのではなかったか?
ならば、当初、思っていたとおり「攘夷とは何なのか?」を聞くべき。
そして、納得できればそれでいいし、間違っていると思えば、糾すべき。
何しろ人の生き死にに関わる話ですしね。←このあたり現代感覚で見ています。
毛利敬親も物分かりが良い。
「そうせい」
「志ある者の邪魔をしたくない」
でも、自由にやらせた結果、藩がつぶれてしまったら、藩主としてどう責任をとるのか?
ともかく、物分かりがいいのはダメである。
主人公の文は、あらゆることに疑問を持ち、つきつめて考える人物であってほしかった。
最後は倒幕。
この言葉が、ついに桂小五郎(東山紀之)などの口から出るようになった。
高杉晋作(高良健吾)の「征夷大将軍!」や橋を渡ったことは幕府の力が弱まったことの表れだろう。
その他、
「夷敵を打ち払うことを民も望んでいる」
「物価が高騰している」
「外国との通商で幕府が利益を独占している」
みたいなせりふが語られていたが、どれも断片的で、当時の社会状況が今ひとつ描かれていない。
唯一、伝わったのが、先程の〝幕府の力が弱まってきた〟という雰囲気。
これで歴史を描いていることになるのか?
人物描写といい、脚本家の力不足は否めない。
もうあなた様の無事も、お帰りになることも願いません。
あなたというお人を夫に持ったことを誇りに思います。
ご武運をお祈りいたします」
今回は、文(井上真央)が久坂(東出昌大)を身軽にしてあげる話でした。
この作品の登場人物たちは、毛利敬親(北大路欣也)といい、文の父親や母親といい、みんな物分かりがいいんですよね。
この後にやっている『天皇の料理番』も妻・俊子が篤蔵を身軽にしてあげる話でしたが、俊子は「食堂の女給はいやだ」と、敢えて悪者になった。
篤蔵の父も、志に生きる篤蔵を殴り、勘当して切り捨てた。
ドラマとして、どちらが面白いかと言えば、言うまでもない。
そもそも文は、久坂の志(=攘夷)に疑問を持っていたのではなかったか?
ならば、当初、思っていたとおり「攘夷とは何なのか?」を聞くべき。
そして、納得できればそれでいいし、間違っていると思えば、糾すべき。
何しろ人の生き死にに関わる話ですしね。←このあたり現代感覚で見ています。
毛利敬親も物分かりが良い。
「そうせい」
「志ある者の邪魔をしたくない」
でも、自由にやらせた結果、藩がつぶれてしまったら、藩主としてどう責任をとるのか?
ともかく、物分かりがいいのはダメである。
主人公の文は、あらゆることに疑問を持ち、つきつめて考える人物であってほしかった。
最後は倒幕。
この言葉が、ついに桂小五郎(東山紀之)などの口から出るようになった。
高杉晋作(高良健吾)の「征夷大将軍!」や橋を渡ったことは幕府の力が弱まったことの表れだろう。
その他、
「夷敵を打ち払うことを民も望んでいる」
「物価が高騰している」
「外国との通商で幕府が利益を独占している」
みたいなせりふが語られていたが、どれも断片的で、当時の社会状況が今ひとつ描かれていない。
唯一、伝わったのが、先程の〝幕府の力が弱まってきた〟という雰囲気。
これで歴史を描いていることになるのか?
人物描写といい、脚本家の力不足は否めない。