生きることはなんて厄介なのだろう。
エリオット(マイケル・ケイン)はハンナ(ミア・ファロー)という立派な妻がいながら、妹のリー(バーバラ・ハーシー)に想いを寄せてしまう。
リーも人嫌いで、自分の枠にはめようとする画家の同棲相手フレデリック(マックス・フォン・シドー)に不満を持って、エリオットのもとに走ってしまう。
ハンナの前夫のミッキー(ウディ・アレン)は病気恐怖症。
常に病気に自分が死ぬことに怯え、神経症になっている。
そして脳腫瘍の疑いが出て来たことで、死を目の当たりにした時(実は何でもなかったのだが)、救い・人生の意味を求めて宗教に走る。(カトリックからクリシュナ狂まで)
もうひとりのハンナの妹・ホリー(ダイアン・ウィースト)は役者として売れず、ケータリングサービスの事業を行ったり、芝居を書いたりして、何をやりたいのかわからない。
ウディ・アレンの映画は、愛を求め人生の意味を求めて右往左往する人間をユーモアをもって描く。
永遠に続く愛などないし、人生の意味などないことを知りながら、劇中の人物はそれらを求めてやまない。
そして、そうすることが人間として素晴らしいことだと言っている様だ。
愛や人生の意味がないことで虚無に陥ってしまうよりはその方が断然マシ、この作品では「マルクス兄弟」の映画が引用されたが、その方が断然楽しいと主張している様だ。
それはほんの一瞬でも「愛の喜び」や「人生の意味」を感じられれば、人は幸せになれるからだ。
「愛」や「人生の意味」に裏切られ、失望しても「人のハートは思ったよりも柔軟で強い」からだ。
それらがどんなに滑稽であっても。
あがけ!立ち向かえ!とウディ・アレンは言う。
★追記1
よくウディ・アレンの映画は、女性を求めて走る男の姿が滑稽に描かれるが、「走る男」こそウディ・アレンの映画の基本である。(今回は偶然の出会いを装うためにエリオットが走った)。
★追記2
ラストのホリーの妊娠。ミッキーには精子がない。
これをどう捉えるか?
愛の結実による神様の贈り物?ハッピーエンド?
僕はむしろミッキーの不安の始まりと考えたい。
ホリーは奔放な女性、他の男と寝てもおかしくない。お腹の子は自分の子か違う男の子かでミッキーはさらに不安になるのだ。人の幸せは永遠でない。
★追記3
心が揺れ動く人物たちの中で唯一、安定しているのがハンナ。
役者としての仕事も認められ、家庭も表面上は円満。夫・エリオットの不倫はハンナに知らされることはない。
ハンナが劇中で見せるのは、不倫で悩む夫が苛立っているのに少し不安になるのと妹にハンナと夫との生活をモチーフにした芝居を書かれて怒るくらい。
よく出来た人物。
このハンナの様な人物をアレンがどう捉えているかは検討を要する。
一見、幸福に見える生活の中にある危機みたいなことを象徴しているのか?
「セプテンバー」では浮気がバレて嘆き悲しむ人物(演じているのは同じミア・ファロー)が描かれているが。
★追記4
リーの同棲相手の画家・フレデリック。
これもウディ・アレンの映画にはよく出て来る人物だ。
「インテリア」の母親。
知性的で自分の価値観の中に他人を当てはめようとする。
その近くにいる人物は皆息苦しくなって、離れてしまう。
★あらすじ(goo映画より引用)
ハンナ(ミア・ファロー)の家では、毎年恒例の感謝祭のパーティが行なわれていた。
ハンナは三姉妹の長女で、父(ロイド・ノーラン)と母(モーリン・オサリヴァン)は元俳優という芸能一家に育ち、彼女も女優をしながら主婦業もこなし、夫エリオット(マイケル・ケイン)と平和な家庭を作っている。ハンナには2人の妹がおり、次女ホリー(ダイアン・ウィースト)は売れない女優で、時々、ハンナに借金を頼みに来るが彼女は快く応じていた。
一方、三女のリー(バーバラ・ハーシー)は画家のフレデリック(マックス・フォン・シドー)と同棲している。さて、パーティで久しぶりにリーと再会したエリオットは、彼女の若々しい魅力に引かれていく気持を押さえることができなかった。リーも厳格で排他的なフレデリックとの生活を息苦しく思っていた時だけに、ハンナに申し訳ないと思いながらも、義兄の胸に抱かれた。
ある日、ハンナの家に前夫のミッキー(ウッディ・アレン)が訪ねて来た。かつて、ミッキーに子種が無いことから夫婦関係がおかしくなり別れてしまったのだが、今では友人として付き合っている。テレビのプロデューサーのミッキーは一種の病気恐怖症で、常に自分が何かの病気に冒されているという恐怖におののいていた。
女優としての仕事がないホリーは友人のエイプリル(キャリー・フィッシャー)と仕出し料理屋をやるがうまくいかず、しかも好感を抱いていた建築家もエイプリルにとられてしまった。そんな時、ホリーはミッキーと偶然、再会、デートを重ねるようになった。
エリオットとリーの許されない関係は深みにはまっていき、ついにリーはフレデリックの許を去った。エリオットも自分をひたすら信じてくれるハンナへの断ち切れぬ思いに苦悩する毎日だった。
一方、女優を諦めたホリーは小説を書きはじめ、ハンナとミッキーの夫婦生活をテーマにした小説がベストセラーとなり、ミッキーとも結ばれた。
エリオットもリーとの関係を精算、ハンナの許へ戻った。そして、また感謝祭がやって来た。
ホリーはミッキーと、またリーは結婚したばかりの夫と共に出席した。この1年、三姉妹に様々な曲折があったが、今は幸せに満ちていた。そしてホリーはミッキーに告白した。私、妊娠したの。
エリオット(マイケル・ケイン)はハンナ(ミア・ファロー)という立派な妻がいながら、妹のリー(バーバラ・ハーシー)に想いを寄せてしまう。
リーも人嫌いで、自分の枠にはめようとする画家の同棲相手フレデリック(マックス・フォン・シドー)に不満を持って、エリオットのもとに走ってしまう。
ハンナの前夫のミッキー(ウディ・アレン)は病気恐怖症。
常に病気に自分が死ぬことに怯え、神経症になっている。
そして脳腫瘍の疑いが出て来たことで、死を目の当たりにした時(実は何でもなかったのだが)、救い・人生の意味を求めて宗教に走る。(カトリックからクリシュナ狂まで)
もうひとりのハンナの妹・ホリー(ダイアン・ウィースト)は役者として売れず、ケータリングサービスの事業を行ったり、芝居を書いたりして、何をやりたいのかわからない。
ウディ・アレンの映画は、愛を求め人生の意味を求めて右往左往する人間をユーモアをもって描く。
永遠に続く愛などないし、人生の意味などないことを知りながら、劇中の人物はそれらを求めてやまない。
そして、そうすることが人間として素晴らしいことだと言っている様だ。
愛や人生の意味がないことで虚無に陥ってしまうよりはその方が断然マシ、この作品では「マルクス兄弟」の映画が引用されたが、その方が断然楽しいと主張している様だ。
それはほんの一瞬でも「愛の喜び」や「人生の意味」を感じられれば、人は幸せになれるからだ。
「愛」や「人生の意味」に裏切られ、失望しても「人のハートは思ったよりも柔軟で強い」からだ。
それらがどんなに滑稽であっても。
あがけ!立ち向かえ!とウディ・アレンは言う。
★追記1
よくウディ・アレンの映画は、女性を求めて走る男の姿が滑稽に描かれるが、「走る男」こそウディ・アレンの映画の基本である。(今回は偶然の出会いを装うためにエリオットが走った)。
★追記2
ラストのホリーの妊娠。ミッキーには精子がない。
これをどう捉えるか?
愛の結実による神様の贈り物?ハッピーエンド?
僕はむしろミッキーの不安の始まりと考えたい。
ホリーは奔放な女性、他の男と寝てもおかしくない。お腹の子は自分の子か違う男の子かでミッキーはさらに不安になるのだ。人の幸せは永遠でない。
★追記3
心が揺れ動く人物たちの中で唯一、安定しているのがハンナ。
役者としての仕事も認められ、家庭も表面上は円満。夫・エリオットの不倫はハンナに知らされることはない。
ハンナが劇中で見せるのは、不倫で悩む夫が苛立っているのに少し不安になるのと妹にハンナと夫との生活をモチーフにした芝居を書かれて怒るくらい。
よく出来た人物。
このハンナの様な人物をアレンがどう捉えているかは検討を要する。
一見、幸福に見える生活の中にある危機みたいなことを象徴しているのか?
「セプテンバー」では浮気がバレて嘆き悲しむ人物(演じているのは同じミア・ファロー)が描かれているが。
★追記4
リーの同棲相手の画家・フレデリック。
これもウディ・アレンの映画にはよく出て来る人物だ。
「インテリア」の母親。
知性的で自分の価値観の中に他人を当てはめようとする。
その近くにいる人物は皆息苦しくなって、離れてしまう。
★あらすじ(goo映画より引用)
ハンナ(ミア・ファロー)の家では、毎年恒例の感謝祭のパーティが行なわれていた。
ハンナは三姉妹の長女で、父(ロイド・ノーラン)と母(モーリン・オサリヴァン)は元俳優という芸能一家に育ち、彼女も女優をしながら主婦業もこなし、夫エリオット(マイケル・ケイン)と平和な家庭を作っている。ハンナには2人の妹がおり、次女ホリー(ダイアン・ウィースト)は売れない女優で、時々、ハンナに借金を頼みに来るが彼女は快く応じていた。
一方、三女のリー(バーバラ・ハーシー)は画家のフレデリック(マックス・フォン・シドー)と同棲している。さて、パーティで久しぶりにリーと再会したエリオットは、彼女の若々しい魅力に引かれていく気持を押さえることができなかった。リーも厳格で排他的なフレデリックとの生活を息苦しく思っていた時だけに、ハンナに申し訳ないと思いながらも、義兄の胸に抱かれた。
ある日、ハンナの家に前夫のミッキー(ウッディ・アレン)が訪ねて来た。かつて、ミッキーに子種が無いことから夫婦関係がおかしくなり別れてしまったのだが、今では友人として付き合っている。テレビのプロデューサーのミッキーは一種の病気恐怖症で、常に自分が何かの病気に冒されているという恐怖におののいていた。
女優としての仕事がないホリーは友人のエイプリル(キャリー・フィッシャー)と仕出し料理屋をやるがうまくいかず、しかも好感を抱いていた建築家もエイプリルにとられてしまった。そんな時、ホリーはミッキーと偶然、再会、デートを重ねるようになった。
エリオットとリーの許されない関係は深みにはまっていき、ついにリーはフレデリックの許を去った。エリオットも自分をひたすら信じてくれるハンナへの断ち切れぬ思いに苦悩する毎日だった。
一方、女優を諦めたホリーは小説を書きはじめ、ハンナとミッキーの夫婦生活をテーマにした小説がベストセラーとなり、ミッキーとも結ばれた。
エリオットもリーとの関係を精算、ハンナの許へ戻った。そして、また感謝祭がやって来た。
ホリーはミッキーと、またリーは結婚したばかりの夫と共に出席した。この1年、三姉妹に様々な曲折があったが、今は幸せに満ちていた。そしてホリーはミッキーに告白した。私、妊娠したの。