平凡な日々の日常の中で わずかにでも生活様式に変化があれば 世情で大変化があった時期と符合する…その逆も真という仮説は なんだか成立しそうな気がする。
例えば 学生が学生帽を被らなくなったあの頃…各戸のお家に表札を掛けなくなった頃…自宅で葬儀をせず斎場が乱立し始めた頃…そう云えば玄関先に張り出す喪中の張り紙は ここしばらく見ることがなくなった気がする。
「地域」と「人」と「空間(場)」が昔のような関係性ではなくなって 「核家族」という言葉も かなり郷愁が漂う。
古い関係性の喪失は 新しい抗争の始まり…と仮定すると…「格差是正」や「いじめ」問題への解消策の有り無しも見えてきそうな感じがする。
世相多忙な昨今 その対応には 「自然」と「歴史」から学びとることがおおきいとつくづく思う 今日この頃。今一度の抒情性の恢復は…と 秋桜さんに聞いたが 当然返事はなかった…。長文ご容赦。。
「コスモスや此の世彼の世と晴れ交わし:赤松子」