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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

世にも奇妙な物語~人間の思考についての考察

2010年10月06日 | その他ドラマ
 「世にも奇妙な物語」
 今をときめく人気作家の共演ということで見応えがありましたね。
 今回は<人間の思考>ということに絞って、三作品をレビューしてみました。

★「厭な扉」(京極夏彦)
 モチーフは<人生のループ>。
 何度も何度も同じことを繰り返してしまう引田慶治(江口洋介)。
 三百万のお金を手に入れたら競馬で増やし、株で増やし、立派なオフィスを構え……。
 自分の思考法から逃れられない悲喜劇。
 お金がたくさんあることが幸せだという思考にとらわれている。
 それにお金を手に入れたら人間はそれを増やそうと思わずにはいられないんですね。
 こう考えると人間には<自由>なんてものはないのかもしれません。

★「はじめの一歩」(万城目学)
 原作は「鹿男あをによし」の方ですよね。
 物語は「まずはじめに」と「結論から言うと」の物語。
 先程の「厭な扉」の主人公と同様にこの物語の主人公・篠崎肇(大野智)も自分の思考法にとらわれている。
 「まずはじめに」と考えなければ、思考を進められない。
 これを「結論から言うと」という思考法に変えると、人生が違ってくる。
 「厭な扉」の主人公が人生をループしてしまうのに対し、篠崎は別の思考法にすることで人生を変えられた。
 しかし思考法を変えられたのも神様の力。
 結局、人間は自由じゃない?
 でもこの作品はこう結論づけた。
 神様の力が及ぶのは一週間ぐらい。あとは主人公・篠崎の力。
 となると人間は自分の力で人生を切り開くことが出来る。人間は自由!!

 京極さんがペシミスティック(悲観的)なのに対し、万城目さんは人間に対して前向きだ。

★「殺意取扱説明書」(東野圭吾)
 これも<人間の思考>に関する物語。
 <殺意>がいかに作られるかを、取り扱い説明書という形で表現している。
 ということは人間は自由でない。
 なぜなら人間は<取り扱い説明書>で思考・行動が説明されてしまうような機械だからだ。
 同じ取り扱い説明書があるDVDプレイヤーなどの家電と何ら変わりがない。
 もっともこの物語の主人公・木谷晋吾(玉木宏)は迷いましたけどね。
 必ずしも取り扱い説明書どおりに動かなかった。
 ここには人間の自由がある。

 というわけで、この三作品を見て思うのは、モノを考えるとはどういうことかということ。
 とかく人は自分の思考法にとらわれ、世間や会社の思考法にとらわれてしまいがち。
 しかし、それは機械になってしまうということ。
 人は思考を変えるだけで人生を変えることが出来る。
 たとえば、お金をより多く稼がねばならないというのは利益を追求する会社の思考法だが、それを捨て去れば、もっと目の前の生活を楽しめるかもしれない。
 たとえば、男は女を、女は男を愛さねばならないというのは一般的な世間の考え方であるが、それを捨て去れば、新しい自分が発見され別の恋愛が出来るかもしれない。

 人はとらわれを捨てて自由に物事を考えることで、人生のループを抜け出し、新しいステージ進むことが出来るのだ。


コメント
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