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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

リーガルハイ 第5話~分かち合う社会か? 奪い合う社会か?

2013年11月07日 | 職業ドラマ
 リーガルハイ2は現在のさまざまな社会問題を提起してくれるが、今回は<日本型経営>と<アメリカ型経営>。
 日本型経営は、社員は家族で運命共同体。
 多少賃金は安くても終身雇用で、年功序列、出来が悪くても一生面倒をみる。
 アメリカ型経営は、会社と個人はクールな契約関係。
 個人のあげた成果には相応の地位や報酬が与えられるという実績主義で、会社が自由にクビを切れる代わりに個人は会社に権利を請求できる。
 さて、どちらが正しいんだろう?
 現在の日本はアメリカ型になりつつなるけど。
 僕なんかは<日本型経営>で生きてきた人間だから、社員は家族で運命共同体というのに惹かれるけど、真知子(新垣結衣)が最終弁論で言ったとおり、「自分の権利を主張する人も正しいと評価されるべき」というのも分かる。

 作品中でも行われていたが、この<日本型経営>と<アメリカ型経営>の問題は、社会のあり方にも言い換えられる。
 すなわち<分かち合う社会>か? <奪い合う社会>か?
 今までの日本は、100の利益があったとしたら、10人で十等分して、10ずつ分けた社会。
 ところが現在は、100の利益をひとりが90を獲り、残りの10を9人で分け合う社会。
 格差社会ですなー。
 だから分け前の少ない9人は自分の権利をもっと主張すべきなんですよね。
 そうしないと、<おやじいぬ>を考えた田向(野村将希)のように経営側に良いようにされてしまう。

 もっともこれは政治・経済・法律の問題で、個人の幸せレベルになると事情が違ってくる。
 裁判に勝って25億の金を手に入れた田向の妻と娘は、その莫大な金に狂い始める。
 田向の誕生日を祝うことも忘れている。
 この描写を見ていると、人間の幸せとは何なのかを考えてしまいますね。
 ラストに田向とアジサイカンパニーの社長の宮内(冨家規政)が純粋に良い文房具を作りたくて、新しい会社を作るエピソードが出て来ますが、人の幸せとは、仲間と力を合わせ、目標に向かってがんばっていくことなのかもしれません。
 あるいは一緒に山を登っている時が実は一番楽しくて、頂上に登り詰めてしまったらあとは空虚でおしまいなのかも。

 真知子に関しては「厳しい現実に生きてこそ大輪の花を咲かせられる」ということで、古美門(堺雅人)と働くことは必ずしもマイナスではないようです。
 ガニ股で足をふんばる真知子は、まだ<朝ドラのヒロイン>ですが、一方で古美門の影響を受けて現実主義の弁護士に。
 <朝ドラのヒロイン>+<現実主義>で真知子は良い弁護士になっていくのではないでしょうか?
 恋愛の方はまだまだですけどね~。
「酔っちゃったみたい。どこかで休みたい」と言っても、ゆとり王子の羽生(岡田将生)は「だったらタクシーで家まで送りましょう」(笑)
 でも、これは羽生クンが悪いか。
 羽生クン、鈍感で、邪心なさ過ぎですな~!


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相棒 「別れのダンス」~ときどき僕もついていけなくなることがあるんです……

2013年11月07日 | 推理・サスペンスドラマ
「起こるべきでないことが起きた時、そこには必ず理由があります」
 真相解明の鍵は、須永肇(大澄賢也)がダンスで態勢を崩して転倒するという<起こるべきでないことが起きた瞬間>にあった。
 なぜ須永は転倒したのか?

 右京(水谷豊)は自ら須永のダンスを再現して、その理由を確認する。
 カイト(成宮寛貴)は突然踊り出した右京さんを見て
「ときどき僕もついていけなくなることがあるんです……」(笑)

「起こるべきでないことが起きた時、そこには必ず理由があります」
 これが右京さんの推理方法なんですね。
 普通の人なら単なるダンスのミスと捉えてしまうことにこだわる。
 そして須永と同じ視線に立ってみる。
 すると今まで見えなかったことが見えて来る。
 今回は探偵推理もののお手本とも言うべき作品でした。

 真犯人を自供に追い込む時にも、この<再現>という方法を使った。
 真犯人に同じことを再現させ、そこにあってはいけない物を見せて「あっ!」と言わせる。
 推理物では探偵が犯人をいかに罪を認めさせるか、が一番難しいのですが、今回は罠を張って自供させたという感じ。

 事件を複雑にしたのは、須永と今宮礼夏(陽月華)がお互いをかばい合い、偽装工作を行ったこと。
 須永は礼夏の犯行だと思い込み、凶器に自分の指紋を付けた。
 礼夏は須永の犯行だと思い込み、遺体を別の場所に運び、強盗に襲われたように見せかけた。
 そして、真犯人も礼夏の犯行だと思わせるために、礼夏の髪飾りの破片を現場に。
 右京さんは連鎖した3つの偽装を読み解かなくてはならなかったわけですね。

 そして須永と礼夏がお互いをかばい合ったのは、ふしぎな絆で結ばれたダンスパートナーだったから。
 優れたダンスパートナーはダンスの態勢に入って体が触れあっただけで、相手の状態や気持ちがわかるものらしい。
 人間は言葉を介さなくても理解し合えるんですね。
 というより、むしろ言葉を介すから行き違いや誤解が生じ、ややこしくなる。

 言葉はウソをつくが、体は正直。
 そう言えば犯人も、あってはならない物を見たことで、真実を語ってしまいました。


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