平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

福島第一原発セシウム濃度を測らず排水~もういい加減にしてほしい

2013年09月16日 | 原子力発電・反対
セシウム濃度測らず排水=7タンクエリアの滞留水―福島第1「緊急措置」・東電(時事通信) - goo ニュース

 今回の台風で東電は、福島第一原発のタンク周辺に溜まった雨水を〈セシウム濃度を測らず排水〉。
 理由は報道に拠れば、「ストロンチウムなどのベータ線を出す放射性物質濃度は最も高いところでも1リットル当たり24ベクレルだったため、エリア内での汚染水漏れはないと判断。ガンマ線を出すセシウムの濃度も十分低いと予想できる」と考えたため。
 どうしてセシウムの濃度を測定しなかったんでしょうね?
 ただでさえ、東電は何かを隠蔽しているんじゃないかと不信感を抱かれているのに。
 セシウムも同時に測っていれば、こんなふうに報道されることもなかったのに。

 だから何度も言うようにこの問題を東電に任せてはダメです。
 汚染水対策の大臣は、福島第一原発に常駐して下さい。
 これでは「汚染水は完全な管理下にある」なんて、恥ずかしくて言えない。
 あまりにノー天気すぎて、オリンピック招致決定も素直に喜べない。

 それから、原発事故から始まった一連の件でひとりも逮捕者が出ていないってどういうこと?
 ユッケで食中毒を出した会社社長は刑事責任を問われたのに、これだけいい加減をやっている会社は無罪放免。
 大きいものは許される。

 『半沢直樹』を見ていてわかりましたが、仮に東電が倒産していたら銀行が融資していたお金がゼロになるだけでなく、莫大な〈引当金〉が銀行に課せられる。
 だから東電を潰せない。
 幹部の刑事責任も問われない。

 やはり大きいものは許される。
 小さなものは虫けらのように潰される。
 皮肉を込めて言えば、世の中とはこういうものであります。


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八重の桜 第37回「過激な転校生」~おのれのために他者を排除する者を私は断固として許さない

2013年09月16日 | 大河ドラマ・時代劇
 結婚した八重(綾瀬はるか)と襄(オダギリジョー)の初めての<共同作業>でしたね。
 熊本バンドの転校で、自分の教師としての資質に悩む襄に八重は諭す。
「良いものは良いのです」
 八重が考える襄の良い所とは、<人に対する無限のやさしさ><自分を愛するように目の前にいる他人を愛する心>。
 人は100%完璧でなくていい。
 教師としてはまだまだかもしれないが、襄には<他人を愛する心>という良い点がある。
 このことを八重の言葉によって気づかされた襄は、熊本バンドの生徒たちに次のようなことを語った。

「私が目指す学校は学問を教えるだけではなく心を育てる学校です。
 私は日本のために奉仕する事のできる国を愛する人間を育てたくてこの学校を作りました。
 国とは国家のことではありません。
 国とはpeople、人々のことです。
 国を愛する心とは自分を愛するように目の前にいる他者を愛する事だと私は信じています。
 型どおりでなくてもいい。歩みが遅くてもいい。
 気骨ある者も大いに結構。
 良いものは良い。
 しかし、おのれのために他者を排除する者を私は断固として許さない」

 八重と襄の<共同作業>はさらに続く。
 襄が<言葉>で、愛する心を説いたのに対し、八重は<行動>でそれを示した。
 寒さで風邪をひいた徳富猪一郎(中村蒼)には風邪薬を。彼が新聞記者を目指していると知れば新聞を。
 熊本バンドの生徒たちには着物を。
 八重のそうした行動が過激な転校生たちの心を少しずつ溶かしていく。

「みんなで学校を作っていきましょう」という八重の言葉も面白い。
 これの対極にあるのは、薩長の藩閥政府とそうでない者との対立だ。
 薩長のみが権力を独占している状況に面白くない者たちは反乱を起こす。
 薩長政府はそれを武力で鎮圧する。
 八重たちの学校のように「みんなで作っていきましょう」と言えればいいんですけどね、お国の場合はそう簡単にはいかないらしい。

 最後に<鵺(ぬえ)>について。
 八重は<会津の心>と<西洋のキリスト教の心>がいっしょになった鵺なんですね。
 今回も「ならぬものはならぬ」を裏返した「良いものは良い」という会津の心が、西洋のキリスト教の心と見事に融合した。
 というわけで新島鵺の登場です!


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